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【短編小説】誕生日に望むもの

神のご加護

「貴方に神のご加護がありますように。」

彼女は、俺と別れる時に、いつもきまり文句を言う。
それは彼女と交わした、数少ない手紙の末尾一文でもあった。

だが、そう言われる自分は神の存在など信じていない。
彼女がそう言ってくれるから、それに慣れない笑顔で答えるだけ。

もし、神がいるのなら、もっと早くに、彼女と出会わせてほしかった。


「もうすぐ誕生日ですね。」
「はい。今となっては、誕生日が来ても、特に嬉しくもなんともないですが。」
俺がそう答えると、彼女は寂しそうに隣で笑う。

「そんなこと言わないでください。私は貴方が生まれてきたことに感謝してます。」
「そう言ってくれるのは、聖音あきねさんくらいです。」
別に彼女はクリスチャンなわけではないのに、言葉の端々に何というか、聖職者めいた響きがある。以前にそれを指摘したら、単に読んだ本の影響でしょう。とはぐらかされた。

俺は彼女のことをよく知っているかと言われると、知らない方かもしれない。彼女が既婚者であり、自分とは10以上も歳が上であるということ。配偶者は、仕事を理由に、家にほとんど居つかず、でも実際は愛人がいて、その人のところで過ごしているということ。子どももいないし、彼女も定職についているから、離婚できなくもないのに、彼女に家庭を捨てる気はないこと。

それらのことを、俺は彼女と一緒に寝ている時に、聞き出した。
俺は、彼女にその配偶者が与えないものを、あげる。主に形にはできないものを。彼女は俺に、今までに持ったことのなかった感情と時間をくれる。その返礼ではないけれど。本当はできれば、彼女と共にいる時間を増やしたかった。

でも、彼女の考えが変わらない限り、それは叶わない。どうすれば、今の家庭を捨てて、自分のところに来てくれるのか。彼女を繋ぎ止めているものは何なのか、自分にはよく分からなかった。

「誕生日には何が欲しいですか?」
「・・サプライズ的なものはないんですか?」
「それで、景太けいたさんの欲しくないものを渡してしまうのは、嫌なので。」
彼女がくれるものなら、何だって嬉しいと言ってもいいけれど、それは逆に相手を困らせることになるから、俺はちゃんと答えを返す。

「では、誕生日一緒にいてくれませんか?一人でいたくないもので。」
「そんなことでいいのですか?」
彼女は驚いたようにそう言うが、自分にとっては一番の望みだ。誕生日を好きな人と一緒に過ごして、疑似家庭を味わうことの何が悪い。
一人でいたら、自分の誕生日なんて祝うことはない。きっといつもと変わらない一日が過ぎるだけだ。

「分かりました。では、景太さんの好きな唐揚げを夕食に作りましょうか?」
「うちには揚げ物用の鍋とかないですが。」
「私の自宅から持っていきますか?」
「何なら、車で迎えに行きます。」
「なら、いろいろ持ち込んで楽しめそうですね。」

自分の家に彼女が来たことは今までもあったが、家で料理を振る舞ってくれたことはなかった。本当に家族で過ごすみたいだ。いつか本当になってほしい光景が、一日でも手に入る。自分の顔を見て、彼女が嬉しそうに微笑んだ。きっと、自分の顔は嬉しさに緩んでいるのだろう。

「そのまま、泊まっていってくれますか?」
「・・・大丈夫だと思います。ただ、翌日は私は仕事なので、そのまま職場に行かないといけません。」
「翌日の朝早くに起きて、自宅に送り届けましょうか?」
「そうしてくださるとありがたいです。」

外にいる時の彼女はいつも他人行儀だ。その分、2人きりでいる時は、とても甘えてくれるし、甘えさせてくれる。言葉の敬語も取れるし、自分の呼び名も変わる。その時の彼女は素だと感じる。でも、外にいる時の彼女も好きだ。そのギャップというか、変化もいい。

それを知っているのは、多分俺だけ。
彼女の夫も多分知らない。一度も会ったことのない相手に、自分は何となくライバル心を抱いている。確かにかなり年下だし、彼女は物足りなく思っているかもしれない。でも、出会うのがもっと早かったら、その相手と知り合う前に、彼女と出会っていれば、きっと俺は彼女と一緒になった。
俺が彼女を思う強さは、誰にも負けない。口には出さないがそう思っている。

「今から楽しみですね。」
「はい。きっと忘れられない一日になります。」
そう言って、微笑み合う2人は、傍から見れば、恋人か夫婦に見えるだろうか。本当は彼女の手を掴みたいのに、手を伸ばせない自分がいる。

どうか離婚して、俺と一緒になってほしい。
そう言ったら、彼女はどんな顔をするだろう。
少なくとも今の生活は失われるだろう。
もっと深くに踏み込みたいと思う俺を、彼女は拒絶するかもしれない。その可能性は高い。だけど、そこにいくばくかの希望があるのであれば、俺はそれにかけたい。

もし、神がいるのなら、この俺にご加護を。

全ては、俺の誕生日に、確定する。

恋人だとか夫婦だとか

「誕生日は何をしてほしい?」
子どもの習い事であるサッカーの練習試合を、コートの外のベンチで座りながら見ていたら、隣にいたしんにそう尋ねられた。

何が欲しいかではなく、何をしてほしいかと、聞くところが、信らしい。もう、結婚して10年以上になる。お互いの誕生日は、ちゃんと祝ってきたが、そろそろ欲しいものと言われても、特にないと答えることが多くなってきたのは事実。どうしても必要なものや、欲しいものは自分で買うし、誕生日まで買うのを待つこともない。

「んー。どうしようかな。」
あまり気持ちのこもらない答えをしたら、目の前で子どもがボールに絡んで、何とかちょうどいい所にいるチームメイトにパスを出した。
そちらに気を取られていたら、信がもう一度同じ問いを私に向かって告げる。

「夕飯は作りたくないかな。」
「その日の家事は俺が代わるけど、それは当たり前だし、誕生日にしてほしいことにはカウントされないけど。」
「むむむ。」

2人でどこかに遊びに行きたいといえば行きたいけど、どうしてもその間、子どもをどうするかという問題がついてしまう。子どもは一人っ子で、近くに面倒を見てくれる人もいない。一日一人で留守番しててと言えなくもない年齢だが、結構寂しがり屋なので、嫌がるだろう。
それに、いざ子どもがどうにかなったとして、2人でどこか行きたいところがあるかと言われると、あまり思いつかない。

こういうところ、私と信は、もう恋人同士ではなく、夫婦なんだよね。
そう思って、信の顔を見つめたら、彼は戸惑ったように私の顔を見返した。視線をしっかりと合わせたのも、久しぶりかもしれない。
もう、結婚して10年以上たっているのだから、こういう関係になるのは当たり前と言えば、当たり前なのだ。

「・・まぁ、誕生日までまだ時間があるし、ゆっくり考えればいい。」
「ううん。決まった。」
彼は私の言葉を聞いて、問いかけるような表情を見せた。
子どもが出ていた試合は終わっていて、今はベンチ際でチームメンバーの子達と、今行われている試合を見ている最中だった。子どもが出ていないと、途端にサッカーへの興味は失せる。私は、彼に向かって口を開いた。

「私と一緒に寝てほしい。」
「・・・は?」
珍しく大きな声を出しそうになった彼が、慌てたように口元を抑える。軽く周りに視線を走らせたが、こちらを向いている他の家族、見学者はいない。
「それはただ布団で一緒に寝ることを意味してないよね?」
「・・・それは、毎日3人で一緒に寝てるでしょ。」
「そうだよね。どうしたの、突然。」
「こうでも言わないと、信くん、全然寝てくれないでしょ?」

彼は自分の髪に手をやりながら、あーとよく分からない声をあげた。
「別に、千佳ちゃんのことが好きじゃなくなったってわけじゃないんだよ。ただ、なんて言うか、そういう雰囲気にならないっていうか。」
「それは、分かってる。」
毎日普通に仕事して、家に帰って家事をして、夜は子どもと共に3人で寝て、それはそれで、幸せな生活だろうと思う。

でも、たまには、そういうことをしてもいいじゃないか。
本当は、コミュニケーションの一種でもあるのだから。

「私も、一応女なんです。」
「それは疑ったことはない。」
「じゃあ、私のしてほしいこと、叶えてくれるよね?」
「・・うまくできるだろうか。」
「悩むとこ、そこ?」
クスクスと笑ってみせたら、彼はそれに呼応したように、困ったような笑みを浮かべた。

「なら、今日みたいにサッカーのある日がいいんじゃない?きっと、疲れてぐっすりだろうから、途中で起きてくることもないだろうし。」
「まぁ、そうでなくても、途中で起きてくることはないけどね。」
子どもは、寝つきが良く、途中で起きることもなく、朝も起こすとすんなり起きる。睡眠に関する心配はあまりない。

「来週の土曜日かな。」
「そうだね。楽しみにしています。」
「いや、ごめん。何かそんなこと願わせて。」
彼の言葉に、私はフッと笑ってみせた。
「何言ってるの?たまには恋人らしいスキンシップがしたいと、願っただけだよ。」
「恋人ね。。」

彼は少し考え込むようにしてから、ベンチに置いていた私の手を掴んで言った。
「千佳ちゃんは、恋人とか妻とか、そういう言葉には収まらない、特別な人だと思う。」
「・・・ありがと。」
プロポーズめいた言葉に、私はそうとしか返せなかった。
彼の手は、寒い冬の夜の中、とても熱かった。

12月6日は、私の誕生日です。産まれてきた事に、感謝はしています。当日に投稿したくて、土日で書き上げました。
一年前にも、「【短編】誕生日」を書いています。ご興味ある方は、以下からご覧ください。見比べてみていただくと、楽しいかも。
一年経って、少しは文体変わっていますかね?

私の創作物を読んでくださったり、スキやコメントをくだされば嬉しいです。