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そこに人らしさはあるのかい

プーチンを描いたのですが納得できなかったので三体連続で描いてみたのですが最後まで納得できませんでした。それでも今、プーチンがやってることに比べたら納得できますけれども。

ロシアのウクライナ侵攻のことは、日本にいるとやっぱり他人事のように感じてしまうところがあり、その点、必勝しゃもじを持っていった人のことを非難することはできないんじゃないかと思う。

近頃、新聞各紙の俳壇歌壇の作品をチェックしておりますと、侵攻のことを詠んだりしているんですが、実際に現地の苦難を目の当たりにしたら歌にするなんてことはできないんじゃないかなどということも考えてしまうんですが、どうなんでしょう。

新聞の記事も、何か事件があればウクライナ侵攻のことを誌面を大きく割いて取り上げますが、そうでなければ近頃は全く侵攻のことを触れていない日もありました。今回のワグネルのプリゴジンの件についても、どこか対岸の火事でスキャンダルを求めているような下心が透けてみえてしまうような、そんなことを言い出したらこれを書いている私だって同じだし、プーチンの似顔絵を描いて皮肉の一つでも書いてやろうと考えていた私も似たようなものなのですが、それにしても報道のあり方というのは、もうちょっとどうにかならないものか、とも思うし、それを言い出したら、もっと昔からアフガニスタンの現状について取り上げていなければいけないはずですし、全てを平等に取り上げるのはどだい無理な話ですし、一日は24時間しかないし、時間的な制約もあるんだから、どうしてもその日その日で報じる優先順位を作らなければならないわけですから、何かしら目安を設定してその目安に沿って順番を決めるしかないのですが、そこに人らしさはあるのかい。数字だけ追いかけていないかい。人の心に思いをいたすということを忘れてはいないかい。

ということを常々、自問自答するようでありたいと思う。

#note日記 #日記 #コラム #エッセイ
#プーチン

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