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自己肯定感に否定される

「自己肯定感」

最近よく聞きますね。

「あなたは自己肯定感が高い/低い」なんて言われることがあると思いますが、自己肯定感って結局なに?というのをいま一度考えてみようかと。
先に言っておくと、個人的にはあまり好きな言葉ではありません。そのものがというよりは言葉の使われ方が。


自己肯定感とは,自分がいて他者がいて,その中で自己の存在を肯定できる感覚である。自分をさらけ出すためには,安心感のある人間関係が必要になる。それは自己肯定感が育つ心理的安全性のある人間関係ということができる。心理的安全性とは,集団の中で自分の意見を安心していうことができる,本音を話せる関係性がある状態である。

日本心理学会ホームページ 特集より


自己肯定感とは、ありのままの自分を肯定する感覚のことです。

自己肯定感はもともと心理カウンセラーが良く使う言葉「セルフ・エスティーム」を日本語訳したもので、他に「自尊心」「自己評価」「自尊感情」自己重要感」などとも言われます。

他人と比較することなく、今の自分を認め、尊重することによって生まれる感覚です。

日本経営心理士協会ホームページより
https://keiei-shinri.or.jp/word/自己肯定案/


自己価値に関する感覚であり、自分が自分についてどう考え、どう感じているかによって決まる感覚です。自己肯定感とは「自分の存在そのものを認める」感覚であり、「ありのままの自分をかけがえのない存在として肯定的、好意的に受け止めることができる感覚」のことで、「自分が自分をどう思うか」という自己認識が自己肯定感を決定づけています。

日本セルフエスティーム普及協会ホームページより
https://self-esteem.or.jp/selfesteem/


まとめると、「他者と比較せず、自分のありのままの存在を認められる(肯定できる)感覚」でしょうか。

自己受容感、自尊感情、自己効力感など色々あるのは知っていましたが、もともとは「セルフ・エスティーム」という一つの単語だったんですね。

私がなぜ自己肯定感という言葉が好きじゃないのかというと、「あなたは自己肯定感が低いね」と他人に言われたからです。

揚げ足を取るわけではないですが、「他者との比較をせずに〜」というなら、私の自己肯定感は私が決めていいのでは?と思っています。

私の思う自己肯定感は「自己受容感」に近いです。


例えば、ここにミミッキュとルギアがいます(急にポケモンの話)。

ポケモンで一番好き

自分がミミッキュだったとして、

「今の自分のパラメータはこんな感じか〜なるほどね」と受け入れるのが自己"受容"感。

「ルギアは空を食べるのいいなーでも自分は電気を使えるからまぁいっか!」となるのが自己肯定感がある。
ではないかなと。

じゃあ、「自分のパラメータ低くて嫌だなぁ…頑張って伸ばそう!新しい技も覚えたいな」と思うのははたして自己肯定感が低いのか?

定義上は低いかもしれません。
でも、理想の自分とのギャップを受け入れて努力するなら、それは良い低さではないでしょうか。

「パラメータが低い=自分はダメだ」とか、「ルギアはあんなに強そうな技が使えるのに」とか思って、卑屈になってしまうのは"自己否定"や"自己効力感"が低いのかもしれません。

でも、そうあったとしても、もしかすると心の中では変わりたいと思っているかもしれない。少しでも前に進もうとしている人のことを「自己肯定感が低い」と言う権利が誰にあるのでしょうか?

そもそも高かろうが低かろうが、その人のありのままの姿を認めてあげればいいんじゃないでしょうか。

その上で、本人が「より良くありたい」と少しでも思っているのなら、周りの人が必要なときに支援してあげればいいのではないかなーと思います。

まぁ私の場合は、ネガティブが外に溢れてしまったのがいけなかったのですが。人にかける言葉は気をつけないといけないなと自分も反省です。


めちゃくちゃ長くなってしまいました…
勢いで書いたのであとで読んでうわーってなりそうですが、今日はこの辺りで。

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