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脳構造マクロモデルで読み解く人間の行動選択#8『モラル・トライブス』(1)

本シリーズ3番目は、道徳判断に関わる脳の構造や情報処理がデュアルプロセス(二重過程)であることを示した上で、現在の社会課題の根源の一つである「自分の部族の直感的反応の限界」を超えて、これからの時代の道徳の在り方を探っている、アメリカの気鋭の心理学者・哲学者のジョシュア・グリーンの2013年の著書『モラル・トライブス』(日本語版2015年刊、上下巻)を取り上げる。

モラル・トライブス(1)
道徳脳は二重過程(デュアルプロセス)である

ジョシュア・グリーンは、現在ハーバード大学の心理学科教授で、行動経済学の創始者ダニエル・カーネマンの研究パートナーで脳神経科学の大家ジョナサン・コーエンらと共に、2001年にサイエンス誌に道徳ジレンマのトロッコ問題を題材にして脳をfMRI(磁気共鳴機能画像法)でスキャンした結果から道徳脳が二重過程(デュアルプロセス)であることを示す論文を発表し、一躍アメリカの心理学領域のフロントに躍り出た気鋭の心理学者・哲学者である。

グリーンは、道徳判断が二重過程構造を持つ情報処理であることを核に、緻密な哲学的論考を重ね、現在の社会課題の一つである自己集団内の道徳感による対立や分断をどう乗り越えていくかについて、「何とか、いまよりもうまくやっていく」ための方法論として「深遠な実用主義」になりえる「功利主義」の適用を提案する。

『モラル・トライブス』は、日本では主に哲学にカテゴライズされる本だが、心理学と脳神経科学の豊富な研究から脳の道徳判断に関する情報処理が「オートモード」と「マニュアルモード」の二重過程であることを明記している、現在の最新の認知科学のスタンダードでもある。

シリーズの第1回は、二重過程(デュアルプロセス)とはどういうことか、についての理解をまず深めたい。二重過程が意味することは仕組みが単に2つ並存している、ということだけを意味するものではない。2つの仕組みがどのように関係して動作するかを理解することがポイントとなる。
今回は、道徳脳の二重過程理論を生み出す、グリーンの研究の心理学と脳神経科学を横断していく研究の経歴をトロッコ問題を軸に辿りながら、グリーンのいう脳構造の二重過程についての理解を深めよう。

今回は、とりわけ長文で難解な原稿になるが、時間のあるときにじっくり読んでみていただけると嬉しい。本稿最後に、本シリーズの特徴である、豊田・北島の脳構造マクロモデルの意義と意味を、グリーンの二重過程脳の論考と対比して考察する。

トロッコ問題~歩道橋ケースとスイッチケースの違い

グリーンの道徳脳の二重過程理論へのアプローチは、やはり、まず最初にグリーンの代名詞ともいえるトロッコ問題を理解することから始めたい。本シリーズ第5回ジョナサン・ハイト『The Righteous Mind』読解の第2回で直観を意味する<象>の特質3の箇所で、グリーンの研究の一つと合わせて簡単に紹介しているが、改めてトロッコ問題の基本構造とバリエーションを確認しよう。

トロッコ問題は、暴走するトロッコの前方線路上にいる5人の命を救うために、別の1人の命を色々なケースとやり方で犠牲にすることは是か非かを問う、道徳ジレンマである。ケースとやり方の違いにより、この道徳ジレンマは、様々なバリエーションがあり、バリエーションごとに、被験者の回答に広く差が見られる

一つ目はトロッコ問題の「歩道橋ケース」。「歩道橋ケース」では、被験者は線路を眺める歩道橋の上にいる設定になる。目撃した暴走しているトロッコの線路の前方の5人の作業員を救うためには、被験者(あなた)は、同じく歩道橋にいる、目の前の1人の人を歩道橋から突き落としてトロッコを停めるという選択肢しかないと提示される。この状況で、あなたはこの人を突き落とすことを道徳に容認できるかどうか、という設定が「歩道橋ケース」である。

これに対して「スイッチケース」では、暴走するトロッコの線路の前方に5人の作業員がいるという状況は同じだが、あなたは、歩道橋の上ではなく、遠くで線路のポイントを切り替えるスイッチを持っているという設定になる。スイッチを押してポイントを切り替えれば、直線前方の5人の命は救えるが、ポイントを切り替えた先の線路にいる1名の作業員は命を落としてしまうという設定になる。

文章だけだと分かりづらい場合、以下の図8-1を参照されたい。

8-1-トロッコ―1

どちらも5名の命対1名の命という選択をするという構造は同じなのだが、この2つのケースに対する、心理実験の結果は、大きく異なる。歩道橋ケースでは、突き落とすことを支持する人は被験者の31%なのに対し、スイッチケースではスイッチを押すことを支持する人は87%に上る

「ほとんどの人が、他の5人を救うために、男を歩道橋から突き落とすのは間違っていると答える。ただし、少なくともジレンマの前提を受け入れるのであれば、これは功利主義的回答ではない男を突き落とす行為はより大きな善を促す。それなのに間違っているように思われるのだ
(第4章, p.148、太字は本稿筆者)

功利主義的回答とはより大きな善を生み出す方の回答という意味で、トロッコ問題の文脈では、1人の命を犠牲にして5人を助けるという回答を指す。
「歩道橋ケース」と「スイッチケース」の2つのケースにおいて、これほど顕著な回答の違いは、なぜどのように生まれるのか?

この理由と理由を生み出す構造を探求していくことでグリーンは、脳神経科学に基づく脳構造の研究成果とリンクした、道徳判断には「オートモード」と「マニュアルモード」があるという道徳脳の二重過程理論に辿り着く。
(グリーンの道徳脳の二重過程の2つの機能「オートモード」と「マニュアルモード」については次回説明するが、ここでは「オートモード」はハイトのいう直観や情動に基づくメカニズム、「マニュアルモード」は意識や論理的思考に関わるメカニズムと置き換えて貰ってよい)

グリーンはトロッコ問題を「道徳のショウジョウバエ」とも呼んでいる。トロッコ問題を使うことで、道徳心理の様々ケースをモデル化して検証できるからだ。トロッコ問題、「歩道橋ケース」と「スイッチケース」の違いの考察には、「個人の権利とより大きな善の緊張関係」という深淵な哲学的問題が内包されている、とグリーンはいう。

トロッコ問題が包含するこの哲学的問題を、少し拡張して「特定集団の善とより大きな善の緊張関係」とすれば、『モラル・トライブス』の象徴的主題である、集団間の価値観・道徳の違いがもたらすグリーンのいう「常識的道徳の悲劇」の解決へとつながる命題であることを見て取れる。

『モラル・トライブス』の「共通の道徳哲学へ」という副題に表されるように、丹念に色々なトロッコ問題を軸にした様々なケースを検証し、fMRIを活用した脳神経科学の結果と突き合わせて論考を重ねて二重過程脳理論にたどり着くまでのグリーンの緻密な解明の道筋について、高校時代、大学時代のグリーンの研究と成長のエピソードから、まず眺めていこう。

高校生のグリーン~ディベートと敗北感

高校時代のグリーンは、ディベートチームに入り、ディベートにのめり込んだ。ディベートの技術を磨き、経験を積む中で、グリーンは18世紀と19世紀のイギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムとスチュアート・ミルが創始した「功利主義」を「発見した」。

功利主義についても詳細は次回で触れるが、『モラル・トライブス』における主張の核となる考え方である。グリーンはこの言葉が持つ一般的なイメージの誤謬を払拭し、功利主義の持つ意義と意味についてのより広い層への理解の拡大に向けて、『モラル・トライブス』の中で、非常にきめ細かい論考と説明アプローチを積み重ねている。ただ、現時点では、グリーンの高校時代における功利主義の捉え方を理解してもらえれば十分である。おおざっぱにいえば功利主義とは、「何であれ、すべての当事者にとって、全体として最善の結果をもたらすことを行うべきである」「人間は、何であれ、より大きな善をもたらすことを行うべきである」という考え方である。

グリーンは、ディベートにおいてどのような立場に立たされても、いつでも援用できる功利主義戦略を大いに気に入った。功利主義を使ったディベートの必勝パターンを見出し、若者特有の無敵感・全能感を味わっていた。ところが、高校三年生のときの大会で、手ひどい敗北を喫する。

対戦者「あなたは、人はなんであれ、最善をもたらすことを行うべきであると言っています。よろしいですか?」
うかつな私「はい。」
対戦者「それでは・・・・ここに5人の人がいるとしましょう。全員が死にかけています。それぞれ臓器に問題があるのです。ひとりは肝臓の障害、ひとりは腎臓の障害、といった具合に。」
うかつな私「は、はあ。」
対戦者「功利主義の医者がいて、彼らを救うために、ひとりの人間を誘拐して、麻酔をかけ、いろいろな臓器を取り出し、この5人に移植したらどうでしょう。最善の結果がもたらされるではありませんか。いかがです?」
(第4章, p.142)

この敗戦に終わったディベートでの自身の弁論内容をよく覚えていないという。しかし、この敗北を契機に、彼女のいない高校生だったというグリーンは、自分が信じることのできる主張と論理を見失い、自信も失って、ディベートへの情熱も失ってしまう。

ダマシオの『デカルトの誤り』、コーエンとの出会い
~道徳脳の二重過程理論へ~

92年にビジネスを指向してペンシルベニア大学ウォルトンスクールで大学生になったグリーンは、心理学者のジョナサン・バロンと出会い、専攻を哲学に変更する。哲学への興味関心を高めたグリーンは、ハーバード大学に移籍、最初に受けた「考えることを考える」講義のシラバスで「トロッコ問題」に出会う。この「トロッコ問題」こそ、高校時代のグリーンに手ひどい不意打ちを食らわせた「臓器移植」ジレンマの大元であった。

トロッコ問題に巡り合ったハーバードでの大学生時代に、道徳脳の二重過程理論へとつながる、道徳的思考を「抽象的思考」と「共感的思考」の2つに分けた「2つの道徳」という論文を執筆する。そして、行動神経科学の講義で、本稿シリーズでも何度も登場している脳神経科学者のアントニオ・ダマシオの『デカルトの誤り』に出会う

「前頭前野腹内側部(vmpfc)を損傷した患者は、普通の生活は出来るが、意思決定が出来ない。この原因はvmpfcの損傷による情動の欠損にある(言い換えれば、人は情動が働かないと意思決定できない)」というダマシオの指摘にグリーンも大いに刺激を受けた。そして「トロッコ問題」の「歩道橋ケース」と「スイッチケース」にこの事例を適用することを思いつく。

即ち、健常な脳を持つ7割近くの人が、脳の「オートモード」により、選択を躊躇してしまう「歩道橋ケース」でも、vmpfcを損傷している患者であれば、躊躇せずに目の前の1人の人を突き落とし、より多くの人の命を救うという功利主義的な回答をするのではないか、と予想した。

このアイデアを「道徳的心理と道徳的進歩」と題するハーバードの卒業論文に纏め、グリーンは97年にプリストン大学の哲学科博士課程に進む。そして、プリンストン大学に新設された「脳、心と行動研究センター」の責任者として赴任していた脳神経科学者のジョナサン・コーエンと出会う。

vmpfcを損傷した人が周りにおらず、自分のアイデアをどうやって検証するか悩んでいたグリーンは、コーエンに面会を申し込む。グリーンのトロッコ問題の話を聴いていたコーエンは「腹側と背側だ!」と叫んだという。

グリーンは「歩道橋ケース」でノーと言わせる原因として情動に注目していたが、脳神経科学の大家でちょうど認知制御をfMRIで研究していたコーエンとの会話で、「スイッチケース」でイエス=功利主義的回答(1人を犠牲にして5人を救う)を導き出す脳の機構が、前頭前野背外側部(dlpfc)が担う認知制御であることを理解した。

即ち、当時のグリーンは、功利主義的回答(他の条件がどういつならより善いことを選択する。すなわち1人を犠牲にして5人を救う)をするのことは功利主義を理解している人にとっては自明と捉えていたが、脳の機構から捉えれば、情動が起こるのがまず自然で、情動が功利主義的回答を阻害し、この情動による功利主義的選択への妨害を認知制御を行う機構がコントロールすることで功利主義的回答が生まれる、という構造に辿り着いたのである。
(本稿筆者作成の図8-2参照)

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二重過程理論と名づけたのははっきりと異なる、ときに競合する場合もある、自動反応と制御反応の存在を仮定しているからだ。(中略)。
「スイッチ」ケースに対する反応では、私たちは、dlpfcを使って功利主義的な意思決定ルールを意識的に適用する。後で詳しく説明するいくつかの理由により、「スイッチ」ケースに含まれる加害行為は情動反応をそれほど引き起こさない。その結果、私たちは功利主義的に反応して、スイッチを押し、救える人の数を最大化することを支持する傾向がある。「歩道橋」ケースに対する反応でも、私たちはdlpfcを使って功利主義的意思決定ルールを適用する。しかしこの場合は、どういうわけか加害行為が、前頭前野腹内側部(vlpfc)による(比較的)強い情動反応を誘発してしまう。その結果、ほとんどの人がこの行為を間違っていると判断する。その一方、この判断が、功利主義的な費用対効果分析に逆らうものであることも理解している」
(第4章トロッコ学, p.158-9、太字は本稿筆者)

改めて注意していただきたいのは、「二重過程」という表現が含む構造である。二重過程という言葉は、単に仕組みが2つあるとか、並列である、ということだけを意味しない。グリーンが上記の引用の冒頭で述べているように、「はっきりと異なる、ときに競合する場合もある」並列分散処理で、かつ、並行処理が行われるプロセスである、という趣旨を内在している。この観点の詳細は、最後のMHP/RTによる読解の項で説明する。

この二重過程理論のアイデアは、コーエンが実施していた脳神経科学のアプローチである健常者の脳をfMRIでスキャンするという方法により、トロッコ問題の「歩道橋ケース」と「スイッチケース」で検証される。このコーエンとグリーンらによる検証の結果を纏めた共同研究が、冒頭に触れた2001年にサイエンスに発表された論文(Greene, J. D., Sommerville, R. B., Nystrom, L. E., Darley, J. M., & Cohen, J. D. (2001), An fMRI Investigation of Emotional Engagement in Moral Judgment, Science, Vol. 293, 2105-210)である。
この論文は大きな反響を呼び、アメリカの心理学、社会学、脳神経科学などの複数の関連領域の研究者が横断的に、トロッコ問題の探究とfMRIを活用した脳スキャンを行う大ブームを引き起こした

腹側~情動のvmpfcと扁桃体~の働き

2001年の論文では、認知制御とdlpfc、情動反応とvmpfcは、それぞれ相関関係がある、ということまでしか確証が得られなかったが、この論文が引き起こしたブームに連なる後続研究に拠り、認知制御と情動などの道徳判断と関わる脳の機構的な働きが、単なる相関関係に留まらず、因果的な関係を推定できるまで、明らかになってきた。

まず、UCLAのマリオ・メンデスらの前頭側頭型認知症(FTD)の患者の道徳判断の調査である。FTDの患者は、ダマシオが例示したvmpfcを損傷した患者とよく似た、感情の鈍化、共感能力の欠如の症状を示すことで知られている。メンデスらは、FTD患者、アルツハイマー患者、健常者の3グループに対して「スイッチケース」と「歩道橋ケース」を提示した。この結果、「スイッチケース」では3つのグループに差は見られず少なくとも80%が、スイッチを押して5人を救うことを支持した。一方、「歩道橋ケース」では、1人を突き落として5人を救うことについて、アルツハイマー患者は20%、健常者でも同程度の支持であったのに対し、FTD患者は約3倍の60%近くが突き落とすことを支持した

更にダマシオ自身らも、vmpfc損傷患者にグリーンたちの作ったジレンマを提示したところ、歩道橋ケースのような「人身的」道徳ジレンマで、vmpfc損傷患者は他の人より5倍近く功利主義的回答(1人を犠牲にして5人を助ける)を支持すること確認する研究を発表している。加えて、健常者の場合、功利主義的回答に対する躊躇と、手のひらに汗を掻くなどの生理的現象(生理的な覚醒を示すとされる)が結び付くことも確認している。

更に別の複数の研究により、情動に関係する脳領域の部位として扁桃体があることも確認された。グリーンの研究室のアミタイ・シェンハブの研究では同じ情動への関与でも扁桃体とvmpfcに違いがあることを確認している。扁桃体は初期警報装置のように働くのに対し、vmpfcはその情動信号を「あらゆる事柄を考慮した決定」の中に統合する役目を担っていることを示唆した。

これらの研究結果は、vmpfcや扁桃体により発動する情動が「歩道橋ケース」にNOと言わせる原因であることを指し示す。

背側~認知制御のdlpfc~の働き

次に、二重過程のもう一つの側面、功利主義的判断を導きやすい「スイッチケース」の場合の意思決定の仕組みと因果関係の研究を観てみよう。

この認知制御の働きについても複数の研究により、その因果関係を示す結果がえられつつある。

まず、グリーンらは、注意力が必要な別の作業を行わせることにより認知的負荷を掛けた実験を行った。この結果、功利主義的判断には時間が掛かるようになったが、(認知制御が働かなくてもよい)非功利主義的な判断には影響がなかった。認知制御の機能の強弱には制約時間も関係しており、制約時間を緩めて熟考を促すことにより、功利主義的判断が行われやすくなることも確認されている。更に、直観的な判断で間違いを起こしやすい数学の問題を解いた後は、直観だけに引きずられずに功利主義的判断を下す傾向が高くなることも確認されている。

トロッコ問題で功利主義的判断を下すには次の2つの営みが必要と想定される。まず一つ目に、功利主義的意思決定ルール(「何であれ最大の善を促進することをせよ」)の明示的な適用、二つ目に、競合する情動反応にも拘わらずこれを抑制し功利主義的判断を下すという認知制御の適用である。

上記で紹介した研究は、この2つの仮説が正しいこと、より認知制御を働らかせることが容易な環境では功利主義的判断が行われやすいことを示している。

二重過程理論は実験室の中だけの話ではない

更に、グリーンは、トロッコ問題で観察した道徳問題に関する思考様式~脳の二重過程の情報処理プロセス~が、実験室の中の心理実験の際にだけで観察される事象ではなく、現実世界にも適用できうることを、日常生活の行動を脳スキャンすることに代わる次善の策として、人の生死に関わる決定を下す職業である、公衆衛生学の専門家や医師を対象にして確認する。

医師は自分の患者、すなわち、特定の個人の健康を増進されることを目的としており、個人の権利に対する意識が高いと推定される。すなわち、功利主義的判断を下す傾向が低いだろうと予想される。一方、公衆衛生学の専門家は、社会全体の健康と衛生を推進することが第一の使命である。拠って、より大きな善を為す、という功利主義的判断を下す傾向が高くなると予想される。

果たして結果は予想通り、公衆衛生の専門家は、医師に比べて、トロッコ問題でも、より現実的な医療ジレンマにも、より功利主義的な回答をした。公衆衛生の専門家は、一般の人より功利主義的でもあった。

この結果は、脳の道徳判断に関する二重過程の処理プロセスが、実験室だけでなく、現実の世界でも機能するメカニズムであることを示唆している

なぜ2つのケースの回答はかくも異なるのか
~手段と副次的影響の違い~

ここまでの内容は、道徳脳の二重過程脳「道徳判断を行う脳の、vmpfcや扁桃体とdlpfc、情動と認知制御という二重過程の情報処理機構を持つ」ことを説明してきた。つまり、「歩道橋ケース」と「スイッチケース」では道徳判断をもたらす機構の働き方が異なる脳の構造を理解してきた。

最後に、「歩道橋ケース」と「スイッチケース」では、なぜ回答に大きな差が生まれるのか?を考えてみよう。

すなわち、なぜ、歩道橋ケースで発動する情動は、スイッチケースでも発動しているはずなのに、スイッチケースでは認知制御が作動できるのか?
逆に、なぜ、スイッチケースでは認知制御は作動できて、歩道橋ケースでは情動がまさるのか?
どのような要因がこの2つのケースを区分しているのだろう?

このような問いの立て方、そして、このような問いを探求していくことが、二重過程・デュアルプロセスを理解していくことに繋がる。
もう少しグリーンのトロッコ問題の緻密な論考を読み進めよう。

グリーンはこの理由について「モジュール近視眼説」として、次のような仮説を立てている。

1)人間には他者への危害を加えようとすると情動の警報装置を鳴らす認知サブシステム(これをモジュールという)がある
2)この警報装置は「近視眼」である
(第9章, p.297、太字は本稿筆者)

「近視眼」とはどういうことか。この仮説を読み解くには、「手段」と「副次的影響」の違いを理解することが必要になる。

歩道橋ケースとスイッチケースで手段と副次的影響の違いを説明しよう。「歩道橋ケース」では、5人の命を救うためには、1人の命を救う方法は、被験者が直接的に作用する(殺害する)。このような直接的な作用となるケースを「手段」とする。
一方、「スイッチケース」では、5人を救うために被験者が直接手を下すのはポイントを切り替えるスイッチを押す行為で、線路が切り替わった先にいる1名が命を落とすかどうかは、直接的には予見できない。このようなケースを「副次的影響」とする。

即ち、歩道橋ケースとスイッチケースでは、5人の命を救う方法が、「手段」と「副次的影響」という形で異なっている。グリーンの仮説は、警報の認知対象が、直接的な因果関係をもつ「手段」か、直接的な因果関係を持たない「副次的影響」かによって情動の認知警報システム」は働きに違いがある、と考える。

『警報装置は「近視眼」であるとは、『直接的な「手段」の場合しかこの警報システムは働かない間接的な「副次的影響」は見えていない、という趣旨になる。つまり、危害を加えることが「手段」である場合、即ち、直接的な因果関係の場合、情動による警報装置が作動するが、副次的影響により危害が生まれる場合、この情動の警報装置は発動しづらい。
この点の理解を助けるために、図8-3をみてみよう。

8-3行動表象理論図

仮説「「モジュール近視眼説」に基づけば、「スイッチケース」で認知制御が作動できるのは、スイッチを押す行為の先にあるものは副次的影響であるからである。ポイントの切り替えという行為の先にある出来事は副次的影響であるため、情報の警報装置が見えていないため、発動せず、情動の影響を(おおきくは)受けない。
逆に、「歩道橋ケース」では、人を突き落とすことを是とする認知制御が及ばないのは、「突き落とす」という行為が直接的手段であるために、情動の警報装置の視界に入り、警報装置が発動してしまい、情動の発動が認知制御の働きを阻害するから、という構造であることが、それぞれうまく説明できる。

このモジュール近視眼仮説を、グリーンは、トロッコ問題を更に細かく様々なケースに分けて心理実験を行い、その結果を観て要因を切り分けて分析することで、検証している。以下に簡単に3つのケースだけ記載する。

1)「遠隔操作の歩道橋ケース」
「歩道橋ケース」で、一人を直接押して歩道橋から落とすのではなく、被験者(あなた)は離れたところからスイッチを押して下戸を開いてこの人を落とす
2)「歩道橋にあるスイッチケース」
同じ歩道橋にいるが、直接押すのではなく、スイッチを押して人を落とす3)「障害物衝突ケース」
被験者(あなた)は、5人に向かう線路ではなく、ポイントからつながる引き込み線上の歩道橋上にいる。この歩道橋にスイッチがあり、スイッチを押すためには、目の前にいる人を引き倒して線路に落とさなけばならない。

この1)、2)は歩道橋ケースのバリエーション、3)はスイッチケースのバリエーションである。

元の「歩道橋ケース」で人を押すことを支持する回答は31%だったのに対し、1)の「遠隔操作の歩道橋ケース」では63%、2)「歩道橋にあるスイッチケース」は59%になった。いずれも「歩道橋ケース」よりも支持は2倍近くにはなったが、「スイッチケース」ほどの支持(87%)には至らなかった。

一方、3)の「障害物衝突ケース」はスイッチケースのバリエーションで、直接的な身体接触自体は伴う。しかし、支持者は81%と「スイッチケース」の87%と統計的に有意差がない結果となった。

上記の内容について理解を補助するために図8-4に整理しておこう。

8-4トロッコバリエーション

1)のケースでは、距離を離し、押すという身体の直接接触が排除されており、状況は「スイッチケース」に近づけているが、スイッチケース程の支持は得られていない。ただし、元の「歩道橋ケース」と比べると倍近い支持はあり、情報の警報装置は作動しづらくなっていることが読み取れる。

次に、2)と1)と比較すると、情動の警報装置の作動には、距離は影響してないことが分かる。更に、元の歩道橋ケースと2)を比較すると、身体への直接接触による危害は、やはりに情報の警報装置の作動度合いに、すなわち、道徳的判断に影響を及ぼしていることが推測される

更に、「歩道橋ケース」と3)を比較すると、同じ突き落とす=身体接触を伴う場合でも、状況が異なると大きな差があることが理解できる。即ち、3)のケースは、スイッチを押すために人の引き落とすのであって、トロッコを直接的に停めるためではない。
3)の「障害物衝突ケース」のような人に直接的に危害を加える場合でも、そのことがもたらす結果が、トロッコを停める直接的な手段ではなく、副次的な影響の場合は、情動の警報装置は作動しづらいことが分かる。これらは、モジュール近視眼仮説を裏付ける結果を示している。

グリーンは、こうしたトロッコ問題の様々なバリエーションを利用した論考を更に積み重ね、「モジュール近視眼説」のベースとなっている、ジョン・ミハイルの「行動表象理論」と二重過程理論を統合して、「歩道橋ケース」と「スイッチケース」の違いがなぜ生まれるのかについて、二重過程理論の構造を掘り下げている。ここまでを読んで、興味を持たれた方は、原著の世界に触れてみていただきたい。

MHP/RT~脳構造マクロモデルの意義

グリーンの道徳脳の二重過程理論について、『モラル・トライブス』の第4章、5章、9章の内容をベースに読解してみたが、その内容、構造についてご理解いただけだろうか。

グリーン自身も述べているように、第9章、第10章は、非常に緻密な哲学的論考、論理的思考が積み重ねられており「読むのがしんどい」。その内容を上記程度の分量で端的に説明することは、乱暴な話ではある。
まず、非常に繊細で複雑な内容を含むため、詳細な理解のためには、原著を参照して貰いたい。

しかし、この分量(十分、通常のnote原稿としては長いが、グリーンの本著に比べれば圧倒的に短いという意味)で、グリーン自身が骨の折れる難解さを認識しているトロッコ問題を使った二重過程理論の説明にあえてチャレンジした理由は、道徳脳の二重過程構造の直観的な分かりにくさを、論理的に分かってもらうことにある。

文章だけによる説明では、「脳の二重過程構造」を、適切に十分に理解することは、恐らく、極めて難しいと思われる。今回は文章だけでは相当難しいとの判断からハイトのシリーズではほとんど作成・掲載しなかった、図を4つ挟んだが、それでも難しかったのではないだろうか。本稿筆者の表現技量や説明文章量の適切度は別として、文章による説明の限界を、合わせて感じていただけると有難い。

恐らく、道徳判断に関わる情報処理プロセスを表現するフレーズとしては、二重過程脳と言われるよりも、前シリーズのジョナサン・ハイトが掲げている「まず直観。それから戦略的思考」の方が、何倍も直観的に腑に落ちやすいのではないかと思う。

前置きが非常に長くなったが、上記の道徳脳の二重過程構造の直観的な分かりにくさと文章による説明の限界という2つの視点は、豊田・北島の脳構造マクロモデルMHP/RT(Model Human Processor with RealTime constraints)の価値と意義についてのメッセージの裏返しである。即ち、MHP/RTの価値は、脳構造をデュアルプロセス(二重過程)を、マクロモデルとして表現出来ていることに(も)ある

つまり、グリーンの原著を読んでも、脳の二重過程の「構造」は、恐らく、イメージできないと思う。また、グリーン程の超英才ですら、文章だけで構造を表現する、そして、それが伝わる・理解されることには限界がある。

対して、豊田・北島のMHP/RTを眺めてみよう

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TKBrainModelMHPRT日本語

上記の2つの図は、このシリーズの#0で掲載した図の再掲になるが、上の英語の図は、MHP/RTを多階層の記憶フレームと連接して描いている全体図で、下の日本語の図は、上の英語の図の左側の部分を日本語化したものである。

自動自律処理制御処理系のシステム1、意識処理自律系のシステム2が、デュアルプロセス機構として作動することが、図から直観的にイメージできることを、改めて図を眺めて、感じて貰いたい。

情動や情動の認知警報装置は自動自律系のシステム1の機能、認知制御は意識・論理的思考系のシステム2の機能と理解すれば、これまでの本シリーズの考察を援用することで、グリーンの二重過程理論に基づく歩道橋ケースとスイッチケースでのそれぞれの振る舞いや違いも、より容易に理解できるのではないかと思う。

翻って、この仕組みを文章だけで説明しきることの困難さを、本稿や本書のグリーンの二重過程理論の説明と対比して、改めて類推してみて貰いたい。

欧米、特にアメリカの認知学会でも、最新の研究の数として多い流れは、fMRIを使った脳の機能部位の関係解析や、シミュレーションによる立証で、マクロモデルに取り組んでいるのは極めて限られた能力を持つ人だけである。

実際、豊田・北島のMHP/RTの中核論文も、COGSCIでは採用が見送られ、BICAによって採択されたという経緯がある。BICAでも査読者の評価は分かれたが、このシリーズの#0に記載したように、BICAの査読者の1人が「この研究は、H.サイモンの限定合理性、A.ニューウエルのMHP(Model Human Processor)、D.カーネマンの2minds(システム1、システム2)を体系的、理論的に結び付けるものだ」と評してお墨付きを与えたことが、採択に非常に大きな影響を与えた。

つまり、MHP/RTは、脳の二重過程構造を、体系的・理論的に説明しうるマクロモデルである、というお墨付きが、欧米の最新の認知科学の権威から与えられているのである。

この豊田・北島の脳構造マクロモデルの持つ意義と価値が、日本でも適切に理解されていく一助になることを願って本シリーズを書いている。

勿論、MHP/RTの価値・意義は、マクロモデルとして表現出来ているということだけには留まらない。脳構造のマクロモデルである、ということの価値の本質は、これまでの本シリーズでその一部に触れて来たように、脳の行動の結果である、人間の行動選択の理由と構造が理解できる、説明できる、ということにある。

これまでのシリーズでも触れてきているが、次回のグリーンの主張内容の解説でも、その価値と意義をもっと味わっていただければと思う。

まとめ

第1回は、グリーンが明記している、道徳脳の二重過程構造を、グリーンの十八番であるトロッコ問題の解説を行いながら、長い思考を重ねてきた。豊田・北島のMHP/RTと合わせて、脳の二重過程の情報処理について、興味を抱いていただける契機になったとすれば嬉しい。
次回は、二重過程脳を前提としたグリーンの『モラル・トライブス』でのメッセージの核心を概観してみたい。

(the Photo at the top by @Photohiro1)




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