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十洲三島鶴の乾坤

昔むかし、武当山の三豊道士は拳法上乗の功に想いを馳せつつ山中を逍遥していた。
すると足下の叢に毒蛇が現れ、三豊に向かい鎌首を擡げて今にも襲い掛からんとする。
……と、天空より突然一羽の鶴が舞来たり、瞬く間に捩る蛇身を長い脚で掴み、嘴を以て蛇の頭を突いて彼方へと飛び去ってしまった。

その見事な去来に妙趣を感じた三豊は、更に工夫を重ね、「内功」を裡に含み外に鶴蛇相斗の意を表した新たな武芸を拓いたという。

これが所謂武当派と言われる太極拳の創始「神話」である。現行の武術史学では、少林派武術達磨開祖説同様、荒唐無稽と否定されがちなエピソードだが、私自身はこの話が大好きだし、長年稽古を重ねていて腑に落ちること再三なのだ。

空手にも大きな影響を与え、福建から台灣迄、北の太極拳に比すべき歴史と広がりを持つ、中国南方を代表する内功武芸「鶴法(鶴拳)」の例を引くまでもなく、昔日の求道者達が、蒼穹を征く鳥たちの、強大でいて軽やかな羽ばたきを生む、首から足先に至る連動の素晴らしさに目を向けなかった筈がない。

本邦でも「日ノ本武芸開山」と賞される備中の竹之内流柔術も、素手の技を「羽手」と言い、一説では相撲の土俵入りの手振りも「鳥の羽ばたき」より取意されるという。
あの力強いモンゴルの国技ブフも「鷲鷹が舞う如く」を以て最上とするらしい。

我田引水になるが、わが甲陽吾妻流の手振りも「羽根遣い」と言って、極めて軽く柔らかなものを善しとしている。

余談になるが「密(甲陽流忍術)」の象徴は鴉。それも太陽中の「金烏」をこそその顕れとする。「密」は「三ツ」に通じ「金烏」の脚の数にも通ずる。さらに余談だが四海五湖の龍神界を渡る燕(つばくろ)もまた、密傅の消息を伝える表彰と言う。

思えば出雲の国譲りの際にも、八重事代主命が「鳥のあそび」を為していたとある。
ノアの方舟に、若葉の芽吹きを伝えた鳥たちのように、地にありながら、重力の鎖より解き放たれた心身の自在性を求めて、今日も稽古を楽しんでいる。

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