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1993 始まりの内職(株式会社藤大30年史)

(前回の内容から読む)

1993年 始まりの内職

 株式会社藤大の原型は、半導体の部品の「リードカット加工」から始まった。ハルコの夫が会社からコンテナごと材料を持ち帰り、内職で加工して、会社に納品する。夫が自分で作業するだけなので、内職が始まって数ヶ月はハルコの生活に変わりはなかった。

 しかし、夫の職場はもともと残業ありきの製造現場である。残業がなかったのは、たまたま製作の仕事がなかった半年間だけであり、再開すると残業も元どおりに復活した。当時はバブル崩壊後とはいえ、半導体の製造現場は忙しかった。

 仕事量が増えて夫が忙しくなってきたため、内職の仕事は他の人に譲ることになった。幸い引き取り手はすぐに見つかり、ハルコたちの生活はまた元に戻る……はずだった。

「会社から内職先まで、集配はせなあかんねん」
 社外の人に内職を譲ることになったため、材料と加工品の受け渡しだけは必要だった。車の運転ができれば集配はできるので、最初は夫が仕事帰りにそのまま担当していた。

 だが残業が忙しくなってくると、納期に間に合わせて集配することが難しくなってきた。どうしても今日中に届けなければいけない部品があっても、夫の手が空かない。仕方なく美容師の仕事を終えたハルコがやむなく運転して集配する機会ができてきた。

「まあ、運転だけならついでやし、ええか」
 集配に専門的な知識や技術は必要ない。取り扱い方や手順は、業者の人が丁寧に教えてくれる。ハルコの視点で見ても、内職の仕事ほど負担はかからなさそうだ。

 それに、夫に内職をくれた職場や、仕事を引き取ってくれた人への感謝の気持ちは持っている。夫が忙しくなったばかりに、仕事先の人たちに迷惑や負担をかけるのは申し訳ない。せめて少しだけでも恩返しになればと思い、集配を手伝うことにした。

 なのに、気付けばハルコは集配担当のような立場に置かれていた。集配先が次々と増え、年を越す頃には「内職の元締め」みたいになっていた。
「藤田さんの奥さん、よう仕事してくれはって、ホンマ助かるわー」
橋渡しのつもりが、感謝の気持ちや情も湧き、期待を裏切るわけにもいかなくなってきた。

 やがてハルコは、会社と夫からますます大きな仕事に巻き込まれていくことになるのであった。

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