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当たり前ではない

 特権の内にいるとその特権の「特」のところにはなかなか気づけないものだ。気づけないとそれは当たり前になり、当たり前になると有り難みはなくなってしまう。特権の外に追いやられたとき、はじめてその特別さに気づくのである。

 Aという企業の営業マンとして縦横無尽に働き、クライアントや下請け、部下その他大勢の人間を巻き込み、まさに「俺流」で仕事を回す方がおられ、その仕事ぶりは相当すごかったのだが、とにかく自分の気が済むことが第一で、突如決定事項をひっくり返すなどし、それに対して悪びれることもなく、「最後まで最善を探すアドリブ力が大事なんだ」と正当化するような人であった。その「最善」が会社の最善ではなく、その方の最善でしかなかった。周りはその方にとにかく振り回されて疲弊する。そんな周囲には見向きもせず、ひたすら己にとっての「最善」のために各方面を引っ掻き回す人だった。

 そんなY氏(仮名)が定年退職し、A社の肩書きはなくなったのだが、新たにBという会社を立ち上げ、同じようなやり方で仕事を取りにいこうとする。しかし、明らかに周りの態度は変わってしまった。誰もY氏に見向きもしなくなった。電話には出てくれなくなり、メールには返信がなくなってしまった。Y氏は自分一人の力で仕事してきたと思っていたが、そうではなかった。A社のY氏でなければ誰も相手しないのだった。Y氏にとってA社に所属しているということが特権であったのだが、特権の内にいる間は「特」のところに気づくことができなかった。外に出てはじめてY氏はそれに気づいたのだが、もうY氏にはY氏のやり方が骨の髄まで染み込んでしまっているため、他のやり方で仕事ができない。Y氏は変わることができるだろうか。

 かく言う私だって特権の内にいて、その特権に気づけていないかもしれない。例えば、日本人であること、健康であること、男であること、夫であること、父であること、会社員であることで手にしている特権があり、それは決して当たり前ではないのだ。

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