見出し画像

揺らぐ当たり前

 80点を目指していたら100点は取れないといいます。これってその通りで、朝10時集合なら10時に着けばいいと思っているとけっこう10時を2分ほど過ぎたりする。2分くらいなら別にええやろ、と思っていると今度は5分遅刻する。そうやって「ええやろ」が続くとやがて1時間遅刻して逆ギレするようになってしまう。

 詳しいデータは忘れましたが、その昔サンマの漁獲量はものすごいトン数があったのですが、いまは100分の1とか、ずいぶん減ってしまっているらしい。ある年、そんなサンマの漁獲量が前の年より増えた!という報道があったのですが、ピーク時に比べればそれでも100分の1程度のものだったらしい。昔に比べたら増えたなんてレベルの話ではないわけです。

 こういうことはよくある話で、いつも締め切りの一日前に原稿を仕上げていたら最初はすごく感謝されていたのに、だんだん一日前が当たり前になり、やがて一日前の一日後、つまり期日通りに仕上げていたら「遅いよ」と苦言を呈されたりする。逆にいつも一日遅れる人がたまたま期日通りに仕上げたらえらく褒められたりする。

 よかれと思って仕事を手伝ってやっていたらそれが当たり前になり、こちらがその仕事をやっていないと「まだなんですか」と催促されたりもする。「よかれと思って」はなかなか曲者であり、自分一人の善意で終わるならまだマシなんですが、業界全体的に「あの人はこの仕事をやってくれるけどあなたはやらないんですね」という話になってくるとかなりめんどくさい。

 お金の話はあまりよくわからないのですが、おそらくギャラなんかもそういうところがあるでしょう。一定の金額を業界全体で守っておかないと、誰かが抜け駆けして「私は他よりも三割安くでもやります」なんてことを言い出してしまったら、やがてそちらが当たり前になり、もともと適正だった金額が「高い」と判断されてしまう。

 当たり前は揺らぐのだ。
 敬意逓減の法則というのも似たようなことでしょう。ありがとうありがとうと繰り返しているうち、その「ありがとう」一回の価値が下がってしまう。
 最初は「ありがとう」で済んでいたのに「ありがとうございます」と言わないと敬意が伝わらなくなり、「誠にありがとうございます」「感謝のしようもございません」「あなたがいなければ私はどうなっていることやら」どんどん言葉数が増えていき、それでも感謝の気持ちが伝わらず、挙句「長ったらしくて鬱陶しい」などと思われたりしてしまう。

 人の当たり前が揺らぐのは仕方ないとして自分の当たり前が悪いほうに揺らいでいないかはいつも考えておかねば。

#日記 #コラム #エッセイ
#涌井慎 #蠱惑暇 #こわくいとま
#当たり前 #ありがとう

蠱惑暇(こわくいとま)こと涌井慎の著書『1人目の客』と1人目の客Tシャツは是非ウェブショップ「暇書房」にてお買い求めください。
8月12日(月・休)に西院陰陽(ネガポジ)にて開催する「涌井大宴会mini(仮)」でも販売します。よろしければご来場ください。

というわけで、暇書房のウェブサイトは↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?