TMT(Time is Money Theory)の提唱(その1)~労働時間交換仮説〜

0. TMT(Time is Money Theory)とは何か。

この記事の内容は、一言で表すと「Time is money = 時は金なり」である。貨幣の価値は、何に基づくのか、その答えは古くからあることわざにすでにヒントがあったのではないか。つまり貨幣というのは、時間を買えるから価値がある。それが私が提唱する珍説…もとい仮説の労働時間交換仮説である。今話題のMMTを意識して、またことわざをヒントにしたことを忘れないように「Time is Money Theory」と呼ぶことにした。

※注意① この仮説は、後述の記事の内容を見るとマルクス経済学の主張と同じに見えるかもしれない。実際、近いところはあると思うが、マルクス経済学のように資本家による搾取を打倒する、といった主張をするつもりはない。

※注意② 理論などと命名しているが、単なる仮説でしかなく、実証や検証を経たものではない。

1. 財政赤字はハイパーインフレを起こすのか?

最近は、日本の衰退の原因は、財務省による緊縮財政により、十分な政府支出や投資が行われないことで成長しないことが諸悪の根源という意見がインターネット上で多く見られる。現代の貨幣は金などの実物資産との兌換機能を必要とせず、その気になれば日銀がいくらでも発行でき、日銀がその日本銀行券で国債を大量に購入すれば、政府は潤沢に政府支出や投資を増やし、日本は再び成長できる。そういった具合である。

これを実際に行ってしまえば、市場に日本銀行券が大量にあふれ、その信用が一気に低下し、ハイパーインフレが発生し、日本銀行券が紙くずになってしまうという意見もある。その意見に対しては、安倍首相就任後のインフレ率2%上昇を目指して、アベノミクスによって日銀による金融緩和を通して市場に大量の日本銀行券が供給されているのに、いっこうにインフレ率が上昇しないではないかという反論がなされる。

正直、私はどちらの言っていることも正しいと思っている。ある程度の国債発行や貨幣発行に対してインフレ率は大きく動くことはなく多少の財政赤字であってもハイパーインフレにはならないと考えられる。

しかし、貨幣の価値が何の実物資産にも基づいていない以上、人々がその貨幣の価値に対する信用を失えば、一気に貨幣価値が暴落してハイパーインフレが起こるというのは誤りではないだろう。それが財政赤字がどの程度になれば起こるかは誰にもわからない。

だからハイパーインフレのリスクが少しでもある財政赤字は許容できず、財政を黒字化させることで、ハイパーインフレのリスクを限りなく下げることが望ましい、と財務省や財政緊縮は考えているのだろう。あたかも、今、世間を騒がせている感染症の指数関数的な増加をおそれて、強い対策を行っているのと同じように。

ではそのハイパーインフレを起こす、貨幣価値の暴落とは何だろうか。そもそも貨幣の価値とは何だろうか。

その貨幣の価値を説明する仮説として、私が提唱する「労働時間交換仮説」を紹介する。

2. 労働時間交換仮説の仮定

私が提唱する「労働時間交換仮説」は、基本はマルクスの資本論の一部や、アダム・スミスの経済の効率性の話やリカードの比較優位理論の焼き直しである。仮説と大仰しく言ってはいるが、当たり前のことを再整理しただけかもしれない。

私の提唱するこの仮説は、もともと「時間経済学」と呼ぶことも考えていた。その時ネットを調べた時にヒットした下記の記事にも私の考えに近いことが述べられているので紹介しておこう。

労働時間交換仮説の仮定は以下のとおりである。

①我々は、貨幣によって労働時間を交換している。この交換は、誰かの労働時間を貨幣で購入し、自己の労働時間を誰かに売却して貨幣を得ることで行われる。

例えば、以下の表のようにAさん、Bさんがいて、それぞれ商品1と商品2を製造することを考える。AさんとBさんの1個あたりの製造時間に差があるとすると、以下の表のようにAさんとBさんが10個ずつ別々に製造すると全体の製造時間はAさんの総製造時間は150、Bさんの総製造時間は350になるが、2人が分業すると、それぞれ100、300になり、2人とも労働時間が50減ることになる。

比較優位理論の例

これはいわゆる、リカードの比較優位と呼ばれるものである。Aさんが商品1も2もBさんより早く製造できるにもかかわらず、Bさんのほうが相対的に商品2を作ることが得意であるため、Aさんが商品1を全力で製造するほうが時間を得することになる。

さらに、一般的に製造量が増えるほど、商品1個当たりの製造時間は減るのが普通である(例えば工場での大量生産など)。そういった効果を見込むと節約される時間はさらに増えるだろう。

これは、貨幣による商品の売買を通した労働時間の交換によって、余剰時間が生まれることを意味している。そして生まれた余剰時間は、別の商品を製造したり、余暇や休暇として過ごすことができる。

この主張は、アダムスミスが国富論の中で主張しているものに近いと言えるかもしれない。

この余剰時間の発生に人々は価値を見出し、貨幣を欲することになる。すなわち、人々は時間を買うことができるから貨幣を欲する。

②貨幣の価値は、その貨幣1単位で何時間、他人の労働時間を購入できるかによって決まる。すなわち、貨幣の価値は、1単位で誰かを何時間動かせることができるかによって決まる。

③購入(売却)できる労働時間は、人によって異なる。貨幣1単位で購入(売却)できる労働時間は、賃金率、つまり時給の逆数である。

例えば、ある人Aさんは1万円で5時間の労働時間を売却するとしよう。これは、5時間/1万円と表される。この逆数を取れば、2000円/時間となり、これはいわゆる時給2000円ということである。このAさんは、労働時間を1時間2000円で売却する、すなわち時給2000円で働くことで貨幣2000円を得る。逆にいうと、Aさんは1万円で5時間働いてくれる、という事でもあり、1万円にはAさんを5時間働かせる力があることになる。

このあたりの計算は、小学校でよく教えられている「きはじ」の考え方が役にたつだろう。

お金=賃金率×労働時間

賃金率=お金÷労働時間

労働時間=お金÷賃金率

「お金」「賃金率」「タイム(労働時間)」の関係式なので、「きはじ」風に、「お(金)ちんぎん(賃金率)タイム(労働時間)」と唱えると覚えやすいと思う。

④人の時間に対する価値は、賃金率と同じか、比例する。

賃金率が高い人は、時間の価値が高い。例えば、移動に際して電車やバスよりもタクシーを使用するであろうし、新幹線や飛行機などを多用する。

お金持ちの時間に対する価値の置き方は、白饅頭氏の記事が参考になるだろう。

⑤労働時間の交換、すなわち貨幣の交換は、人と人の間でのみで行われる。例えば商品の購入も、その商品と貨幣を交換するように感じるが、実際はその商品を売る人と買う人の間で貨幣や労働時間を交換している。

⑥全ての商品は、サービス業に分解される。すなわち、ある商品の販売というのは、誰かの代わりにその商品の製造や調達を行う代行サービス業と考えられる。

基本的に、どの商品も労働時間さえかければ製造できると考えられる。ある人には製造不可能な商品も、無限大の労働時間をかければ誰でも製造できると表現できる。この主張は、マルクスのすべての商品は労働によって自然から取り出されるという主張に近いかもしれない。ただし私の主張は、労働をさらに分解して、賃金率と労働時間に分けている。商品の購入というのは、貨幣を支払うことで、自分の代わりに販売者に商品の製造や調達を代行してもらうことで、自分が商品を製造したり調達する時間を節約する行為だと言える。

⑦商品の価格、すなわち物価は、最終的にその商品に投入された人件費の合計となる。人件費は、(賃金率)×(労働時間)であり、商品の価格、物価は、貨幣価値=賃金率と、その商品に投入された労働時間の合計によって決まると考えられる。

商品の価格、すなわち物価は、原価と付加価値に分解できる。付加価値はさらに、人件費と機械損料や賃料、水道、ガス、電気代などの経費、そして利益に分解できる。そしてそれらの経費も原価と人件費と経費に分解でき、分解を続けていくと、商品の価格、つまり物価は、最終的にその商品に投入された人件費の合計と考えられる。利益についても、経営者や投資家の取り分と考えると、経営者や投資家の人件費、という考え方もできる。

貨幣の価値を測るうえで重要なものが、物価である。貨幣1万円の価値は、1万円で買える商品と同等の価値、すなわち物価によって決まるという表現もできるだろう。商品に投入された労働時間の合計が変わらなければ、物価の変動は賃金率の変動で表現できることになる。

しかし、商品に投入された労働時間の合計というのは、大量生産や技術革新によって減少するのが普通であり、物価だけで貨幣の価値を測ろうとすると、その効果も考慮する必要があるだろう。

すなわち、物価の変動とは、貨幣価値=賃金率の変動、と、大量生産や技術革新による商品への投入される労働時間の変動に分解できると考えられる。

⑧サラリーマンなど従業員等の給与所得者は、賃金率が年間を通してほぼ一定であり、事前に想定される賃金率と事後に決定される賃金率の変動は小さい。自営業者や投資家は、得られた利益から賃金率が決まるため、想定される賃金率と事後に決定される賃金率の変動は大きい。

商品の価格は、原価と付加価値によって決まる。付加価値のうち人件費や経費については、付加価値というか、どちらかというとこれらも原価として考えるのが普通である。原価に組み込まれる人件費は従業員等の給与であり、その金額は定期昇給やボーナスの変動等があるとしても、変動は大きくない。これに対して利益は、取引ごとに大きく変動する。それはすなわち利益という経営者や投資家の人件費については、大きく変動するということである。

⑨貨幣の貸し借りによる利子は、貨幣を一定期間使用できる権利を失う代わりに、その権利を失った分に見合う貨幣を得るという風に解釈できる。

貨幣は、基本的に使用する事で、余剰時間を入手することができる(出前を頼む事で、その料理を作る時間や材料の購入時間などが節約され余剰時間が生まれる)。貨幣を誰かに貸すということは、その得られる余剰時間を空いてから返してもらうまでの一定期間得られないことになる。その本来得られたはずの余剰時間に応じた分、利子を請求する。

または、すぐにお金を使ったときに得られる余剰時間と、後でお金を使った時で得られる余剰時間が変動するため、その変動分を利子として請求することになる。

逆に、貨幣を借りた側は、借りた貨幣を使用することで余剰時間をいわば前借りし、前借りで得した時間の分利子を支払う。これは別の言い方をすれば、貨幣を借りて使用することで余剰時間を得て、その余剰時間を貨幣と交換することで、借りた以上の貨幣を得ることができ、その利益から利子の支払いを行う。

⑩−1 空間的な距離は、その移動時間で表現される。距離が離れた取引は、その移動時間の分、取引に時間を要する。

⑩−2 資源量の限界は、その資源を得るのに要する時間の増加によって表現される。資源が豊富な時は、その資源を得るのは容易であり、時間もかからない。しかし、資源が枯渇した時は、その資源を得るのは困難となり、時間もかかる。

⑩−3 映画やアニメ、ゲームの購入などの取引では、購入者もその鑑賞やプレイにより時間を消費するため、一見すると労働時間の交換が行われていないように感じる。しかし、その映画やアニメ、ゲームを自分で制作する時間と鑑賞やプレイ時間の差を購入者は得をすることになる。

3. 国家の貨幣発行時の仮定

古代においては、貨幣の発行主体は国家であったが、現在の貨幣の発行主体は、中央銀行である。中央銀行は厳密には政府とは独立した機関であるが、国債の購入や売却、公定歩合の設定による金融政策を担う一種の公的機関であるため、以下では国家が中央銀行をある程度コントロールできるとして話を進める。

①国家は、国民に労役を課すことができる。すなわち、国家は国民の労働時間を一定割合使用する権利を有している。ただし、この労役は、貨幣を支払うことで免除される。これが税金である。実際、現代の税金は年間の所得、すなわち年間の賃金の一定割合が課せられる(累進課税により人によって率が異なるが)。これは、年間の賃金は、賃金率×年間労働時間、と考えると、年間労働時間の一定割合を国家に収めるということである。

②国家は中央銀行を通して、貨幣を発行することができる。中央銀行は額面をはるかに下回る費用で貨幣を製造することができる。

③国家は、割安な費用で貨幣を発行することで、国民の労働時間を徴収することができる。ある意味、貨幣の発行とは一種の税金の徴収と考えられる。

これは、国家や中央銀行は貨幣を発行することで、国民の労働時間を割安で購入することができるということである。国家は、人々の時間を交換したい欲求を利用して、その媒体となる貨幣を発行することで利益を得ることができる。すなわち、国家による貨幣発行は、その発行された貨幣により国民に労働を課すことができるようになり、国民にとっては本来歓迎されないものであると考えられる。

そして、なぜ、国家は貨幣発行でこのようなことが可能かといえば、人々は貨幣を通じた労働時間の交換を通して、時間を節約することができ得をするから、貨幣を求めるからと考えられる。

過大な貨幣の発行は、国民の労働力の搾取につながると考えられるが、貨幣の発行が過小であれば、人々の労働時間の交換の欲求を満たすことができず、これも問題であると考えられる。

④国家は、徴収した税金、国債を発行して得た貨幣、貨幣を直接発行することで資金を得て、公共事業を行う。公共事業とは、民間だけに任せておくと供給が難しい商品(公共財)を提供するものである。

一般に、民間だけに任せておくと供給されないものを公共財という。国防や警察などの行政サービスや、地震や洪水などへの防災、国道や(通行料無料の)道路整備、医療保険事業、年金保険事業などがある。

国家や中央銀行は税金を徴収するだけでなく、貨幣を発行して、国民を働かせることができ、それを使用することで余剰時間を多く手に入れることができる。国家が公共事業を行った場合、公共事業(国民の命を守る防災施設や利便性を向上する交通網の整備)を実施するのに掛かる時間分、余剰時間が発生し、その時間は、国民に分配される。

その国民に分配される時間が、税金分の労働時間の損失を上回れば、ある程度は適切な事業と言えそうである。

⑤貨幣は発行しすぎれば、国民の総労働時間には限界があるため、労働時間の相対価値が上昇し、労働時間の交換レート、すなわち賃金率が上昇して、貨幣の価値が低下する。すなわち、1万円で労働してくれる時間が減ることになる。

例えば、賃金率は2000円/時間の時は、1万円で5時間労働してもらえたのが、賃金率が2500円/時間に上昇した場合、1万円で4時間しか労働してもらえなくなり、1万円の価値が低下することになる。そういう意味では、真のインフレというのは賃金率の上昇と考えられる。

そして、ハイパーインフレとは、人々が貨幣を時間と全く交換してくれなくなることだと考えられる。

⑥海外との労働時間の交換には、労働時間と貨幣の交換レートに、さらに国家間の貨幣の交換レート(為替レート)が掛けられる。

海外との労働時間の交換、つまり商品との交換、貿易に関しては、海外では使用している貨幣自体が異なるため、為替レートを賃金率にかける必要がある。

この時、為替レートと賃金率の掛け算の順番は、どちらでも良い。

さらに現代社会において時の流れは地球上ではほぼ同じであるが、光速に近い速度や重力などの相対論的な効果によって時間の流れが異なる地域も宇宙の中には存在する。そういった地域と労働時間の交換、すなわち貿易を行う際は、相対論的な補正レートを掛ける必要も出てくるかもしれない。

4. Time is Money Theoryの実証

このTMT(Time is Money Theory)は何がうれしいのか。

それは、貨幣や物の価値を時間という絶対的な数字によって測ることができることだと思っている。

貨幣の価値を物で表そうとしても、その物の価値は技術の進展や大量生産などによって変動してしまい、物の価値が変動することで貨幣の価値も変動してしまう。

TMTにおいては、金融政策的な効果は賃金率を変えることで物価に影響し、大量生産や技術革新の効果は、商品に投入される労働時間の変化と分けて考えることができる。もちろん賃金率が変わることで、労働時間の交換のされ方が変わり、生産形態が変わったり、技術革新に資金が回ったりする可能性はあるが、それらは二次的な効果であると考えられる。

私は、この理論、というか仮説の正しさを実証できていないので、仮説と言っている。これらの仮定と仮説の実証は、うまく数式化、数理モデル化でき、そのモデルによって実現象が説明、予測できれば、ある程度実証できたといえるかもしれない。

これらの仮定は、ある程度、数式化、数理モデル化しやすいと思っているが、そこまでは提唱できていない。数式化しやすいといっても、商品価格を分解して賃金と労働時間だけで表現するのは、なかなか難しそうである。

そもそも、まだまだ取り込めていない内容が多い。例えば、需要面の話や、資源の偏在、事業の不確実性や、確率的な事象などをこの仮説に、今後取り込む必要があると考えている。

今後は、それぞれの仮定の詳細についてまた別途記事を書いていきたいと思う。




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