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悪行は悪い

 SNSには他人の行いを糾弾する強めの言葉が並んでいる。悪行は裁かれるべし、いかなる事情があれども悪行は許されてはならない、この私が天に代わり裁いてやる、と鼻息の荒い投稿が通り過ぎてゆく。
 悪行は悪い。それは当たり前のことであるが、それをまるで我こそは全知全能であるとばかりに糾弾する側の人たちだって少しくらい悪いことをやっちゃったりはしていないのだろうか。
 私はスマートフォンを見ながら歩いている人に腹が立つし、そのことをSNSに投稿することもあるが、ふと気付けば自分がスマートフォンを触りながら歩いていたことがある。そういうときに人知れず顔を赤らめ、いかんいかん、こんなことではいかん、と思い直し、人通りの邪魔にならないところで立ち止まることがある。自分の悪行には甘くなるものだ。恥ずかしい。

 スマートフォンを見ながら歩くのは悪である。自転車の逆走も悪である。歩きタバコも万引きも不倫も悪であるが、そういう悪を許せないと息巻き常日頃怒りを体全体で発している人が大遅刻をして締切を守らなかったりする。自分の悪行は見えないものなのだ。

 いつも文句ばかり言い、挨拶代わりにため息をつく女性がいて、この人は周囲の空気を著しく悪くするから周りの人間は辟易としている。
 ある日、この女性(仮にA子とする)の職場仲間である男性二人がひそひそ話をしており、その内容というのが、よその部署のかねてより評判の悪い人がその悪評ゆえ、ついにリストラされてしまったという話だったのだが、その話に聞き耳を立てていたA子が突然からからと大声で笑い出し、「あいつクビになったんだー、そりゃあ、あんなに所構わず他人の文句ばっかり言ってたら切られるのは当たり前だよ」とご機嫌であった。自分の悪行は見えないものなのだ。

 「デスク爆弾」という言葉がある。部下がデスクで作業に打ち込んでいるところ、暇を持て余した上司がやってきて、仕事とは関係のない自慢話をしてくる。部下は仕事をしたいのに上司と部下という関係性上、どれだけつまらない話でも聞かなければならない。このような上司のことを「デスク爆弾」と呼ぶのだという話を以前、「デスク爆弾」になりがちな上司に聞かせたところ、「そういう人、いるよねー」と大笑いしていた。自分の悪行は見えないものだ。

 誰かを許せないと思うとき、果たして自分はどうだろうか、と少しの間、振り返る時間があっていい。それでも許せないことを許さないのは大事なことだし、許せないと思っていたことを実は自分がやっていたことに気付くのも大事である。反対に自分もやっていると気付き、これくらいは、まあ、ええか、と思い直すのも大事なことだ。偉そうなことばっかり言うてるけどオマエはどうやねん?ということを、考える時間が必要だ。

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趣味はオープンしたお店の1人目の客になることです。著書『1人目の客』はウェブショップ「暇書房」にてお買い求めいただけます。

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