見出し画像

40歳で海外転職した話 ⑥

前回の続きです。

突拍子もない僕のカミングアウトを受け入れて、力強く後押し(突き放し?)してくれた妻。ここまで言ってもらって「お騒がせしたけど内定もらえませんでした」では格好悪すぎる。どのような選択をするにせよ、まずはオファーを獲得せねばと心に誓ったのでした。

三次面接

数週間後、先方がシンガポールから東京に出張してくるのに合わせて、face to face での三次面接がセットされました。さすがに業務中に抜けるわけにもいかないので有休を取得。場所は都内某ホテルのラウンジです。

余談ですがこのラウンジ、ジャーナリストの田原総一朗さんがよく利用されています。一度隣の席になったことがあり、その際は編集者や記者と思われる方たちと打合せをされていました。ライティングやインタビューに興味の出てきた今だったら、もっと真剣に聞き耳を立てていたのに、残念。

予定時間の少し前に到着し、心と体を落ち着かせてからラウンジに入ります。面接の相手は、このポジションの直属の上司になるアジアの責任者と、最も密に連携することになる隣接部門のヘッド。一次面接の際にオンラインで話したオーストラリア人たちです。

簡単な挨拶の後でコーヒーを頼み、面接というより雑談のような和やかな雰囲気。一次面接の際に、経歴、志望動機、貢献できそうな点などは十分に話していたこともあって、それらはごく簡単に質問されただけでした。

10分ぐらいしか経っていないところで、「会社や業務内容について、まだまだ気になる点があると思うから今日は何でもきいて」というまさかの逆質問タイムに。少し焦りましたが、先方のことをできる限り知りたいと思っていた僕にとっては好都合でした。

ここぞとばかりに、日々の業務のイメージ、同僚や多拠点と連携の仕方、取扱商品、このポジションに期待される役割、日本市場の営業責任者としてどこまでの権限があるのか、世界戦略の中でのアジアおよび日本の位置づけ、評価基準と時間軸(日本の保険ビジネスには時間がかかります)、カルチャーは米国風なのかアジア寄りなのか、日本への出張頻度、福利厚生、などなど質問しまくりました。

役割や業務内容はイメージしていたものに近かったので安心するとともに、2人の話しぶりから改めて社風の良さも伝わってきました。

そして意外だったのが、米系とは思えないほど社員の定着率が高く、長期的視野を持ってビジネスをしていたことです。この点は腰を据えて日本マーケット対応をする上でクリティカルな要素だと考えていたので、非常に好印象でした。

最後に先方から、「アルコールはいける?」ときかれ、「欧米人と比較して弱いと言われる日本人の中でも下位5%に入るぐらい弱い。でも飲みにいくのは好き」と正直に答えました。

「まあそれならOKだね。うちは結構わいわい飲む会社なので」と、少し残念そうな反応。これはまずいか。

すかさず、「飲めない分、カラオケの国・日本の代表として歌って踊って社内も社外もグリップするから安心して!」と意味不明なコミットをしてしまいました。

すると「それは楽しみ!うちのシンガポール人たちもカラオケ好きだから、パーティーが盛り上がりそうだね」と前向きなコメントをもらい、好感触のもと面接は終了・・・

したのは良かったのですが、この不用意な発言が後々まで尾を引き、転職後に会社イベントのたびに皆の前で歌と踊りを披露させられる羽目になるのです。もちろんそんな未来が待っていようとは、当時の僕は知る由もありませんでした。

シンガポールへの招待

次のステップへの連絡がくるまでは、少し時間がかかりました。エージェントからの情報によると、僕ともう少し若い候補者の2人に絞られ、どちらを最終面接に呼ぶかを悩んでいたようです。

僕は、このポジションに近い仕事をロンドンで経験していた点と、社風へのフィット(カラオケ効果!)が高評価で、もう1人は、これから伸ばしたいと考えていた分野のスペシャリストだったそうです。年齢も違ったため、現在の給与水準に差があったことも悩ましかったと。

こうなると大人しく待つことぐらいしかできることはありません。ただ先方がエージェントに候補者の印象を聞いている可能性はあると思い、彼とはマメにコンタクトを取るようにしていました。

その甲斐があったのかはわかりませんが、数週間後、最終面接のためにシンガポールに来てほしいという連絡が入りました。

いよいよ最後のステップです!

To be continued...


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?