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2012 会社と経営者(株式会社藤大30年史)

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 変色問題に揺れる少し前、時を同じくしてマリコから指摘されていたことがあった。
「ハルちゃん、いつまで現場にいるの?」

 まもなく創業から20年、しかしハルコは今も現場にいた。一般的な会社の代表であれば、経営戦略や外交、販路開拓に励む立場かもしれない。しかしハルコは品質や納期を理由に、なかなか現場を離れられずにいた。
(今私が現場を離れたら、取引先に迷惑かけずにやってけるんやろか)
 目の前の作業のことを考えると、自分が現場に入る方が早く片付く。それに現場から身を退いて経営のことを考えるといっても、どうすればいいかわからない。これまで読んできた本は、具体的なアイデアや行動より精神論が中心だった。習慣とは無意識的なもので、ハルコはズルズルと現場の作業に追われていた。
「社長はもっと会社の全体を見なあかんよ」
 歯に絹着せずハルコに進言できるのは、長年連れ添ってきたマリコだけである。変色問題を乗り越えたタイミングで、ようやくハルコは態度を改めることにした。
「経営者って、何したらええかわからんけど、とにかくまず勉強してみるわ」

 あてがないわけではなかった。子どもを保育園に預けていた頃から、同じ経営者として支えあってきた友人がいた。並河駅前にある「シェ・サンタ」というパティスリーを営む松本夫妻である。子どものお迎えから晩ごはん、お風呂まで、創業時から協力し合ってきた経緯もあり、経営の話ができる数少ない友人だった。
「うちもそろそろ経営のこと勉強しよ思てんねん」
 ひとまずハルコはシェ・サンタに足を運んだ。松本夫妻と話すついでか、あるいは芳醇チーズケーキを買うついでか、いずれにしても足取りは軽かった。

「そしたら経営者の勉強会いきましょ」
 旦那のカツヤからそう誘われ、ハルコは中小企業家同友会(亀岡支部)の例会に参加してみることになった。
 中小企業家同友会は全国に支部を持つ経営者の任意団体である。主に中小企業の経営者や役員で構成され、全国各地の支部をあわせると46,000社以上の経営者が所属している。亀岡支部にはおよそ30社の経営者たちが名を連ねていた。
 自社と同じ会社は一つとして存在しないが、自社と似た課題を抱える会社は存在する。他社の経験を自社に役立て、自社の経験を他社に役立てる、連帯の精神を同友会は重んじていた。フジテックスと似た境遇の会社、似た課題を乗り越えた会社も、もしかしたら存在しているかもしれない。
 木曜の夕方、ハルコはその日の仕事を早めに切り上げると、同友会の例会に向かった。勉強会は月に一度、ガレリアかめおかの会議室で開催されている。ハルコはカツヤから招待されたオブザーバーとして参加した。
 例会は支部長あいさつから始まり、各部会の活動報告、ゲスト経営者の講義、参加者同士のグループディスカッションと進んでいった。合間に名刺交換を重ねることで、参加している経営者たちの顔ぶれが少しずつ見えてきた。製材、建材、塗装、保険、不動産……たしかにさまざまな業種の経営者たちが同友会に集まっていた。

(……でもうちの状況とはちょっと違いそうやなあ)
 率直な感想として、第一印象は微妙だった。講義もディスカッションも、ハルコが求めていたものとは少し違っていた。一括りに「経営者」といっても、会社の規模や歴史によって抱える課題は異なる。他社の実践をフジテックスの現状にどう反映すればいいか、ハルコにはいまいちピンとこなかった。
「んー、もう行かへんと思うわ」
 例会後の帰り道、ハルコはカツヤにそのまま意見を伝えた。しかしカツヤは気にしなかった。
「絶対じゃなくて、続けるだけ行ったらええやん」
 こうしてハルコは同友会に入会することになった。(なぜだ)

 もしカツヤの一押しがなければ、その後のハルコの気付きや飛躍はなかったかもしれない。疑問を抱きながらも例会への参加を重ねていくうちに、ハルコは見えてきたことがあった。

(私、何も考えてなかったかもしれん……)
 講義やディスカッションを繰り返していくと、経営者たちと意見を交わす機会が増える。すると一人一人の言葉に重みや深みがあることがわかってくる。初対面で話すだけでは見えない、それぞれの独自の考えや想いが見えてきた。
「京都の木、国産の木の価値を高めていくことは、お客さんや地域の皆さんのためになります」
「どんな業種だろうと、何のために働くのか、何のために生きるのか、理念が大事です」
「弊社は江戸時代の創業ですが、次の時代に向けて伝統と革新を両立させていきたいんです」
 多くの会社が資金繰りや社員育成に苦心する中、先を見据えたビジョンや理念を語る経営者たちがいた。目の前の現実と向き合いながら、同時に理想も追い求める経営者たちがいた。中には起業したばかりの20代の若者もいて、夢に向かってまっすぐ進む姿にハルコは感動した。
(その若者が立ち上げた「勉強を教えない塾」が、やがてこの物語を紡ぐことになる)

 ハルコはフジテックスでこれまで考えてきたことを振り返った。思い返せば、従業員には目の前の効率改善や資金繰りの話をすることがほとんどだった。ビジョンや理念について語ったことはなかった。とにかく今を生き残ること、目の前の人や縁を大切にすることばかり語ってきた。
 生き残ることに必死だったこれまでは、それが必要だったかもしれない。しかしこれから先のことを考えると、それだけでは十分ではない。時代が変わっても、自分がいなくなっても、会社で働く人たちの仕事や生活を守っていくには、業務や納期を超えた「何か」が必要だった。ビジョンや理念は、そのために必要なのかもしれない。ハルコは考えた。

(フジテックスは何のために存在してるんやろ。これから何を目指して進めばいいんやろ)
(検査の仕事はなくならへんとしても、これから先も利益を生む保証はない)
(今までやってきたことを進化させていく必要があるけど、どしたらええやろ)
 考えれば考えるほど、今までいかに自分が考えてこなかったかが見えてきた。このままでは短期的には乗り越えられても、長期的には発展しないかもしれない。ハルコはようやく「経営者」として向き合うべきことがあることに気付いた。

 同友会に入会して半年、ハルコは理念やビジョンと向き合うべく「実践道場」(現「人を生かす経営」実践塾)に参加することにした。八ヶ月かけて経営指針書を作り込む、同友会でもっとも本格的な勉強会である。
 2013年4月から開講した実践道場は、3名の受講生を5名の先輩経営者がサポートする手厚い体制で始まった。京都同友会全体ではそれが7グループ、全体で56名の経営者がビジョンや理念と向き合うこととなった。
 先輩経営者によると、実践道場は「経営者として丸裸にされる」場所だと聞かされた。実際、単なるビジネスモデルやマネジメントの話ではなかった。何のために生まれ、何のために生きるのか、人生全体を掘り下げるような話だった。人生の折り返し地点を過ぎたハルコにとって、その感覚は逆に新鮮だった。

(生まれたら、死に向かって進んでいくだけちゃうの)
 最初の頃は、問われることの意味すら理解できなかった。思い返せばそれは、ただ自分が素直になれていなかっただけだった。八ヶ月かけて人生や仕事と深く向き合い、それから何年もかけて仕事の現場で実践を重ねていくことで、ハルコは少しずつ「人生の目的、仕事の目的」を見出していくのであった。
 経営指針書自体は、八ヶ月で作り上げることができた。しかしそれは実践道場のプログラムに組み込まれていたから作っただけで、腑に落ちる内容にはなっていなかった。だからその時は会社に持ち帰って従業員に示すことができなかった。その後何度も作り直し、実際に納得いくものに仕上がるまでには数年が必要だった。

『人がすべてと考え、人を大切に一人ひとりに思いやりを持って向き合います。』

 理念を掲げ、仕事や人生と向き合う日々がここから始まっていく。業種や業務に囚われるのではなく、人の可能性と創造性を活かして挑戦できる会社を育てていく。ハルコは想いを言葉で表すことで、決意を新たにした。
(大きな可能性をもって、広がりのある事業に取り組んでいけるように……)
 こうして2013年9月、有限会社フジテックスは「株式会社藤大」へと名を改め、次の挑戦に向かって新たなスタートを切っていった。


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(制作元:じゅくちょう)


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