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写真de2022年振り返り

 スマートフォンで撮りためた写真で今年1年を振り返ってみる。

 1月、初めて濃厚接触者となり京都駅八条口近くの無料のPCR検査会場へ行く。あの頃に比べると第8波の今はコロナの扱い方がみんな雑になってきた気がする。当時は「濃厚接触!?そんなのあなた、絶対外出なんてしたらダメだよ!そんな非人道なことやっちゃダメ!」って雰囲気でしたが、今は少しくらい熱が出てもしんどくなかったら普通に出勤してるって人、多いんじゃないかと思う。みんな飲みにも出かけてるし、レジャーもイベントも戻ってきてる。それが正しいのか否かってのはわからないけど、個人がコロナにどう向き合うかについて誰かがとやかく言うのはおかしいし、いっぽうで公共の施設やお店のコロナ対策には従うべきだろうとも思う。なんにせよ、コロナ観が似ている人のが付き合いやすい。ちゃんと自分がコロナ観を押しつけていないかを省みながら暮らすべきだ。

まだまだものものしかった1月



 2月、オレが1人目の客になった大丸京都店の新福菜館が閉店するというわけで、閉店前に食べに行く。新福菜館どころか、大丸さんはこなタイミングでレストランが無くなってしまった。昔は家族のお出かけといえば百貨店の屋上で遊んでお母ちゃんの買い物に付き合ってレストランでお昼ご飯っていうの、定番やったけど、もう家族で百貨店行かへんもんな。と、昔から家族で百貨店に出かけてた然として書いてるけど、オレの家の近所には百貨店は無かった。しかし、平和堂のすがきやでラーメン食べたよ。泣けてきた。

大丸のレストランなくなっちゃった



 3月、昔住んでたアパートに行ってみた。屋上に共同の物干し竿があってよく利用していたので懐かしくなり、思い切って屋上まで足をのばしてみたんやが、5階分を階段で上がるのはキツイ。エレベーターは無い。住んでたのは十年以上前で、あの頃オレは二十代。体力があったがアホでクズやった。あのままアホでクズでいなくてよかった半分あのままでも楽しかったんかもな半分。屋上へはドアを開けて出るんやが、このドアが屋内から鍵をかけられる仕組みになってる。住んでた頃は気づかんかったけど、これはなかなか恐ろしい。屋上から出られないまま令和を迎えていたかもしれない。怖。

屋上に閉じ込められなくてよかった



 4月、家族で京都府立植物園へ。この程度といったら失礼やが、同じ京都市内にちょっと出かけるくらいのお出かけすら、はばかられる日が続いていたから開放感があった。府立植物園は中がめちゃくちゃ広いので、いくら人がいても満員になる気がしないのがありがたい。朝のラッシュアワーだけでも府立植物園が電車にならないかと思う。あの入園料で大阪まで連れて行ってくれたらなー。

お出かけ植物園



 5月、この春から週一回、大阪で仕事をすることになり、身近になった大阪を散策してみる。なんばの「一芳亭」なるお店のシュウマイがとにかく美味いと聞いたので行ってみたら、果たして本当に美味かったのだ。ふわっふわやねん。オレが今まで食ってたシュウマイとは全く違った。こういう価値観のアップデートは年々難しくなる。あらゆる分野において、「一芳亭のシュウマイ」を探していかないと、すぐに枯れて萎えてしまう。賞味期限はシュウマイよりも早い。昔は50メートルを5秒9で走れたが、いまのほうが足は早いのだ。周りには枯れ果てた老木がたくさんある。オレは抗い続けていたい。

シュウマイふわっふわやねん



 6月、どら焼きやさん、カフェバー、かつカレー専門店の1人目の客になる。しかし、イオンモール北大路の1人目の客にはなれなかった。全国各地のイオンモールを巡ることを趣味にしておられる方に先を越されてしまった。オレよりもガチやった。ああいう人に憧れる。ちゃんとご挨拶したかった。オレもちゃんと趣味に邁進しなければならない。仕事なんぞやってる場合ではないのかもしれない。なんてことを書いていると冗談の通じない仕事関係の知り合いに怒られるだろうか。松本人志が爆笑問題のいる事務所所属だからキュウに点数を入れなかったなんてことを本気にしている人がいる世の中だから気をつけないといけない。

あのイオンマニアの人、元気かな



 7月、成城石井やホリーズカフェ、ドラゴン飯店などの1人目の客になる。しかし、写真は無いが7月の思い出といえば、山下達郎さんの特番収録につきる。あんな緊張感はなかなか味わえるものではない。拾得のテリーさんのコメント、聞かせられなかったのが残念やが、聞かせたら聞かせたでどういう反応やったんやろうか。オレの周りの老木たちは、山下達郎さんみたいになりたがってる。ああいう強さを持ちたいと思っているんやが、自分にはそこまでの強さが無いことをわかっているから、強さを提示できるところにだけ向けて強さを提示する。ああいう大人にならないようにしないといけない。

達郎さんの収録あとの大阪の夜



 8月、亡くなった友人の墓参りへ行く。滋賀の山奥。後輩の車で四人、男だらけ。学生時代のサークル仲間と車内でわいわい。学生時代のノリに戻ると全員がクズになる。こうやってネジを弛める時間が必要だ。締めてばかりいたら疲れる。アホにならないといけない。それが墓参りである必要はないが、昼間から飲みまくって献杯をした。こういう区切りの付け方もあると思う。

墓参りのあと献杯しました



 9月、帰省する。実家に帰るのも随分と久しぶりだったように思う。コロナ元年なんぞ、実家から「帰ってくるな」などと言われる都会人もいたわけやが、なんとまあ恐ろしいことだろう。ろくに帰省も許されないとは。中国のゼロコロナ政策がいつまでやってんねんと言われがちやが、日本もそんなに変わらないではないかという気もする。偉い人が必要以上に怖がるのは悲劇だと思う。賢明な判断ができるようにするためにもオレたちは日々学びを絶やしてはならない。

小学生の頃の通学路



 10月、東京での仕事がはじまる。高円寺やら新宿やら、昔よく行った界隈を歩いていると思い出がフラッシュバックする。新宿JAMのあった場所、向かい側のレッドクロス、片山ブレイカーズのイベントの司会をしたし、JAMではバンドでも弾き語りでもライブをした。なんにも知らないアホでクズやったんやが、それでも応援してくれてる人がいた。あの頃より今のほうが面白いんやけどな。

新宿にただいまを言ったら無視された



 11月、家族で万博公園へ行く。春に京都、晩夏に滋賀の実家、そして秋は大阪。昔、我が子がオレに言ったことで今も忘れないのが、「◯◯くんの家は今度海外旅行に行くって言うてるんやけどお金あるんかな。今のうちからそんなにお金使っちゃって大丈夫なんかな」我が子はちょっと憤りながらそれを言った。オレは申し訳なくて申し訳なくて泣きそうになりやがて泣いた。そんなに遠くに行かなくても万博公園もなかなか楽しいものやった。遠くへ行かんでも、金なぞかけずとも、面白いか面白くないかは自分次第なんやぞ。

太陽の塔の中には入れず



 12月、今年も東本願寺及びその門前界隈について紹介する期間限定番組を担当する。11月と12月の二ヶ月限定。門前エリアへ足しげく通い、地元の人へのインタビューを収録する。日に日に門前エリアへの愛着が湧く。愛着が湧けばもっと知りたいと思う。もっと知ればもっと愛着が湧く。こういう正のスパイラルがあるからこそ、今の仕事が大好きなのだ。知れば知るほど嫌いになる負のスパイラルも多いなか、実にありがたいことだ。

東本願寺、大好きやねん


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