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<映画>PERFECT DAYS

映画の好みが合う知人から勧められたので
最終日にギリギリ滑り込みセーフで観てきました。

その知人は、ストーリーも、どこが良かったかも言わないので、ネットで上映時間や出演者を簡単に調べてから観に行きました。

映画を作った人のねらいと、観る側が受け取るものが
必ずしも等しくはないし、人によって違うというのは
よくあることですが、この映画は特に年代や、生活環境、立場や抱えているものが違うと心動かされるところが違うだろうと思いました。

知人とは年齢も家族環境も全く違うので彼女が良かったと思うところと私とでもきっと違っているでしょう。

映画評は平山を演じる役所広司という俳優への賛辞や
何も起こらない日常だけど豊かで満ち足りた生き方などが注目されていましたが、私が一番印象に残ったのは
東京のトイレ建築。
トイレ清掃を仕事にしている主人公の仕事先のトイレは
なんて素晴らしい芸術作品なんだろうと思いました。

錚々たる建築家の名前が並んでいます。

この映画を観て「平山のように暮らしたい」そう思う人も多いそうです。

平山のように、といってもまさか家族も仕事を捨てて
あの暮らしをするというわけにもいかないと思いますが
彼の暮らしの全てではなく、ある一部、を人生に取り込むことは可能だと思います。

1日の終わりに読書をして眠くなったら眠る
車で若い頃に好きだった曲を聴く
好きなものの写真を撮り溜める
仕事に誇りを持って誠実に向き合う
好きな事以外には捉われない
生活全体にルーティンを決めてその通りに暮らす

この映画は、役所広司が演じることで、単調な日々が
豊かで、魅力的な素晴らしい映画になったと思います。
ヴィム・ヴェンダース監督は小津安二郎に影響を強く受けたそうですが.まさに小津安二郎の世界観でした。

映画のパンフレットも読み応えのある内容でした。


翻訳者の柴田元幸さんの文の中にスチュアート・ダイベックという作家さんへのインタビューで

日本語には「なつかしい」という美しい言葉があるでしょう。
あれは英語では一言ではいえない思いを表しているよね。

というところから、「なつかしい」という題の小品を書いていることを知らされたそうです。

プルーストの「失われた時を求めて」はマドレーヌの味から蘇った思いから書かれた本だそうですが彼が「なつかしい」という言葉を知っていたら

うーん、なつかしい

で終わっていたかも知れないと柴田さんは書かれています。

木漏れ日もこの映画のエンドクレジットでわざわざ日本語と英語で解説されているのも英語では一言で表しにくい思いを伝えているのだそうです。

一言で表しにくいから、映画全体が
「木漏れ日」という言葉の創造的翻訳、またはパラフレーズになっている

と言ってもいいのではないか、と。

映画に予習はいらない、といつも書いている私ですが復習をすればより映画を楽しめて、観た時間を何倍にも豊かにしてくれるものだと思っています。

本当に、「木漏れ日のような」映画でした。
だから、どんな?と訊かれても知人のように「観て」という言葉だけになるのだろうとやっとわかった気がします。


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