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高校生と幸せについて考えてみた

今日は授業で「あなたにとっての幸せって何?」というのを話し合いました。

短い時間で、全然話し足りなかったですが、出てきた意見を少しだけご紹介していきたいと思います。

いくつかのグループに分かれて話し合ったのですが、話の内容が興味深かったです。


①幸せを感じる時→ごはんを食べている時、寝ている時

食べるもの、食べるタイミングによって幸福度が変わるのはなんでだろう?
寝るときにベッドに倒れる瞬間が幸せなのはなぜだろう?

共通するのは「満足感」と「安心感」ではないか


②友だちや親しい人が幸せじゃないと自分も幸せじゃない

自分が幸せだったとしても、誰かが不幸せだとそれに引きずられてしまう

大切な人だけ?

不機嫌な人が周りにいたら、自分も影響されてしまう

周りの幸せは自分の幸せなのか?


③幸せはパラメータのようなもので、他人と比較することで、自分のパラメータを埋めていく

あの人より自分は良いものを持っている、とか
あの人は自分よりすごい、とか

比較しなければ幸せ?
ブータンは近代化したことで幸福度が下がったらしい

パラメータということは、幸せは加算式?
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能登地震や戦争のニュースなどを見ても悲しくなる
↔︎ 反対に、他人事に思えてしまう。自分じゃなくてよかったと思ってしまう。でもそんな自分が嫌にもなる

自分ができる範囲のこと(募金とか)をしたら、あとは手放していい


④ごはんを食べるとき、寝るとき、推しを推すときが幸せ

人間の三大欲求に支配されているのでは?

結局本能が満たされればいい?



ざっくりこんな感じの意見が出ました。グループごとにこれだけ違うのも面白いですよね。

もちろん答えなんて出るわけがないですが、多くのグループが「自分の感じる幸せ」に焦点を当てていました。
ただ、これからの時代に求められる「well-being」とは「自分も含めた社会の幸福」ではないでしょうか。


最近、メディアでは「自分を優先しましょう」「自分を愛しましょう」「自分を大切に」などという言葉をよく聞きます。

ですが、現代では、これらの言葉が「ワガママを言っていい」「自分を優先するから、他人を重んじなくていい」という、意図しない方向で解釈されているのではないかと思います。

もちろん自分を慈しむのは大切なことです。
まずは自分を満たさなければ、他人を気にかける余裕なんてないでしょう。ですが、それは「他人を蔑ろにしていい」理由にはなりません。


近頃の社会はなんかギスギスしているなぁと思います。東京に住んでいるから余計にかもしれませんが、赤の他人=背景のような、人間としてのコミニュケーションがごっそり抜けている気がするのです。

あえて綺麗事を言いますが、できることなら「自分も幸せ、みんなも幸せ」になりたいです。もちろん幸せを感じるかはその人次第ですが。

このテーマについては、また話し合えるといいなと思います。

明日の世界があなたにとって少しでも優しいものでありますように。

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