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エッセイ『手に職』

 先日、車で京北町まで連れていってもらいました。北山杉の整然と立ち並ぶ壮観な眺めを横目に颯爽と走り去り、何度も何度もトンネルを抜け、これはいったいどこに連れていかれるんだろうか、と不安になったところ、まだ黄金色とはいかない青青とした田圃が一面に広がる平地に出て、ぽつぽつと民家もあり、スマートフォンも圏外ではなく、忘れられた町というわけでもない、車さえあればこんな長閑なところで過ごすのも悪くないんだろうな、しかし僕は車を運転できないから無理だな、などと思いながら山の麓にある村山木工さんというそれはそれはオシャレな木工品を手がける木工屋さんの工房で開催されるバーベキュー&ミニライブを満喫したわけでございます。

 それにしても車を運転できるというのは羨ましい。まるで自分の体の一部であるかのように車を運転する様、バックで駐車する手際良さ、惚れ惚れしてしまう。
 思うに「手に職」というのは、ああいうことを言うのだろう。バーベキューで肉や野菜を焼く人たちもトングや具材を体の一部であるかのように扱っていたし、ライブパフォーマンスを見せてくれたシンガーの方は声を自由自在に操っていた。パーカッショニストはあのコンパクトな打楽器群を、ベーシストは四つの弦の響きで音を支配しておりました。
 会場ではその匠の技を見ることはできませんでしたが、村山木工の職人さんの手技など、まさに「手に職」といえるものにちがいない。
 また、私を京北町に連れていってくださった方は撮影班で、ドローンを駆使して様々な角度からイベントの様子を撮影しておりました。あれも見事な「手に職」です。

 翻って私の場合はどうだろうか。
 何か「手に職」を身に付けているのだろうか。まるで自分の体の一部であるかのように何かを自由自在に操れているだろうか。
 齢四十三歳。残りの人生で、いかにその「手に職」を手にするか、が私のテーマです。

蠱惑暇(こわくいとま)

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