小説教室
なぜ書くようになったのか、第18回です。
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僕がその小説教室に入ったのは、おそらく2016年の4月です。
編集ライター講座の同期の子から教えてもらって、受講料もリーズナブルだったし、見学して面白かったのもあって、そこに決めました。
その講義の面白いところは、受講生が書いた作品について、みんなで批評し合うというやり方です。
小説に正解はないというポリシーなのか、作家である先生も、一つの意見としてこうした方がいいかもしれないね、という程度です。
そこがとても気に入りました。
講義は隔週金曜日の午後3時半から。
平日のこんな時間に出席できるのは、定年後のおじさんおばさんが大半です。
平均年齢が恐ろしく高い講座なのです。
初めの頃、恐れ入ったのは、皆さんの小説熱の高さです。
仕事から自由になってやっと書ける時間が持てるようになれたという人が多い。
今まで、仕事仕事で我慢してきていたのかもしれませんね。
それだけに、すごい熱量の作品が出てくるのです。
やはりなかなか自分を客観視して、物語として成立しているものは少ない。
僕も何作品か提出しましたが、自分を離れて物語を書くことの難しさを深く体感しました。
それをみんなで批評するわけですね。
思ったこと、感じたこと、ズケズケと言うわけです。
中には腹を立ててしまう人もいるようです。
でも、面白いのは、人それぞれの普通が全く違うということ。
まぁ、いろんな意見が出るもんだなぁと毎回感心するんですよね。
また、自分も感じたことをそのまま言わなくてはいけない。
いい悪いはここでは関係ないのです。
言いたいことを言わなくてはいけません。
これはこれで自分が感じたことをきちんと把握するといういい訓練になりました。
読者はいろんな人がいる。
その人たちが自分の作品をどう感じるのか。
読者がどう感じるかは作者はコントロールできないのです。
みんなの意見によって、それがある程度可視化できるわけです。
そして、作品に対する意見を参考するかしないかは作者に委ねられるわけですね。
すごく意味のある講義だと思います。
が、やはり自分で作品を書かないとあまり意味がないのも確かなのでした。
僕は自分の中から出てくるものを表現できるようになりたいと思い、参加してたわけですが、次第に自分の中から出てくるものがあまりないなと感じはじめています。
実はそろそろ辞めどきかなぁと思っていたりもします。
自分の中から出てくるものとは何か。
それは何かと考えたら、感じる力とか心の豊かさとかそういうものだと思うのです。
おそらく、僕にはそれが圧倒的に足りない。
小説を書く以前の問題ですね。
物語を書くというのはやはり特殊な能力なのでしょう。
物語を書く前にやるべきことが僕にはたくさんあるのかもしれません。
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続く
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