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脳構造マクロモデルで読み解く人間行動選択#12 エマニュエル・トッド(3)世界の幼少期の終わり

数千年という長い期間を掛けた識字率の向上という「世界の幼少期」の終わり。不連続で激しい変化の先を見通すために何が必要なのだろうか。

ソビエト連邦の崩壊、アメリカシステムの衰退、イギリスのEU離脱を予見し、現代の世界最高の知性の一人と称される、フランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッド。

トッドは人口統計データの空間的な分布と歴史的な推移を俯瞰することで、近現代のイデオロギー・システムとして立ち現れる政治現象や、経済的成長の源泉となる文化的成長が、集団の諸価値が意識・無意識に埋め込まれている「家族構造」にその源泉となる構造があることを見通した。

前々回#10前回#11で、『世界の多様性』に収録されている、トッド30代の初期の著作『第三惑星ー家族構造とイデオロギー・システム』(1983年)、『世界の幼少期ー家族構造と成長』(1984年)の構造を、豊田・北島が纏めた脳構造の振る舞いを記憶を含めて体系的に説明出来る脳構造マクロモデル、国際的には、H.サイモンの限定合理性、A.ニューウェルのMHP、D.カーネマンの2mindsなど関連する理論を統合的したと高い評価を受けている、MHP/RT(Model Human Processor with Real Time constraints)を用いて確かめて来た。
(MHP/RTの概要と国際的な評価については本稿#0を参照されたい)

今回はトッド読解のクロージングとして、まず、今回の読解作業を通じて、本稿筆者が感じた、トッドに「家族構造」の原理を発見させたアプローチの構造的な背景を推定してみたい。

最後に、トッドが着目した観点と脳構造マクロモデルの持つポテンシャルを重ね合わせながら、トッドがマクロ史観で見通してきた近現代の変容とその構造について、現代の急速な環境の変化を踏まえた、これからの見通しを、少し展望してみたい。

トッドに「家族構造」の原理を発見させたもの・1
独創性~時空間の推移を地図で俯瞰する

『第三惑星』と『世界の幼少期』に表された、30代の若さでトッドが導いた、「家族構造」により近現代の政治現象も経済的成長もその構造を説明できるという、シンプルな原理。

この構造は、とてもシンプルである点で秀逸であり、かつて他になかったという点で独創的である。この秀逸で独創的な成果は、人口統計データという過去の事象の蓄積に依拠しながら、それまでの常識的な見方には安易に拠らず、常識を前提とした有識者たちの痛烈な批判にも屈しないという、真に研究的な態度の現れといえる。

トッドが独創性を発揮できた大きな要因の一つは、空間と時間を視覚的に重ね合わせて、関係性を見出した、という点にある。

トッドは、歴史人口学者として、人口統計データという客観的なデータを用いてながら、家族分類、イデオロギー・システム、識字率、結婚年齢、経済成長などの複合的なデータの分布図について、長いスパンで歴史を俯瞰するマクロ史観を拠り所にして、時系列の推移を追っていくという、空間と時間を地図上に重ね合わせる思索を重ねた。

このアプローチが、外婚制共同体家族と共産主義の分布の一致、権威主義家族(縦型双系制家族)と1850年代のヨーロッパの識字率や1979年の一人当たりの国民総生産の分布の一致という、時空間を超えた「家族構造」の原理につながる関係性の仮説を着想させた。

トッドは歴史人口学や人類学、社会学だけに拠らない多様な知識を持ち、丹念な世界各地のデータの検証を重ねて、「家族構造」が世界の近現代の歴史に適用できる「原理」であることを立証していくが、仮説の基になった気づきは、時空間を地図に重ね合わせて俯瞰することによって生まれた。

この人口統計データに基づく様々な分布地図(つまり地域間の差異を表した地図)を、空間的、時間的に重ね合わせる、というトッドの視線と思考は、先人たちが文字や言語だけで思索を重ねていたのでは辿り着かなかった、すなわち、見えていなかった「構造」を、30代のトッドに見出ださせることに繋がったのである。

脳構造マクロモデルから考えれば、時空間分布の重ね合わせを視覚的に捉えることは、間接的に2次情報として認知次元を上げることに繋がる。トッドは、2次元の家族類型の分布図を、歴史という時間軸方向に拡張し、更に政治や経済他分野を重ね合わせて拡張された「認知次元」を手に入れていた、と想定できる。

そして、すぐにアウトプットを出すことを求められない、長い時間を掛けた思索という制約時間の緩い研究活動の条件下で、拡張された認知次元=時空間をまたぐ分布図を横断する、構造を見出す論理的思考が生まれた。このようなシステム2主導の積み重ねが必要な思考・思索には、年単位の長い時間が必要となる。短期的な時間スパンでは、この構造に辿り着くことは難しかっただろう。トッドが若いころから重ねてきた学究的で分野横断的な思索活動が、時空間をまたぐ分布図という独自のパターン認識能力と組み合わさり、30代に実を結んだのである。

トッドに「家族構造」の原理を発見させたもの・2
批判精神~常識に安易に追従しない

もう一つ、トッドの研究活動の基底には、既存の政治学、経済学では、これまでの現象を説明出来ず、これからの未来も予測できない、という批判精神がある。

『世界の幼少期』の序章の冒頭に、この著作の論理の骨子と共に、トッドの批判精神を観ることが出来る。

「今日、成長は主として経済的な現象とみなされている。仮にある国の住民一人当たりの平均所得が一定水準より低ければ、その国は低成長国とみなされる。一年間あるいは10年間の成長率が進歩の度合いを測る物差しとされる。第三世界のテイクオフを待ち望む社会学者や政治家たちは、純粋に経済的な指標の分析-投資率、天然資源の所有量とその価格の世界市場での推移-のなかに、地球上のかなりの部分の明らかな停滞に関する説明を見出すとともに、ヨーロッパ北西部の工業化に次ぐいくつかの経済的なテイクオフを観察してきた。わけても日本のそれ、さらに最近では韓国やブラジルといった国々の成長をである。
 このような成長のプロセスについての視野狭窄な捉え方は、経済を中心的で自立的な核とみなしているため、袋小路に入り込むことになる。このような見方では、過去に起こった成長を説明できないのである。日本のような国は、天然資源に恵まれず、経済的な初動の切り札を持ち合わせていなかった。このような見方では、未来の展開を経験的に予測することはできないのである。さらにまずい事は、このような見方では、第三世界と呼び習わしてきた地域の半分で現在進行中のテイクオフを認知することができないのである。まだ生活水準の向上や平均所得の増大として提示できない「経済的」でも「物質的」でもないテイクオフを。その非物質的、文化的な成長は、心性の革命のかたちをとって進行するそれはまず、アルファベット化=識字化率の向上として現れる。つまり一般的に計算し測定する能力に結び付けられている知的な基本技術である読みの技術の社会的な普及によって現れる。(中略)次にそれは死亡率と出生率の低下として現われる。身近な生物学的な環境を制御できるようになるのである。第三の段階で成長は、ようやく工業製品の製造による物質的な富の増加として現われる。」
(『世界の幼少期』序章、p.298、太字は本稿筆者)

批判精神は既存の学問アプローチによる限界と誤謬がある、という認識をトッドに拠って立つところとして与えた。批判精神を基底において、『第三惑星』、『世界の幼少期』の構造の骨子を本稿筆者が纏めてみたものが下図である。

トッド纏め図解

「世界の幼少期」の終わり

トッドは、識字化が世界に行き渡った後の世界を『世界の幼少期』の最後でこう述べている。

「文化現象の優位性を明らかにし、ある種の経済政策の幻想性、もしくは有害性を明示したとしても、それは決して地球の未来に悲観的な姿勢を取ることを意味しない。反対である。リズムの相違はあるとはいえ、識字率の上昇は普遍的な現象なのである。現在の統計学的なカーブによれば、あまり遠くない将来、完全に識字化された世界、つまり、無知から解放された世界をかいま見ることができるのである。もちろんそのような状況は、識字化と完全な経済的テイクオフとの間にかなりの時間が必要であるとしても、もっとも緊急を要する人口問題と、経済問題の解決に繋がるものであろう。世界の歴史で特権的な瞬間となるこの未来の瞬間は、文字の発明から人類全体がそれを習得するまでの数千年に及ぶ長期の学習の終了を意味する。それは人類の長い幼少期の終わりを印すものである」
(『世界の幼少期』, 結論, p504)

我々の生きる2020年代は、まだ世界の識字化は100%に到達していない。拠って、識字化の上昇に伴い、これから成長をしていく地域もあるだろう。しかしながら、既に識字化が既に100%に達しつつある地域のこれからの変容や成長の潜在力は、もう識字化の状態では測ることができない。

トッドの批判精神に倣い、既存の方法の適用限界と捉えるなら、マクロ史観で俯瞰したときに、これまでの近現代における文化的成長と一対であった「識字化」は、これからの成長の潜在力を現す役割を終えようとしているように思える。

世界は長い幼少期の終わりを迎えつつある。

文字の読み書きが、ほぼあまねく出来るようになった世界において、次なる「成長」を表す共通指標は何なのだろうか。すなわち、政治、経済、人口動態の変容を主導する人類の普遍的な成長の原動力、潜在力となることは何だろうか。また、これからの変容は、果たして「成長」と呼べるのだろうか。

そしてこれからの変容・成長の差異を説明する、社会の基底にある価値観とは何なのだろうか。もし、「家族構造」が最も身近な社会集団環境としての影響力を持ち続けるのならば、「世界の多様性」を説明しうる、すなわち、集団の共通性と差異を共に識別しうる、これからの「家族構造」に投影されていく「価値観」とは何であろう。

マクロ的に観れば、50年後に振り返ってみれば、その答えは見つかっているかもしれない。しかし、現代の現時点において、これらの問いに答えを見出すことは簡単ではない。

ここまで、#10、#11も含めて、トッドの卓越した知性がもたらした「家族構造」が、マクロ史観で観たときにこれまでの近現代の「差異」を説明しうる「構造としての共通性」にフォーカスしてきた。

もし、環境の変化速度がこれまでとは異なる時代においても、差異を生み出す「構造」があるのならば、これからの時代の新たな原理を導き出しえる「構造」は、より多様になってきている差異を説明可能にした上で、一定の共通性を持たなければ「構造」になりえない。

ここからは、これまでのトッドの「構造」への視座を基に、現在から未来を簡単に展望してみよう。

現代の環境の急速な変化
~集団的枠組みが溶解していく時代の原理的「構造」を見出すために

現在は、インターネットやスマートフォンなど、ICT環境やツールの急速な普及などにより、高度にネットワーク化が進んだ一方で、生物学的な環境、政治的な環境、経済的な環境など、様々な「環境」は、大幅にその変化の速度を加速している。

プラットフォームとしてのICT環境の共通化の進展はあるが、マクロ史観に基づく家族構造のシンプルな分類による価値観の「差異」だけでは、最早捉えることが難しい「差異」の詳細化と拡大に直面している、と言える。

たとえば、同じ権威主義家族に分類されるドイツ、イスラエルと日本でも、この数年の政治状況、今後の成長の足掛かりとなる科学技術に関わる状況は、そのアプローチ(方法論や政策など)も含めて、大きく異なる。

時間スパンの短い最新の変化は、人口統計データのような時間スパンの長い統計データの変化で説明するべきものではないので当たり前だが、近年の同じ家族分類に属し識字率も同様に高い国の間の差異は、例えば「女性の結婚年齢の上昇」のような家族構造を背景とした統計データでは説明できない。

つまり、これまでの「家族構造」分類に包含された価値観だけでは、環境の急速な変化に伴う、これからの変容や成長を見通せない状況に立ち至っている。

トッドも、その最新著作の『エマニュエル・トッドの思考地図』(2020年12月初版)の序章で、このような現在の状況を「集団的枠組みの溶解・消滅」と表現している。更に、『経済幻想』(1998年)での考察も踏まえて、集団的枠組みが崩壊・溶解した中では、個人は自由になるのではなく、制約条件としての土台を失い、個人は縮小し、思考能力の低下すら招いている、と指摘している。

このトッドの「集団的枠組みの崩壊に伴う個人の思考能力の低下」という指摘も、これまで本稿で繰り返し触れて来た通り、脳構造マクロモデルで考えれば、人間は集団種であり、属する社会集団環境がもつ脳の発達過程への影響力を考えれば、うなずける話である。

つまり、集団的枠組みが崩壊する=属する社会集団環境の価値観が溶解することによって、思考能力を司るシステム2の発達に必要な基底パターンや抽象的思考力に必要なパターン間の(シナプスとしての)連携を強化する、身近な社会から身体的な情動をともった体験的記憶をフィードバックできる機会が薄弱化してくるのである。集団的枠組みの崩壊度合いによっては、自動自律処理系のシステム1に不可欠な、初動的な情動体験記憶の機会も希薄化してくる可能性すらある。

言い換えれば、ここから先は、個人の能力をそれぞれに伸ばす集団的環境を、現在の環境変化速度に合わせた上で、#11で触れた脳構造の発達の段階を十分に考慮しながら、中期的に、どのように集団的に整えていくのか、という難しいデザイン能力と匙加減が問われる時代になって来ている。

#11では、Cognitive2021で採択された豊田・北島のMHP/RTをベースにした発達段階モデルについては、「共通構造」として、年齢段階の観点についてのみ、簡単に触れただけだが、このMHP/RTに基づく発達段階のモデルの本質的な重要性は、共通構造を語ることにはない。

環境によって異なる人それぞれの能力に応じた発達を促すための教育と環境の発達段階に応じた対応とそのデザインこそが、このモデルから導き出される、これから集団として取り組むべき本質的なポイントである。

人間の振る舞い・行動を統合的に説明できる脳構造マクロモデルのMHP/RTが持つ本質的なポテンシャルは、発達の教育的デザインにも疑いようがなく発揮されうる。このことは、#0で触れた通り、北島がOECDが主催するPIAAC(Programme for the International Assessment of Adult Competencies,国際成人力調査)の第2回調査の設計部会に招聘されたことにより、国際的な高い信用力として既に裏付けされている。

これからの女性の地位を巡って

トッドが近現代の成長の潜在力を説明した、家族構造に埋め込まれた「女性の権威」の高さによる違いについても、触れておきたい。

翻ってみれば、女性の地位が相対的に低いことが共通項となっていた時代や環境の差分要素であったからこそ、家族構造に投影された「女性の権威」「女性の地位」の差異が、成長力の差異を説明できる要因となったと捉えることもできよう。

しかし、体力面や運動能力面における身体的な性差が、成果に直結していた時代は終わりつつある。身体的な運動能力の差は、ICTツールやロボットが埋めてくれる。

性差による人間の能力差の測定は、生育環境要因の影響が大きいため、非常に難しい。しかしながら、偶発位置記憶など認知能力が関わる部分では女性の方が能力が高い例が報告されているなど、少なくとも認知能力においては、控えめにいって性差がない、場合によっては女性が優位、と捉えるべきである。

つまり、アウトプット能力はICTツールなどが補ってくれるのであれば、脳構造で考えても、インプットとなる認知能力に少なくとも差がない、場合によっては能力が高いケースもある、女性をもっと活用する方策を社会的に講じることが、これからも集団にとって優位な結果を導くはずである。
「女性の権威」の高さが近現代の成長の潜在力の源泉となってきたように。

即ち、身体的な制約や慣習などから、能力の発揮機会が社会的に抑制されてきた女性を、より多くの局面で能力が発揮できるような社会的な環境を整えることは、今後の社会集団の成長にとって必要不可欠な要素になる。

統合的に、能力を発揮できる環境を育てていく為の社会的な「(文化的)態度・心理」やこれを継続させる「文化的環境」を含めた整備(どちらかといえば刷新)と表裏一体で進める必要があり、集団としての価値観の更新に必要な複数世代をまたいでいく時間を要する話にはなるだろう。

これまでの文化的成長を牽引してきた識字率の完全化という世界の長い幼少期が数千年という期間を経てもまだ完結していない。ただ、識字率のもたらす効用が明らかに示すように、たとえどれほどの時間が掛かっても進めることが、集団としての成長に繋がるのだから、表層的な役職の付与などに留まらず、集団全体で本格的に、どれほどの時間を掛けてでも、刷新をやるしかない、のである。

最後に~脳構造マクロモデルのポテンシャル

脳構造マクロモデルは、変化の激しい現代においても、人間の洞察と理解、人間集団の共通項と差異の洞察と理解に大きな役割を果たす。

脳構造マクロモデルは、人間の脳の振る舞いとその結果である行動選択を説明する。即ち、「脳構造」という「共通部分」に基づき、脳構造が並列分散処理で複雑系の振る舞いを取り、環境依存性が高いことによる人間の「多様性」、環境を同一とする人間の集団として近似性や共通性を説明する。

現代の細分化された「差異」を読み解いていくには、共通である「脳構造」を踏まえて、差異をもたらす「構造的」な要因を、その差異を生じる問題に応じて、一つ一つ読み解いていく以外にはない。

次回は、カーネマンの創始した行動経済学から連なる開発経済学のアプローチ、即ち、脳構造×認知行動科学を基にしたアプローチを用いて、現在の複雑な貧困問題に取り組んでいる2019年のノーベル経済学者、エステール・デュフロとアビジット・バナジ―の『貧困の経済学』を読み起こしながら、この現代の問題の複雑さに脳構造マクロモデルが果たしうる役割について確認していきたい。

(the Photo at the top by @Photohiro1)

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