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自分のナラティヴをいったん脇に置く。(ハラスメントと闘う日々⑨)

今週、人事との面談を行った。

相談窓口に申告してから約1か月待たされたが、今となっては、この1か月があったおかげで、自分の気持ちの整理が付き、本来の目的に立ち帰れたのでは無いかと思う。(かなり悶々とはしたが…)

希望として伝えたのは2つ。

異動を希望すること。

そして職場環境を改善して欲しいこと。

この2つだけにした。

異動の希望

要求事項として、当然ながら加害者への処罰などもはじめは考えた。しかし、過去を振り返り資料を纏める過程で、ハラスメントとして認められる可能性の低さを感じた。残念ながらあからさまな行為がない、そして証拠も乏しい。

ハラスメントの観点で追求を続けるにはかなりの長期戦になる事が予想され、それは本望では無かった。辛い時間が続くだけだ。

そして、仮に加害者へ何らかの処罰が下ったとして、それで果たして自分の気持ちが晴れるかと自問すると、そうでは無いなと思った。残念ながら過去はもう覆らない。

そして、加害者の態度や行為も酷いが、それを見抜けず、かつ加害者の虚偽の報告を信じ、問題を振り替え、逆に私に対する処分を下す判断をした幹部たちの態度や資質の方が余程問題だと思った。

もはや彼らへの信頼は無く、この組織で働き続ける意思は消えた。むしろここで働き続ける事が精神的な負担となり、ダメージを受け続ける事のリスクを考えると、まずは異動させて貰う事が最善の策だと思うようになった。そして次への足踏みだそうと。

この悪しき環境から抜け出す。それを第一優先にしようと決め、その旨を伝えた。

この私の思いは、人事担当者に伝わったように思う。

私の今の置かれている状況や体調を考えるると、次の職場を探すことと、私に対して行われた行為の是非を議論していくこととは、切り離して考えた方が良さそうだと言ってくれた。

そして加害者の行為をハラスメントと認めるのは難しそうだと言う事も、彼の発言からは伝わってきた。

恐らく、ハラスメント問題に深く切り込んでいくよりも、異動させる方が調整がしやすいという一面があるのだろう。

但し、人事権を持つのは幹部だ。幹部にこの思いや希望が伝わるだろうかと言う不安は残る。

職場環境の改善

私自身は、該当の加害者の元からは今は離れているが、以前の同僚達はまだその元にいて、加害者の攻撃を受け続けている。訴えることもできず、苦しみながら働いている。いや、働かされている。その結果、職場の雰囲気は下がるところまで下がっている。

しかし、その現状に目が向かない幹部。

その実態を伝え、何らかの改善の策を打って欲しい、それをもうひとつの希望とした。

これも、前述と同じで、ハラスメントと認められる可能性が低いそうだと感じた事から、このような表現となった。

もはや、ハラスメントか否かの議論はどうでもいい。

とにかく、メンバー全員が苦しんでいると言う事実を伝え、少しでも改善の方向に向かって欲しいと言う願いだ。

その事実を知らされて、何も手を打たない訳にはいかないだろう。(と思いたい…)

実際、社員のモチベーション調査の結果もそろそろ出るころで、その結果とも合致するはずだ。

ただこれも、幹部が素直に認めるかと言う懸念が残る。素直に認めることは、これまで見逃してきたと自ら認めることになるからだ。

そんな気概を持った人ならば、とっくに実態に気づいているだろう。

これに関しては、人事の判断と行動に任せるしか無いのかもしれない。

せめて、加害者の昇格にストップがかかってくれれば良いが…。

ハラスメント問題の難しさ

実際に自分がこういう境遇にあい、ハラスメント問題の難しさを痛感した。

当然ながら感情的にならざるを得ない問題だ。

とは言え、感情に流されてしまっては、自分にとって有益な結果を導き出せないだろう。

今回、行動するにあたっては、宇田川元一さんの著書「他者と働く」で提唱されている「ナラティヴ・アプローチ」を実践してみようと試みた。

具体的には、自分のナラティヴをいったん脇に置こうと懸命に努力をした。

ただどうしても感情が先に立つ。そうなると、一方的な要求になったり、攻撃的な表現になる。

その度に、いやいや本当に望むものは何だろう、と思い直し、考え直した。

そのプロセスは苦しく険しいものだった。

ただそれを乗り越えた事で、ナラティヴの溝に落っこちることだけは免れたように思う。まだ最終結果は出ていないが…。

世の中には、ハラスメント問題で苦しむ人が沢山いるだろう。ネットのニュースを見ていても、悲しい結末に至るニュースが後を絶たない。その度に胸が痛む。

そして、表沙汰にならないケースは山ほどあるのだと思う。

訴えたがもみ消される。訴える気力すら失い職場を去る。泣き寝入りを余儀なくされる。などなど。

今回肌で感じたのは、ハラスメントに認定されないギリギリの行為が長きにわたり繰り返されることが、ハラスメントなんかより余程悪質だなと言うこと。

表面化しないし、指導だったの言い訳が通用してしまう。

と考えると、ハラスメントの防止策として、厳罰化するだけでは不十分だ。

そもそもの、底辺に流れる人間と人間の信頼関係から築き上げ直さないと、完全なる防止には至らない。

その為には、対話、宇田川さんの言う「ナラティヴ・アプローチ」が絶対的に必要だと感じる。

またしばらくは待ちの状態に

今回、最後どうなるかはまだ分からないが、私が経験したこと、そしてそこから学んだこと、気づいたことは、恐らく他の悩んでいる方にも参考になるだろう。

一通りの決着がついたら、振り返り、体系化して共有できるように出来ればと思う。

そして、次のステップへ足を進めるべく、キャリアの探究に時間を費やしていきたい。

必ず、自信と尊厳を取り戻して見せる。


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