3 ヘンリー二世に助け求めちゃったよ!

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12世紀半ばのアイルランドは概ねこんな感じ。四大巨頭が勢力争い。

そして、アルスターの「隻眼王」ディアノン・オロークに、レンスターのダーマック・マクマローが敗れる。
ディアノンは以前妻を誘拐された屈辱もあって、殺害しに掛かろうとするんだが、ダーマックは命からがら国外に逃れ、放浪の末にヘンリー二世に助けを求めてしまう。

ただ、ヘンリー二世は即位したばかりで支配体制を固めるのに忙しく、余裕がなかった為、ウェールズ辺境諸侯にアイルランド遠征の許可を与えた。
ダーマットは意気揚々とノルマン人やウェールズ人を引き連れて、反撃に掛かる。最初は苦戦したものの、巻き返しに成功。ノルマン人たちは、戦術も武器防具もケルト人より進んでおり、いくら地勢を理解しているケルト人たちであっても敵わなかった。

ダーマットはこのとき活躍した通称ストロングボウと呼ばれるノルマン人、リチャード・デ・クレアを娘と結婚させ、次のレンスターの後継者に指名してしまう。
ストロングボウは、優男風な外見で声も小さいのだが、冷静沈着な指揮を振るう智将で、男として惚れ込んだのかもしれないな。

「ダーマットの娘とリチャード・デ・クレアの結婚」 ウォーターフォードの廃墟を背景にドラマッチックな演出を加えて描いた19世紀の画 出典 Wikimedia Commons

これに驚いたのがヘンリー二世。
「このままではノルマン系の王国がアイルランドに成立して、ライバルになってしまう!」
そんな危機感を抱いて、ローマ教皇ハドリアヌス四世からもケルト系キリスト教なんて野蛮なものを信仰している国は征服してしまえ!との大勅書を得て、アイルランド征服に慌てて乗り出した。

国王上陸を受け、リチャード・デ・クレアはレンスター全土を差し出し、二心なきことを誓う。ヘンリー二世はこれを許し、レンスターの大部分を所領として与えた。

ヘンリー二世は、その先進的な武力によってアイルランド征服を成し遂げる。アイルランドの王たちには、貢ぎ物をすることを条件にある程度の土地の領有を許すが、ノルマン人たちは平野部を与えられたのに対し、アイルランド人に与えられたのは丘陵地帯・森林・沼沢地という生産性の低い土地だった。
更に、ヘンリー二世は可愛がっていた末っ子のジョンにアイルランド卿の地位を与えた。やがて、兄全てが亡くなってジョンがイングランド王なるので、イングランド王がアイルランド卿を兼ねることとなっていく。

当初は、より権威のあるイギリス王に治めて貰う方が良いだろうと考えていたアイルランド諸王たちも、理不尽な領土の没収のせいで紛争が多発したことから、プランタジネット朝への幻滅が拡がっていく。


1300年頃の勢力図。
緑がアイルランド人の領域
白がノルマン人の領域

しかし、悪いことばかりでもなかった。ストロングボウのように、ノルマン人の貴族がアイルランド族長の娘と結婚したりして、融和が図られた。
ノルマン=フランスの先進技術が伝えられ、沿岸都市が発達した。

やがてイングランドはフランスとの争いに気を取られ、その隙を突いてアイルランド土着の諸侯も反乱を起こす様になる。
たとえばマッカーシー一族。1261年にノルマン人を打ち破り、一部地域から追い出すことに成功する。この時期になると、アイルランド軍の軍事技術も発達し、優劣はなくなっていた。
また、アイルランド王たちが協力してノルマン人貴族を追い出すという、これまでにない政治的動きも見られるようになる。


ギャローグラスはアイルランドで発達した重装歩兵


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