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【ポパー哲学入門 科学的・合理的なものの見方・考え方  高坂邦彦著】2

一章   ポパーの科学論

1、科学と非科学の区別

 ありえぬ話とはいえ、もし仮に、「明日の天気は晴れ、または曇りでしょう。所によっては雨が降るでしょう。なお、寒冷地では雪になるかもしれません」などという天気予報が発表されたなら、気象協会の電話交換台は抗議の電話でパンクするであろう。この予報?は、明日の天候がどうであろうと「あたる」であろうが、なんら情報としての意義はなく、あたかも星占いのようなもの、非科学的なものであるといわざるをえない。われわれは、このような曖昧な言明に到底満足することはできぬであろう。幸い、このようないいかげんな予報がなされるはずもないので、電話はパンクせずにすんでいる。
 ところが、社会科学や精神科学の分野では、あたかもこのありえぬ天気予報のような、読み方や判断の仕方によってどうとでも解釈できる言明、すべての事象についてまことしやかに説明してしまう理論、科学とは似て非なる星占いに類するかのようなものが、「科学」という名のもとにまかり通っている。いったいこのような似非(えせ)科学と、真正な科学とを明確に区別する基準は何なのであろうか。

 ウィーン生まれのユダヤ人、カール・ポパー(Karl Raimund Popper,1902~1994)が、彼の独自な哲学・批判的合理主義を形成する出発点となったのは、このような問題意識であった。
 うなぎのぼりのインフレーションに見舞われ、失業者が街にあふれ、飢餓が日常化し、「内乱が風土病と化した」「この上なくみじめな国」とポパーみずからが語る第一次大戦直後のオーストリア・ウィーンで多感な少年時代を過ごした彼は、当然のことのようにマルクス主義にも関心を持ち、ごく短期間ではあるがこれに加担さえした。
 けれども、共産主義者の扇動によって起こった暴動の悲惨な犠牲者をまのあたりにした十七歳の青年ポパーは、「自分はマルクス主義者として、この悲劇の責任の一端を負っている」と感じ、「他人の命を危険にさらすことを義務とするような思想を信奉する」前に、自分自身でその思想内容をよく吟味したであろうか、自分の判断は正当だったのだろうかと自問する。(『果てしなき探求』 P39~49)
 「マルクス主義は、よりよき世界の実現を約束している。」しかも、マルクス主義者は、その知識が理論的・科学的であると自称する。だがしかし、いったい「このような約束を〈科学〉によって裏づけることができるのであろうか。」 彼らによれば、世の中は、彼らの理論の正当さを実証する事象に満ちあふれているという。「マルクス主義者は、新聞を開きさえすれば、どの頁にも彼の歴史解釈の正当さを裏づける証拠を見いだすことができる。ニュースの内容はもちろんのこと、その報道のされかたや黙殺のされかたさえも、新聞の階級的偏見を露呈している。」 彼らの理論によれば、いつどのようなことが起ころうとも、それは彼らの理論の正当性を実証することになる。(『推測と反駁』 P60) 
 マルクス主義との出会いに比べれば、彼の思想の発展にとっての重要度ははるかに劣るけれども、とことわりながら、ポパーは、フロイドの精神分析とアドラーの個性心理学についても同様な性格を見いだしたと指摘する。子どもを溺れさせようとして川につき落とす男と、逆にその子どもを助けるために自分の命を犠牲にする男、というまったく相反する二人の男についてさえ、フロイドは「抑圧と昇華」という彼のキーワードで、アドラーなら「劣等感」という彼のキーワードで、それぞれ何の苦もなく説明してしまうだろう。フロイドやアドラーの心理学にとって説明できない人間の行動などはありそうもないのだ。
 個人的に接触のあったアドラーについて、彼はこう述べる。「アドラーについては印象ぶかい体験がある。私が、なんらアドラー的とも思えない子どもの例をもちだした時、彼はその子どもを一度も見たことはないのに、劣等感の理論によって説明してみせた。私は、少々驚いて(あきれて?)、どうしてそのように断定できるのか、とたずねたところ、彼は、今までに千事例も経験しているから、と答えた。」ポパーはいささかの皮肉をこめて、「これであなたの事例は、千と一回になったわけだ」と言ったという。つまり、その事例が、彼の理論にてらして説明できるというだけのことであって、これはべつにどうということはないのだ。(『推測と反駁』P61)

 ポパーは、マルクスやフロイドそれにアドラーの信奉者たちが、これらの理論に共通するみかけ上の説明力に幻惑させられていることを指摘する。これらの理論は、その扱う分野でおこるありとあらゆるできごとを説明できる。それぞれの理論は、理論というよりは知的信仰、啓示の効果を持ち、それを知らない人にはわかりそうもない隠された真理を示すかのような効果を持つ。ひとたびこの理論に帰依すると、世界は、その理論の正しさを示す例で充ちあふれることになり、その理論の真理性が明白なように思えてくるのである。
 こうした事情は、当の理論の信奉者にとっては、その理論の偉大さ完璧さを示すものと思えるかもしれないが、ポパーにとっては、逆にその理論の曖昧さ、実質的内容の無さの度合を示すものでしかないのである。それを、ポパーは、アインシュタインが相対性理論を提唱した時の方法と比較して説明する。

 アインシュタインは、一九〇七年頃から相対性理論の形成につとめ、一九一五年に一般相対性理論として発表した。
 彼がその理論を形成するに際しては、通俗的に信じられている科学の方法、すなわち、実験と観察から帰納的に法則をみちびきだす、という方法によったのではなく、恵まれた創造力・天分によってむしろ形而上学的ともいえる発想によってなした。この事実は、ポパーのその後の理論形成にとって数々の重大な示唆を与えた。
 アインシュタインの理論によれば、「光が、太陽のような重い物体には引き付けられる」、という結論が導かれる。したがって、地球からの見かけの位置が太陽の近くにある恒星は、あたかも水中からの光が屈折することによって水中の物体の位置が実際の場所よりずれて(高く)見えるのと同じように、実際の位置よりズレて見えることになる。
 アインシュタインは、このことを予言し、しかもこの事実が無い場合は、自分の理論が間違いであるから取り下げる、と言明したのであった。つまり、アインシュタインは、星からの光が太陽に引き付けられて「曲がる」「曲がらずにまっすぐに進む」、という実際にありうる二つの場合のうちの後者(曲がらない)を否定したのである。
 これはリスク(危険)をもった言明である。観測の結果、もし光が曲がらないなら、彼の理論は間違いである、として否定・反証されるからである。さいわいにも、この予言は、一九一九年の日蝕の際、エディントンの観測隊によって確認されたので、アインシュタインの新しい理論が、真理により近いものとして誕生することになった。
 ポパーによれば、このように、反証されるかもしれないリスクをもった理論は、実質的内容をもった科学的な理論である。それに比べれば、教条化したマルクス理論や亜流のフロイド理論のように、すべての事象に当てはまり、反証することが不可能であったり、あたかも占星術のように、もともと反証することが不可能なような曖昧な言明は、たとえ科学のポーズをとっていても、それは独断的としかいいようのない疑似科学である。
 このように、科学と科学以外(数学 論理学 形而上学等)のものを区別する基準は、それが反証される可能性を持っているか否かである、とポパーは提言した。(『科学的発見の論理』邦訳P96~102)  
 以上のように、この基準を考え出すに至った経過と理由を教えられてみると、われわれには、別段どういうこともない、いかにももっともなことのように思えようが、じつは、この基準を立てることは、次から次へと衝撃的なことを帰結することになるのである。その帰結は、単なる科学論の枠を越えて、哲学の認識論に改変を迫るものであること、そして更には、歴史理論、社会理論の分野に至るまで、今までの全てを根本から覆し、建設しなおすことを要請するのである。
 弱冠十七歳の時に考え始めた反証可能性を出発点として、ポパーはその後それらのすべてをやってのけたのである。

             


次回 【 2、帰納法の考察 】


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