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「構成作家の作り方」

「構成作家の作り方」
                              田原弘毅

「ご職業は?」「お仕事は何をされているんですか?」と問われた際、正直に「アニラジの構成作家です」と答えるかどうかいつも悩む。かれこれ25年悩みつづけている。そう答えてもわかってもらえるかどうか不安だからだ。

 自分が所属しているアニメ・声優業界の方なら「ああ、なるほど。アニラジの作家さん」と即座に理解してもらえるのだが、一般の方にとっては理解できない単語の羅列に過ぎないと思う。もう80歳を超えた自分の母親に何度か説明したことがあるが、全く理解できないし、そもそもわかるつもりもないようだった。

 比較的、理解しやすい単語から説明していこう。「構成作家です」と言うと、けっこうな確率で、「作家さんですか!」と返事が戻ってくるのだが、この時点で、もう、うーん…と悩む。構成作家は、一応は物書きであるが小説家ではないからだ。
 そこで「小説を書いているわけじゃないんです。台本を書いているんです」と答えようものなら、「なるほど、脚本家さんですか!」と追い討ちがくる。既にこちらは討ち死に寸前。この方は、台本を書く職業と言えば、テレビドラマの脚本か舞台脚本を書いていると思っているのだろうが、自分の書いているのは脚本ですらない。そもそも台本と言っても「構成台本」なのだ。

「構成作家です」と名乗ったとき、予想以上にこう返事をされるパターンも多い。「ああ、放送作家さんですか」と、いかにも納得したかのような答え。ああ、この方はちょっと業界のことを知っていらっしゃって、目の前にいる眼鏡をかけて帽子をかぶった初老の男は、小説や脚本を書いているのではなく、テレビ番組の台本を書いている放送作家さんなのだな、と。そう思っていらっしゃるのだなと。
 でもねえ、それなりに近いのですが、やはり放送作家と構成作家は似て非なる存在なのです。実際に携わったことがないので詳しくは知らないが、テレビの放送作家さんのフィールドが映像という媒体である以上、ラジオに較べて書く文章の分量も多いし、調べ物も多い、仕事が大規模なので会社やチーム単位で動いている。そのぶんテレビの台本のギャランティはラジオと一桁違う。

 自分が書いている「構成台本」は「OPでこんなあいさつをしてください」「Aパートはこのメールを読んでトークしてください」「ここでこの曲を紹介してください」「ここでこの告知原稿を読んでください」「Bパートはこのメールを読んでトークしてください」「EDはこの言葉で締めてください」という番組の流れを示した、A4の用紙でせいぜい10ページ程度の台本なのである。これを作るのが「構成作家」なのだ。

 続いて「アニラジ」という単語。これは比較的一般層のみなさんにも理解しやすい「アニメ」と「ラジオ」の合成語で、当然ながら広辞苑には載っていない。一言で言えば、アニラジとは「アニメに関するラジオ」ということ。
 でもですねえ、この定義もここ20年でいろんなパターンが生まれていて、ゲームの隆盛から具体的に言えば「ゲームに関するラジオ」もアニラジと呼ぶし、特にアニメやゲームの話はしなくても声優さんがパーソナリティを務めている時点で「アニラジ」というカテゴリに入る場合もある。
 現在の自分の実感で言うと、「アニメやゲームの話題が高確率でメインで、声優さんがパーソナリティを務めることがほとんどのトーク番組・音声コンテンツ」がアニラジだと思う。思うが、そんなコンテンツがあることを想像もしたことがない、という方にとっては理解できる要素が一つもないに違いない。

 そこらへんのニュアンスを深く飲みこまず、「つまりラジオの作家さんなんですね」という短絡的な納得される方もいるが、でもこの方の思うラジオの作家とは、きっとTBSラジオやニッポン放送の深夜ラジオ番組をイメージしているんだろうな、ところがどっこい、ぼくが書いているアニラジってほとんどがインターネットラジオなんですよー。地上波のラジオはいま一本しかやってないんですよー。WEBでしか聴けないんですよー。

 もうこんなだから面倒くさくて、理髪店などで「お仕事は何をされているんですか?」と問われた場合は、「インターネット番組の制作です」と答えて、ここしばらくはことなきを得ていたのだが、最近はこう答えると「ユーチューバーの方ですか?」とツイストの効いた勘違いをされて、もうなにがなにやらわからない。

 ここまで根気よく説明して、「アニラジの構成作家」という職業を、「アニメの話題がメインの、声優さんがパーソナリティを務めるインターネットラジオの台本を書く仕事」と、なんとなく理解された方に、さらにこんなふうに尋ねられることもある。「それって職業として成り立つんですか?」言外に「食えてるんですか?」「儲かるんですか?」「需要あるんですか?」と聞いてきているのだろう。
 結論から言えば――食えました。自分はこの「アニラジの構成作家」を25年以上続けてきました。全盛期のころは再生数が100万を超す番組もいくつかあり、ラジオCDがオリコンの上位ランキングに入る時期もありました。驚かれる方もいれば、現在のアニメ人気を知っている方なら、むしろ当然と感じる方もいらっしゃるかもしれない。

 でも自分は「構成作家になりたい」と一度も思ったことがない人間だ。

 小説家になりたかった。中学生のころ、筒井康隆や山田風太郎をむさぼり読んでいたころ、自分は将来、作家になりたい、小説を書く人間になりたいと思っていた。でもそうはならなかった。高校を卒業後、日大の芸術学部に入学し、中退して劇団に所属し、舞台に立ったり芝居の脚本を書いたり、劇団をやめて実家の不動産屋を手伝っていた時期も、ずっと小説家になりたかった。
 30歳になって「小説現代」の新人賞を受賞したとき、これでやっと未来が開けた気がした。小説家になれる道筋を得たと思った。しかし、短篇小説はせいぜい年に1作しか書けず、3年かかって書き上げた長篇小説も全く話題にならなかった。

 今ならわかる。50代も半ばになり、25年にわたって、ラジオやイベント、生配信番組など今までいろんな仕事を経験し、声優さんやアニメ監督さん、レコード会社のプロデューサーさん、出版社の編集さん、マンガ家さん、アニソンアーティストさんなど、いろんな個性的な方たちに出逢い、こんなエッセイや短篇小説を改めてこつこつ書いている今なら、なぜ自分が小説家になれなかったのかよくわかる。
「小説家になりたい」という気持ちと、「小説を書きたい」というモチベーションは、明らかに違うのだ。前者はいわば「ゴール」の話をしていて、後者は「スタート」について語っている。
「役者になりたい」という気持ちより「芝居がしたい」という気持ちが、「歌手になりたい」という気持ちより、「歌いたい」という気持ちの方が、ストレートに道を切り開いてくれる、今ならそう思える。あのころの自分はゴールのことしか考えられず、スタートラインでまごついている大人子供に過ぎなかったのだ。

 しかし人間は結果が出ないと、結果が出ないことに慣れつづけていくと、闇に呑みこまれていく。30代前半のぼくは疲弊した。そしてそんな時期に、なぜなのだろう、ちょうど「田原、マンガとアニメ好きだし、芝居の脚本も書いてただろ?ラジオドラマ書かない?」と佐藤太に誘われたのだ。
 佐藤太というのは大学時代からのつきあいで、劇団の仲間でもあった。そのころ、大学の後輩で同じ劇団に所属していた竹内順子という舞台女優が、声優としてデビューし、冨樫義博先生のジャンプマンガ『HUNTER×HUNTER』のアニメ化の際、主人公のゴン役として抜擢されたのだ。
 竹内はキルア役の三橋加奈子さんと、ラジオ大阪をキー局とした、『HUNTER×HUNTER R』と題したアニラジのパーソナリティを務めることになり、元々は作曲家で音響家だった佐藤はその番組のディレクターをすることになった。そこで「オリジナルのラジオドラマを作ろう」という流れになり、マンガとアニメ好きな自分がドラマの脚本家として白羽の矢が立ったのだ。
 小学5年生のころから20年間ずっと継続して少年ジャンプを購読していたから、『HUNTER×HUNTER』は当然、読んでいたし、大好きだったので、ぼくは『エッシャー塔奇譚』というオリジナルラジオドラマを書き上げた。
 さいわい、このラジオドラマが、他の出演者、クラピカ役の甲斐田ゆきさん、レオリオ役の郷田ほづみさん、ヒソカ役の高橋広樹さんに好評だった。ぼくは自分の台本を声優さんに演じてもらい、公共の電波で放送してもらったことがうれしかった。
 ちょうどそのころ、『HUNTER×HUNTER R』の構成作家さんが降板することになり、プロデューサーさんに「田原君、構成作家、やってみない?」と言われ、特にその時期、ろくな仕事もなかったぼくは二つ返事で引き受けた。「やります」

「えーっ、そんな簡単にラジオ番組の構成作家になれるものなの!?」と驚かれる方もいるでしょう、でもこれ事実なのです。ぼくには構成作家の師匠もいないし、専門学校にも通っていません。ここからもうほんとに独学でいろんな番組にとり組むことになります。余談ですが、そういう理由から、ぼくの作る構成台本は、ほかの作家さんとぜんっぜん違う仕様になっています。

 ラジオ自体は好きだった。自分が中学生のころ、1980年代は深夜ラジオのブームで、毎夜のように四畳半の自室で深夜、ニッポン放送では、中島みゆき、谷山浩子、ビートたけし、笑福亭鶴光のオールナイトニッポン、明石家さんまのブンブン大放送、文化放送ではさだまさしのセイ!ヤングを楽しんでいた。
 特にぼくは中島みゆきのオールナイトニッポンの大ファンで、一度だけハガキが採用されたときは布団の中で天にも昇るような気持ちになった(でも内容は全く覚えていない)。ぼくの「とにかくメールを読んで進行していく番組作り」は中島みゆきのオールナイトニッポンに影響を受けている、と自分では思う。
 
 ここで「アニラジの作り方」について説明しておこう。
 アニラジの意義は「アニメのプロモーション」にある。アニメの放送情報を伝え、付随して発売されるオープニング・エンディングのCD、アニメをパッケージにしたDVDやブルーレイの宣伝をするのが目的の番組である。
 ただ、これらを告知を羅列しただけではやはり誰も聴いてはくれないので、「ラジオ」の体裁をとることで、バラエティの要素を付け加え、視聴者数、再生数を稼ぎ、宣伝につなげていくのだ。

 具体的な例を挙げて説明しよう。これは実際に配信した番組なのだが、少年マガジンで久米田康治先生が連載していたマンガ『さよなら絶望先生』が、キングレコードというレコード会社のプロデュース、シャフトというアニメ制作会社でアニメ化されることになった。2007年のことだ。
 このとき、フロンティアワークスというアニメイト系列の会社から「田原さん、『さよなら絶望先生』のアニラジを配信しようと思うので、構成作家をやってください」と頼まれる。
 このオファーを引き受けたぼくの作業はと言えば、まず「構成案」を製作委員会に提出するのが最初の仕事になる。ぼくはこんなことを考えて、ラジオのフォーマットになる構成案を作成する。
 …………『さよなら絶望先生』というタイトルを大事にしたいので、ラジオのタイトルは『さよなら絶望放送』にしよう…………原作は一癖も二癖もあるキャラクターが多いので、キャラクターそれぞれのモチーフ「絶望」「ポジティブ」「普通」「きっちり」「腐女子」「引きこもり」「ストーカー」などの個性をそのままコーナーにすればいい…………番組独自の挨拶は当然、「さよなら」だ…………そんなふうに考えて番組のフォーマットを作っていく。
 この構成案を提出して各所からOKが出る。プロデューサーの判断で、パーソナリティも主人公、糸色望を演じる神谷浩史さんと、原作の大ファンでもある日塔奈美役の新谷良子さんに決定する。
 ここでラジオ制作決定が告知され、マンガ『絶望先生』ファンの方からメールが届く。ぼくがそのメールを下読みして「今回のコーナーはこれとこれをやろう、それぞれ採用候補メールはこれとこれとこれ」という判断をしつつ、初回の「構成台本」を作成する。その台本をもとに、スタジオでパーソナリティと打ち合わせし、収録に臨むのである。
 これがアニラジのいわばフォーマット、この体裁でぼくはゼロ年代から10年代にかけてけっこうな量のアニラジの構成作家を務めることになる。
 20数年、「マンガが原作のアニラジ」に限ってみても、『HUNTER×HUNTER』『魔法先生ネギま!』『ぱにぽに』『かってに改蔵』『ヘタリラ』『ギャグマンガ日和』『のだめカンタービレ』『変ゼミ』『じょしらく』『のんのんびより』『君と僕』『男子高校生の日常』『波打ち際のむろみさん』『魔法陣グルグル』『あそびあそばせ』『この美術部には問題がある』『おそ松くん』『僕だけがいない街』『田中君はいつもけだるげ』『orange』『かくしごと』『織田シナモン信長』『さんかく窓の外側は夜』『ULTRAMAN』『デッドマウント・デスプレイ』『イジらないで!長瀞さん』『エルフさんは痩せられない。』など、様ざまなマンガをラジオにしてきた。

 こんなふうに「アニラジ」はぼくを食べさせてくれた。20代のころ脚本を書いても小説を書いてもいっかな職業として成立しなかった自分は「アニラジの構成作家」という、一般の方にはまったく理解できない「職業」に不思議なほどの適性があったのである。でも、そんなそんな適性があること、自分で分かるはずがない。
 しかし、今でも自分の心の大半は「中学生のときのあの四畳半」にいるような気がする。ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンなど、少年マンガをむさぼり読んで、夕方からは毎日アニメを観て、深夜ラジオを聴いていたあの四畳半。
 スポーツもできず、勉強は国語だけしか得意でなく、80年代には「ヲタク」という言葉もまだなかったから、黒縁眼鏡をかけたあの少年はクラスでただ「根暗」と呼ばれていた。しかし、10代のときにマンガ、アニメ、ラジオが大好きだった彼は、なんかよくわからない結びつきから「アニラジの構成作家」という天職を得ることになったのだ。

 50代も半ばになった今、たまに、若い人へのアドバイスを。と言われたとき、「自分がやりたいことをやることがなによりも大切なのはわかります。でも、誰かから『こんなことやってみれば?』と誘われたとき、自分がやりたいことでなくても頭から否定せず、とりあえず乗っかってみることも実は大切だと思います。案外、自分の適性って、自分ではわからないことも多いんじゃないかと思うんですよ」と答えることにしている。


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