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選いつの備忘録 #3

この備忘録は基本的には台本が書き上がるまでのメモ、ノートと位置づけていたものの、備忘録を書く前に書き終わってしまった、のではなく、備忘録を書いている余裕が殊更なかったに過ぎない。

書き終わった上に、場当たりの朝に改めて備忘録をしたためているのは何故か。私にもわからない。何を書こうとしているのかすらわからないままでの見切り発車感は否めない。されど何か残しておこうという気持ちも大事にしたいところではある。

演劇のお伝えの仕方(ざっくばらんに言ってしまえば宣伝である)というのはなかなかに難解なこと。わかりやすいのは映像、CMを作ってお伝えするのがよいのだが、いくら稽古動画を組み合わせてみたところで本番の、劇場の、音や照明が加わっての描写とは異なるため、ああ、そういう作品なのねぐらいにしか受け取ってもらえない恐れもあり。

台本の序盤30ページぐらい無料で出してもいいのではとも思うが、もう少しコンパクトな情報でないと、現代人は皆忙しいので「うげぇ」「えげつない」となってしまうのである。

そこでひらめいたのがnoteである。まあ、Twitterでも構わないのだが、あれはあれで情報がきゅっとしていてなかなかに伝えにくい。vlog?というのも最近見かけるがあれは一人じゃできないし、主宰がカメラを持って出演者を映していたら、通報されてしまう世の中である、実に世知辛い。嗚呼、けしからん。

かろうじて稽古が終わるまで通報されることがなかった無辜なる私こと演出家はこの作品を振り返ってみようと思ったわけであった。

劇作家が書いている時に見ている世界と演出家がその戯曲を読んで作り出そうとしている世界と、戯曲を読んで役者さんが体現しようとしている役と世界は一致している必要はないし、一致することはないのではないかと公演を終える度に思うのだがまだ終わってもいなければ始まってもいないのである。2022年5月11日からやるのである。それは未来、ふゅーちゃーなのである。ふゅーちゃーってひらがなで書くと大体のものは可愛く見えるものだという気付きは置いておくとして。

ここまで書いておいて私は一つのことに気づいた。
なんだこれは。作品について何一つ書いていないままに918文字も書き連ねてしまったではないか。実に残念なお知らせである。

ということで今日は場当たり(音や照明のタイミングであったり場所の確認であったり、立ち位置の修正であったりを行う日)なので、宣伝にもならない文字を1024文字も書いてしまうというのは最早狂気である。きっと5月も上旬が過ぎるというのにこんな寒さであることがそうさせたのであると信じている私であった。

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