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皇后さまとの遭遇

東京という名の、広い森

ほぼ日で東京特集が始まりましたね。
で、今このコンテンツを読んだところです。

この中で糸井さんが天皇陛下の乗っている車と偶然出会うくだりがあります。

何かの行事で皇室のクルマを見ただけでも、
それこそ、海でクジラを見た時のような、
ある種の感動がありますよ。

この表現うまいですよねー。
クジラを見た時のような感動。

僕も一度だけ、皇后陛下がテニスコートから
クルマで出て行かれる姿が目に入って。
手を振られていたんですが、
なんでしょう‥‥、嬉しいんですよね。
その嬉しさって、今まで自分の、
どこの引き出しにあったのかなと思うぐらい。

この表現もうまい!
今まで自分の中のどこにあったのかと思うような嬉しさだというんです。

さて、なぜ僕がこれらの表現に反応するかというと、僕も一度だけ、皇后さまの車に遭遇したことがあるんですね。

何年か前に、自転車で千駄ヶ谷の事務所に行くところでした。
その日は遠回りをして、皇居を経由し、六本木、南青山を通って千駄ヶ谷に向かうという道順で向かっていたんです。

で、ちょうど皇居を通り過ぎようとしたところで、何やら不穏な雰囲気が流れました。
なぜか一旦、通行を止められたんです。

すると皇居側から車の隊列が来るんですね。

その中の一台に美智子さまが乗っていらっしゃったのです。
美智子さまは手を振っておられました。

その場にいたのは、僕ともう数人ぐらいしかいなかったんじゃないかなぁ。

僕は普通に日本が好きだなぁくらいの愛国心しかありません。

でも、その時の感情は、まさにクジラに出会ったような感動と、どこから湧いて来るのかわからない嬉しさがあったんです。

なんだろう、美智子さまの慈悲深さをすごく感じたんですよね。
不思議な感覚でした。

糸井さんの言葉で、それを思い出しました。

やっぱ、糸井さんすごいなぁ。
言葉のプロだわ。

追記:
なーんか今回の締め方に自分の中で違和感があったですが、それがなんなのかちょっと言葉にできそうなので書きます。

糸井さんは言葉のプロだからすごいということではないのです。
何がすごいかというと、自分が感じたことを、そのまま咀嚼して、人に分かるような言葉で伝えることができる能力の高さがすごいのです。

まず、自分が感じていることがどんなものか分かるというだけでもすごいことだと思います。
自分が何を感じているのか。
それがうまく分からないでいる人は、意外に多いと思います(自分も含めて)。
しかもその感じたことを言葉に変換する習慣がある人もあまりいない。
今回の僕のように、その時何か感じたとしても、その瞬間の認識はいつの間にやら消え去ってしまうのです。
そして糸井さんの言葉に反応して、ポッとその時の感情が蘇ったりするわけです。

糸井さんは毎日書くことで、自分が何を感じているのか、それをどういう言葉で言えば人に伝わるのか。そういうことをずーっと考えてきている方なのでしょうね。

コピーライターというのはそういう仕事なのでしょう。

糸井さんは今はもうコピーライターではない言うけれど、コピーライター時代からやっていることは今も変わっていないのかもしれませんね。

いや、もっとずっと前からそうやって来ているのかもしれません。
生まれ持ったものとして。

そんなことを、このエントリーを公開したあと、思いました。

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