就職活動に興味なし
ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第2回です。
地方大学の理学部物理学科の学生だった僕は4年になると研究室に入り、卒業論文を書かなくてはならなかった。
理系は4年生が一番忙しいのではないだろうか。
僕は理論物理の研究室に入ったので、(大きく理論物理か実験物理にわかれる)基本やることはプログラミングだ。
フォートランという研究用の言語が主に使われていたのだが、行番号が必要だったり文字が大文字だったりと、すごくダサく見えた。
僕は天邪鬼なので、誰もやっていないc言語というものを使ってやろうと決めた。
c言語はプログラム自体が小文字できれいだし、書き方も自由だった。
僕の判断基準はこういうところにあるのは昔からだったようだ。
そんな中、アパートに就職雑誌が届くようになる。
あぁ、就職のことも考えなくちゃいけないんだなぁと多少は思うけれど、ほとんど関心は向かなかった。
今思えば、不思議なくらいに就職に興味がなかった。
でも、卒業したら、働かなくてはならない。
それは分かっていた。
じゃぁ、どんな会社を受けたいのだろうか。
僕はずっとサークルで音楽をやっていて、卒論ではプログラムを組んでいる。
こりゃゲーム会社だなと思った。
でも、僕は正直ゲームは嫌いだった。
小さい頃から、ファミコンは禁止だったし、ゲームには縁がなかったのだ。
オタクというイメージも僕の中では強く、あまりいい印象はなかった。
(そういう意味でいうと、そもそもプログラムだって好きじゃない)
でも、音楽で本気でアーティストになろうなんて勇気がない僕は、ゲーム会社だったらどこか引っかかるんじゃないかなんて甘い考えを持ったのだった。
しかし、そんな気持ちで受けても当然のように全滅。
今ならわかるが、まともな会社ならその時の僕はどこも採らないだろう。
だいたい、本当は入りたいと思っていないんだから。
どうも、僕は最初から組織に入りたいなんて思っていなかったように思う。
ことさら、大きな企業には。
それは今思うと、上場企業のサラリーマンだった父のようにはなりたくないという気持ちが強かったからかもしれない。
しかも、僕は全く知らなかったけれど、その当時は超氷河期という新卒の採用を極端に減らし始めた年だった。
僕らの世代は第二次ベビーブームで人数がかなり多い。
多くの新卒学生が就職できない年が何年か続くことになる。
日本では新卒じゃなくなると極端に就職しづらくなる。
一度しかチャンスがないというのは、なんとも厳しいものだ。
この風習はなんとかならないものだろうか。
少しずつ変わりはじめているようだけれど。
しかし、この時の歪みは、今後また改めて社会に影響が出て来ることになるのだろう。(すでに出ているとも思うが)
今の売り手市場のような状況とは全く違うので、これからさらに世代間の社会の見え方の格差は大きくなって行くのだと思う。
***
正月になっても、僕の就職先は決まっていなかった。
実家に帰って、ソファに寝っ転がりながら、どうしようかなぁと考えていたのをいまだに覚えている。
僕はどこでもいいから東京に行こうと思った。
ハローワークのようなところに行って、小さい会社を探し始めた。
渋谷か、いいな。みたいな感じ。
プログラムだったらできるだろう、みたいな感じ。
そんなこんなで、卒業ギリギリになって渋谷の小さなシステム会社に内定をもらったのだった。
続く
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