4 一進一退の植民地時代

荘園と都市の形成

12~13世紀頃、ヨーロッパでは人口が増加し、食糧が高騰したので、人口が希薄なアイルランドで広大な土地を所有して、移民として小作人を連れてくることは、ノルマン人諸侯に豊かな繁栄をもたらした。
だが、土着のアイルランド農民は農奴として扱われ、自由を奪われることとなってしまう。
一方で、ノルマン人諸侯と婚姻関係を結んでいた部族は優遇されてもいたので、アイルランド人の中にも様々なグラディエーションができあがることとなる。
この地方の部族と固い絆で繋がったノルマン人は、アングロ・アイリッシュ貴族として、今後の歴史を通じて一種独特な挙動をして行くことになるんだ。

経済交流の為に、市場やインフラも整えられたし、法律も確りと定められた。

ペスト来襲・入植者本国へ逃げ帰る

1348年の冬に大流行し、全人口の三分の一が失われてしまう。
特に、ノルマン人が集中する都市部で多くの犠牲が出た。
イギリスに逃亡する入植者が後を絶たず、荘園や田畑は放棄されたが、それが逆に、アイルランド人復興に繋がり、戦乱の時代となった。
武装したアイルランド人たちが、山賊になったり傭兵になったりして、やがて武力で各地を治めるアイルランド領主が誕生する。

しかし、大半の領土がノルマン系領主であることは変わらず、イギリス本国に逃げ帰った領主の元へと富が吸い上げられることになり、アイルランドの財政は枯渇していく。

この放置状態はエドワード一世から二世までの治世で続き、アイルランドの富は、専らスコットランド・ウェールズ・フランスへの戦費に使用された。

アングロ・アイリッシュ貴族たちはこういったイギリスの姿勢に強い不満を抱いていくようになる。
そして、アイリッシュ文化の復興にも力が注がれるようになった。
ラテン語のゲール語(アイルランド語)への翻訳。
ゲール系の芸術家や詩人、歴史家、法律家の育成。
こうして、アングロ・アイリッシュ貴族は、アイルランド文化に傾倒するうちに「アイルランド人以上にアイルランド的」と言われるほど、地元に同化してしまった。


イギリスの危機感

当時のダブリン政府は、イギリスの出先機関なんだが、イギリス人移住者の急速なアイルランド化に不安を抱いて、アパルトヘイト的な法律で民族差別や隔離政策を実施するんだが、数でも優勢を誇り、武力でも対等となったアイルランド人の方が立場は強く、イギリス人が入植しようとすれば、アイルランドへの同化は避けられなかった。

イギリスはフランスやスコットランドとの戦争で余裕がなかったし、相変わらず半ば放置状態。

14世紀末になって、フランスとスコットランドとの戦争が終わったので、リチャード二世は一万余りの大軍を率いてアイルランドに乗り込む。
快進撃を続け、次々とゲール領主たちを屈服させて、意気揚々とイギリスに帰還したんだが、数ヶ月後に反乱が続出。
総督に任じていた世継ぎのロジャー・モティマーも殺され、激怒したリチャード二世は1399年に再び侵攻するが、アイルランド諸侯も学習して、巧妙に闘い、容易に屈しなかった。
その間に、ランカスター公ヘンリー四世に王位を簒奪され、急遽イギリスに引き返したが、幽閉されて暗殺。

内部紛争に明け暮れるイギリスのランカスター王朝はアイルランドに介入する余裕が全くなくなり、アイルランドのゲール人とアングロ・アイリッシュは共存する生き方を学び、イギリスの植民地は、大幅に縮小される。

この時代の勝者は、アングロ・アイリッシュ貴族。
なかでも、バトラー伯爵家、二つのフィッツジェラルド伯爵家は、三大名家として名を馳せることとなる。

薔薇戦争も落ち着いた頃、アイルランドのイギリス人入植者たちは、デズモンド・フィッツジェラルド伯の支配が酷いとエドワード四世に訴え、これに応えて、1476年、ウスター伯サー・ジョン・ティプトフトという「殺戮者」という渾名を持つ苛烈な人物が派遣される。
そして、ティプトフトの采配により、デズモンド・フィッツジェラルド伯とその弟キルデア・フィッツジェラルド伯はアイルランド人との親密な関係を問題視され、処刑されてしまう。

だがこれは、ゲール系領主、アングロ・アイリッシュ領主の同情と反発を招き、大規模な反乱が巻き起こる。
「殺戮者」ティプトフトの手には負えず、講和してイギリスに帰り、更に彼は政争に負けて処刑される。

イギリスによるアイルランド統治の難しさを理解したイギリスは、アングロ・アイリッシュ貴族を通じて間接的に支配する統治スタイルを選ぶことになる。
1847年、民衆から敬意を込めて「大伯爵」と呼ばれたキルデア伯ガレット・モア・フィッツジェラルドがアイルランド総督の地位に就き、六人の娘を、アイルランドの名家に嫁がせたことによって、揺るぎない地歩を築く

イギリスも武力や立法によって幾度もアイルランドの支配を強めようとするが、強固な反抗に合い、大局を覆すには至らなかった。

次回はついに、ヘンリー八世の大暴れ…!


吟遊詩人の活躍


アイルランド最後の盲目の
吟遊詩人 ~ オキャロラン(1670~1738)

古代から活躍していた吟遊詩人だが、戦乱の世が続くに従ってその存在感は薄れていた。
しかし、12世紀後半にアングロ・アイリッシュ貴族たちが、アイルランド文学を大事にし始めたことにより、吟遊詩人たちも大事にされるようになる。
それは17世紀頃まで続いたらしい。

日本で言えば、平家物語を語る琵琶法師たちのように、各王宮に招かれては、英雄物語を歌い奏で、もてはやされた。
更に、各地を渡り歩いたことにより、情報にも詳しくなり、そういった意味でも、政治や軍事の情報源として重宝されたようだ。

語られたのは上王に仕え、フィアナ騎士団を率いて奮戦した勇者フィンの生涯がメインで、ゲーテやシラー、ワーズワースといった著名な文学者の作品にも影響が現れているとされる。


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