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2011 成熟への変色(株式会社藤大30年史)

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「藤田さん、すみませんがうちの営業時間は17時までなんです」
 納品先でチクリと釘を刺された。
「すみません。私も現場に入ってるんですが、どうしても夕方まで加工に追われてまして」
 営業終了後の納品が常態化していることについて、ハルコもよくわかっていた。

 千代川工場を閉鎖し、太田工場に一本化してからも、しばらくは苦しい状態が続いていた。工場一つ分の経費は削減できたとはいえ、まだ黒字にはできていなかった。ハルコも現場でフル稼働しているにもかかわらず、効率が上がらず、終業時間や納期に追われる日が続いていた。会社は検査グループが生み出す利益でどうにか持ち堪えていた。
 今振り返っても、この時期はとにかくバタバタしていてハルコもうまく思い出せない。はっきり覚えているのは、加工グループの仕事を軌道に乗せようと必死だったこと。そして、家族のことにまったく目を向けられなかったことだ。それはハルコとしても苦しかった。

 好転への足がかりになりそうな気配があったのは、検査グループのオペレーションだ。太田工場に移転して以降、検査グループの作業効率はみるみる改善していった。これまで一階と二階を使って進めていた作業が、すべてワンフロアでできるようになったからだ。全体に目が行き届くようになったことでミスは大幅に減った。
 今がどん底だとしても、ここからはい上がっていけばいい。効率を改善し、利益を出し、少しずつ軌道に乗せていけば、きっと立て直すことはできる。ハルコの目には決してかすむことのない希望の光が宿っていた。
 そうして上昇に転じかけた矢先、今度は不測の事態がフジテックスを襲った。

 2012年9月、週明けの月曜日、その異変は突如としてやってきた。

 月曜に社員が出社すると、検査を請け負っているPanasonic製品に変色が見つかった。精密機器の外側を覆う銀メッキの異常変色だ。それも一つや二つではなく、百個単位……「ロットアウト」である。納入された製品すべてを返却する事案が発生した。明らかに異常事態である。
 ロットアウトになった場合、製造工程から検証が始まる。Panasonicの製造から、フジテックスの検査まで、どの現場で異常が発生しているか見極めないといけない。
 もし特定の製造ラインだけで変色が起きているなら、製造工程に問題があると考えられる。反対にラインに関係なく変色が起きているのであれば、検査環境の問題の可能性が高い。製造ラインすべてが一斉に問題を起こす事態は考えにくいからだ。
 検証を重ねた結果、変色は特定の製造ラインに限ったものではなかった。つまり、フジテックス側に問題が起きている可能性が高かった。
 ハルコはすぐさま納入されていた製品をすべて返却し、大がかりな清掃と検証に入った。せっかく少しずつ改善が進んでいた業務は、すべて停止しないといけなくなった。

 銀メッキの変色は、硫黄によって引き起こされる。硫黄は強い臭気を含んでいるため、異常があれば気付きやすい。思い起こせば先週、来社した取引先の社員さんが小さな違和感を漏らしたことがあった。
「……何か変な臭いがしませんか? 気のせいですかね」
 その時は異常というほどの臭気は検知できなかったため、様子を見ることにした。もしかしたらそれが予兆だったのかもしれない。
 ハルコは環境研究所に空気検査を依頼すると同時に、社内でもあらゆる箇所の清掃を始めた。全社員が自宅待機となり、交代で清掃にあたった。Panasonicも融通をきかせてくれて、数人は出向で業務を継続することができた。それでも会社としては大きな痛手を負うこととなった。
 清掃と一口にいっても、年末の大掃除レベルでは済ませられない。トイレや排水溝はもちろん、検査室や浄化槽まで、創業以来一番といえるほど力を入れた清掃をおこなった。
(せっかく立て直せてきたんや。こんなことでつまずいてたらあかん)
 会社の存続がかかっているといっても過言ではないほど、ハルコは危機を感じていた。

 掃除が済むと、再び点検が入る。サンプルをいくつかの場所に配置し、数時間おきに変色が起きてないか確かめる。これで問題がなければ、再び製品を納入できるようになる。もし異常が見つかれば、また原因究明からやり直しとなる。
 清掃が完了した場所から、サンプルの設置が始まる。一ヶ所、二ヶ所と設置箇所が増えるたび、ハルコたちは祈る気持ちが高まっていった。

 一時間、二時間、三時間……変色がないか、一定時間ごとに巡回して確認する。
 四時間、五時間、六時間……同じルートをぐるぐる巡る。
 七時間、八時間、九時間……変色が起きないことを祈るように巡る。
 ひたすら結果を待つ時間は、結果を求めて動く時間よりはるかに長く感じられた。

 そろそろ問題ないと判断してもいいんじゃないか。再開への期待が高まり、みんなが安堵の胸を撫で下ろそうとしたところで……突如サンプルの一部に変色が見つかった。問題はまだ解決していなかった。

(このままやと、仕事を出してもらえなくなるんちゃうか)
 当時のPanasonicは、社名を変更してから優秀な人材を積極的に登用していた。以前は上層部にもフジテックスの内情を把握してくれている人がいたが、今はまだそこまでの関係が築けていない。今まで感じたことのない不安がハルコの心を駆け巡った。
「環境が整ってないところに仕事を任せる必要はないのでは?」
 上層部からそんな判断を下されることがあるんじゃないか。検査の抜け・漏れを注意されることとは比べものにならない、会社の根幹を揺るがす危機に直面している気がした。

 解明に時間がかかっている間に、空気の異常を示す数値は少しずつ下がってきていた。しかし原因はまだわからなかったので、空気を取り扱うコンプレッサーやダクトまで念入りに調べ直した。コンプレッサーに仕切りを設けることにして、製品が臭気に触れる可能性を徹底的に排除した。そして数値が一定の基準をクリアしたところで、ようやく業務を再開する目処が立った。
 仕切りを作る溶接工事が金曜に入る。人が出入りしない土日を空け、月曜からようやく通常業務に戻ることができる。業務を止めてから二週間、ハルコは早く工場を稼働させたくてたまらなかった。はやる気持ちを抑え、月曜を迎えると、ハルコは朝早くから工場に向かった。そして久々に納入された製品を確認すると……またもや変色が起きていた。

 原因はわからない。ただし、二度の変色で心当たりのある共通点が見つかった。むしろ、もはやそれ以外に変色の原因は考えられなかった。
 それは、溶接工事だ。最初の変色は、二階に上がる階段に踊り場を設置した直後に起きた。その時も金曜に溶接工事が入り、月曜に変色が見つかっていた。溶接工事で発生した何らかの臭気が、工場が閉まる土日に滞留して製品を変色させる、というパターンが想定できた。
 つまり二回目の変色は、念のためと思って実施した仕切りの溶接工事そのものが原因だった可能性が高かった。

「フジテックスさんも、ある意味被害者ですね」
 Panasonicに報告を入れたところ、今回の事態に関しては不問となった。二回も製品をダメにして精神的に参っていたから、その言葉にハルコはおおいに救われた。その後、太田工場では一度も溶接工事はおこなっていない。以来、変色も再発していない。
 ひと通り対応が落ち着いて数日後、付き合いの長いパートさん二人から食事会に招待された。「久々の息抜きに」との気遣いからだった。張り詰めた気持ちが一気に緩み、食事の最中に大泣きしてしまったことは、素敵な思い出として今もハルコたちの心に深く刻まれている。
 トラブルにぶつかっても、応援してくれる取引先がいる。不安に陥っても、気持ちを支えてくれる仲間がいる。黒字だろうが赤字だろうが、人のご縁は揺るがない。むしろ困難を乗り越えるたびに強くなっていく。ハルコが創業当初から大切にしてきた信念は、一連のトラブルを経て一層強くなっていった。
 人は強くなる。会社は成長する。一つ一つの出会いと経験から、ハルコは少しずつ確信と希望を強めていった。亀岡の田畑が黄金色に実り、愛宕山が赤く染まり始める秋、フジテックスも組織として成熟する時期を迎えていた。

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(制作元:じゅくちょう)


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