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京都 随心院 小野小町

花の色はうつりにけりな いたづらにわが身 世にふるながめせしまに

小野小町は平安時代前期9世紀頃の女流歌人です
小野小町は和歌の名手を総称した「六歌仙」と「三十六歌仙」の両方に名を連ねるた歌人です。 技巧に富んだ華麗で、大胆な作風は当時から高く評価されていました。
京都市の南東に位置する山科区小野は、平安時代に小野一族が栄えた場所と伝えられています
 
小野一族は、古くは大和朝廷の外交の任をもって二回も隋に渡った小野妹子、平安初期にあの世とこの世を行き来し閻魔大王に仕えたとの逸話が残る公卿の小野篁、同じく平安時代前期に和様書道の基礎を築いたといわれる小野道風などを輩出した孝昭天皇の皇子であった天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)を祖とする一族です。

山科区小野にある真言宗善通寺派の大本山「随心院」は、小野一族の中でも最も世に知られている小野小町ゆかりの寺といわれています。
随心院の境内には、絶世の美女といわれた平安時代の女流歌人・小野小町の史跡がいくつか残されています。


心字池

苔の庭 如意輪観音坐像をご本尊とする随心院の本堂の南には心字池という池があり、この池から 書院にかけては苔の庭が広がっています。    
 庭一面が苔に覆われていたことから、随心院は「洛巽(らくそん、都の東南)の苔寺」と呼ばれていました。 また、古くからの街道に面した総門を入って右手にある梅園は、京都を代表する梅の名所としても知られています。

小野の小町化粧の井戸

化粧の井戸(けわいのいど) 随心院の薬医門の西側には、小野小町が宮廷を辞した後に、この地に戻って晩年を過ごしたといわれる屋敷があったそうです。
その屋敷にあったと伝えられる化粧の井戸は戸は、小野小町が朝と夕に顔を洗った(化粧をした)井戸といわれている

小町文塚

小町文塚 随心院の本堂の裏手には、小野小町に寄せられた千通の手紙が埋められていると伝わる小町文塚(五輪塔)があります。 この小町文塚を詣でると、恋文上達・文章上達・恋愛成就などの願いが叶うといわれています


随心院薬医門

梅林





  


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