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日々の風景

なぜ書くようになったのか、第12回です。

毎日書くようになって困ったのは、何を書くかです。
当たり前ですが。

2016年が始まってから、正直申しまして、波乱万丈な人生が待ち受けていました。

僕が人生を終えるとき、2016年は転機の年だったと語ることになると思います。
つまり、いろいろ大変だったということです。

そんな大変なことが日々起こる中、毎日、毎日、文章を書く。
良かったり悪かったりするわけです。
その毎日の感情に文章は引っ張らざるをえません。

カメラで目の前の風景を捉えるように、自分の心の風景を捉えて言語化していきます。
カメラの場合、あ、きれいな風景だと思った瞬間にぱしゃっと撮ればいいのですが、心の風景の場合、切り取れない場合もあるんですね。
切り取りたくないんです。切り取るに値しない風景だったりするんですね。

でも、書かないといけない。
(と、勝手に僕は自分に課したわけですが。)

これがつらいんですよ。
くだらないことを書いて終わり。
そんな日も多くありました。

それ以外にも、飲み会があって酔っ払いすぎたとか、忙しくてnoteのことなんて全く思い出さなかったなど、単純に書き忘れてしまう日もありました。

毎日、毎日、同じように過ぎているようで、全く違う自分がいる。
毎日書くということは、それに気づかされる日々でした。

糸井さんはすごいと、心底思いました。

それでも、僕は毎日、毎日、書き続けます。
今、客観的に考えるとなぜなんでしょうね。
よくわかりません。

もしかしたら、自分の中で何かしらの変化が起きていることを感じていたからかもしれません。
--

続く




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