パーパスのある人生 ~煉獄杏寿郎~
本稿は、『鬼滅の刃・無限列車編』のネタバレを含みます。
改めて無限列車編を見ました。いやー、よかった!
昨年の劇場でもそうでしたが、ワクワクしながら楽しんでる子どもを横目に、涙をこらえるのに必死でした(笑)。
僕は歴史が大好きなのですが、中でも、自分が信じる大義、愛、友情のために己の命を顧みずに行動する人たちの姿に心を打たれます。人として美しく生きるのって簡単じゃないけど、本当にカッコいい。煉獄杏寿郎の生きざまは、まさにそれですよね。
敵として登場する、上弦の参・猗窩座(あかざ)も、強さと魅力を持ったキャラクターです。そして、この2人の対照的な考え方、生き方が、この物語に深みを与えています。
「君と俺とでは価値基準が違う」
鬼である猗窩座にとって、強さは「目的」。ただひたすらに、強くあること、強い相手と戦うことを求めています。
彼は弱者を認めず、「至高の領域に近い」存在でありながら、鬼になってそれを究めようとしない杏寿郎が許せません。「鬼にならないなら殺す」と言うのです。
一方で、煉獄杏寿郎にとって強さは「手段」。他者を守るためのものです。
「弱き人を助けるのは強く生れた者の責務」という母・瑠火の教えを守り、炭次郎、伊之助、善逸や、力のない人々を守るために盾となって戦います。そして、責務を全うし、母の幻影に優しく見守られながら、満たされた表情で旅立っていきます。
強さを求めて自分を高めていく姿勢は2人とも同じですが、杏寿郎は、一段高い「人生のパーパス(目的)」を持っていました。それが、僕らの心を震わせるのでしょう。
「如何なる理由があろうとも鬼にならない」
これは、現代社会における組織や、そこで生きる僕たち個人にも通じることです。
資本主義は競争を前提にしているので、その中を生き抜いていくためには、強くなければなりません。企業も個人も、力を磨き、稼ぎ続ける必要があります。
でも、それだけが目的でいいのでしょうか。僕らにも、もう一段高いパーパスが必要なのではないでしょうか。
杏寿郎は、致命傷を負った状態でも、鬼になることを断固拒否します。そこには一瞬の迷いもありません。命よりも大事なものを持っている人の凄みを見せてくれるとともに、「おまえにその覚悟はあるか?」と突きつけられるようなシーンでもあります。
そこまでの境地に至れるかはわかりませんが、僕も人としての「美学」や「矜持」だけは忘れないようにしたいと、いつも思っています。
皆さんにとっての「人生のパーパス」は何ですか?
ではまた!
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