保守思想における自由/「あかね噺」と落語家山崎邦正/カーナビと首都高/丸の内とお茶の水/新九郎の結婚と将軍義尚に寵愛された能役者

2月12日(月)曇り時々雨

東京にいるのだが、外を見ると路面が雨に濡れているので、雨が降ったと思うのだけど、私がコンビニにジャンプとヤンマガとスピリッツと朝ご飯を買いに行った6時ごろと、駐車場から別の駐車場に車を移動させた7時半ごろは、降ってはいなかった。だから雨と書いていいのか迷っている、という感じ。

昨日はニチアサのワンピースを見てから10時過ぎに実家を出て、車で東京に出た。談合坂で昼ご飯を買ってそのまま東京に出たのだが、ナビのセットを忘れていたら中央道を走っている間は画面にインタ-チェンジやサービスエリアの表示が出ていたのに、首都高に入ってからそれが出なくなってしまった。いつもはナビを使って動いているから困ったなと思ったが、上りの方は大体道を把握しているのでナビなしでもなんとかなった。ただ下りは首都高の道を選ぶのに迷う可能性があるので、ちゃんとナビをセットしてから出かけようと思う。

欲しいマンガがあったので3時ごろ出かけて、大手町まで言って丸の内丸善で探したのだが、それは見つからなくて思想のところで岩波文庫のスピノザ「神学・政治論」上下があったので買おうとしたのだが、待てよこれは持っていた気がすると迷い、岩波文庫の目録を見ると乗ってなかったので短期の復刻だと判断してとりあえず買った。帰ってきて確認したら案の定まったく同じものが本棚の目立つところにあった。まあ東京にはそれを置いておいて新しく買ったものを実家の方に持って帰ろうと思う。それから「保守思想」を店内検索で調べて、出てきた西部邁「保守思想のための39章」(中公文庫)を買った。四階でお茶をしようと思ったが大テーブルしか空いてなさそうだったので他で入ることにした。

さてどうしようかと思い、神保町へ行っていることにしたのだが、いろいろ考えたが千代田線で新御茶ノ水に出て歩くことにしたのだが、駅に着いてから御茶ノ水駅前の丸善のマンガコーナーが充実していたなと思い直し、地下鉄駅の反対側から地上に出て丸善でマンガを探したら「平成少年ダン」が1・2巻ともあったので持っていない1巻を買った。

これで買うものは揃ったのだけどせっかく神田に来たので神保町に坂を下って、書泉グランデでマンガを見ていたら弐瓶勉・武本糸絵「大雪海のカイナ」2巻があり、買い忘れていたことに気付いたので買った。気が付いてよかった。

文房堂の喫茶室にって見たのだが座りたい席が満席だったのでやめて、とりあえずディスクユニオンに行ったのだが、いろいろ見ていたらディヌ・リパッティのLPレコードを見つけ、これは買うしかないと思って買った。盤面の質の評価が悪いためか値段も安かったのだが私はショパン弾きではルービンシュタインやパハマンに並んでリパッティがとても好きなので、たとえまともに聞けなくてもほしいと思って買った。これは帰ってから聞いてみたのだがとてもよくて、盤面の質もほとんど気にならなかった。まあ、私の持っている他のLPがもっと質が悪くなってるということかもしれないのだが。

お茶も食事もどうもいいところがないなと思い、何か買って帰って家で食べようと思って、さあどうしようかと半蔵門線に乗ってみたら三越前を通ることに気付いたので、日本橋三越のデパ地下で弁当を買って帰ることにした。ちょうど一つだけ残っていた弁当が美味しそうだったのでそれを買った。タロー書房で少し本を見て、銀座線から東西線に乗り換えて帰った。昨日は掘り出し物を手に入れられたので割とほくほくした。

まあすでに持っていた本を買ってしまったのはアレだが、よく覚えていなかったということはちゃんと読んでないということなのだよな。これは大学院に行っていた頃の復刻だったので多分そのころスピノザの自由論について読みたかったのだと思うが、今も保守思想における自由論について考えていて、そういう意味ではいつも私は自由について考えているのだなと思ったり。

私自身は平等よりもずっと自由の方に関心があるし大事だと思っているのだが、世の中の人は平等の方により関心が多い人が多いのはなんか不思議な感じがする。フェミニズムとかも結局女性の自由・解放というより「差別されている」というルサンチマンから来る特権獲得に邁進している感があり、その辺のところは生理的にちょっとキモさを感じる面がなくはない。平等実現が自由につながるなら意味があるとは思うのだけど、どうも必ずしもそういう趣旨でないことが多いように思う。

今朝は保守についていろいろ考えていたのだけど、まだノート的なものの段階なのでこれからなのだけど、そのうちちゃんとまとまったものにしたいと思う。


ジャンプを読んでたら「あかね噺」のインタビューで月亭方正という落語家が出てきてこの人どこかで見た顔だなと思って調べてみたら昔テレビでよく見た山崎邦正さんであることが分かった驚いた。芸人をやめて落語家になっていたのか。この「あかね噺」はよくできたマンガだと思うのだけど、作者さんたちとの対談を読んでいると実はあかねのキャラが出来たのが先で、彼女が一番しなそうなことをやらせてみるという発想で落語界が舞台になったのだそうで、作画担当者も最初はジャンプで落語で読んでもらえるのかなという危惧があったのだそうだ。今では立派に看板の一つになっているわけで、わからないものだなと思うが、作者さんたちも落語はこの企画が出来るまではちゃんと聞いたことがなかったそうで、それにしてはよく描けているなということは驚く。

落語マンガと言えば古谷三敏「寄席芸人伝」や雲田はるこ「昭和元禄落語心中」が思い浮かぶが、古谷さんも雲田さんも元からの落語愛好者で、寄席や落語家の家族の空気を表現しようという感じや落語への愛、時にはある意味歪んだ芸の世界やこだわりなどが描かれていたのだけど、「あかね噺」は確かに初期はあまり知らない人が描いているんだろうなという感じはあった。ただジャンプのマンガだからあまりそういう饐えたような匂いは合わないわけで、ある種の客観性があるいい意味での「素人」が描いたことが成功につながったのだろうなという感じはある。


スピリッツ連載の「新九郎、奔る!」を読んでいたら、将軍義尚の御所の空気が悪くなっている原因として観世彦次郎の名が出てきたのだが、前の号で出てきた広沢尚正と名を与えられた能役者のことだなと思い、少しググってみた。

http://www.tessen.org/archive/files/2011/02/066.pdf

するとこの人物は将軍義尚の愛人(男の)として知られている人物で、もともとは金剛座にいたのだが、観世流を愛する義尚によってワキとして観世流に引き抜かれた金剛四郎次郎元正の息子で、そこで義尚に気に入られて取り立てられた、という経緯があったらしい。

もともとが能役者という当時としては下賤の出なのに、将軍の肝煎りで元服したのだから高位の公家たちも贈り物などしなくてはならず憤懣やるかたなかったところ、義尚の御所の女房として出仕していた正親町三条家の娘を彦次郎に嫁入りさせよとの交渉が始まって、娘は出奔して行方知れずになる、などの事件もあったようで、これも調べた後「新九郎」を読んだら出てきていた。

「新九郎、奔る!」ではそのように将軍の寵愛をいいことに(男色関係も今号で描かれていた)御所で横車を押す人物として出ていて、新九郎の室になる小笠原政清の娘(作中の名は「ぬい」)を将軍の御所に出仕させようと策動している、という設定で物語が描かれている。作中では様々な形で新九郎とぬいの交流があったところ、そうしたすったもんだの中で小笠原が娘の出仕を阻止しようとし、また新九郎も室に望んで婚儀が整った、という形で演出されていた。

男色というと細川政元が知られているそうだが、作中では政元が彦次郎を暗殺しようとしていて、その理由が「あやつは放っておくと私とキャラが被る」というのが理由だったのは笑ったが、引用したサイトにもそんな感じのこと(?)が描かれていて、かなり有名な出来事だったのを作者さんは拾ってきて新九郎の結婚に結び付けて描いているのだなと思って面白かった。また、今までの描写も思ったより史実を拾っているのかもしれないと思ったし、また暇があるときにそういうのも調べてみると面白いなと思った。いつ暇があるかはわからないが。


たまに東京に出てくると干天の慈雨のように自分が普段我慢しているいろいろなものへの関心や愛情が出てくるなと改めて思う。9時を過ぎて上の階のリフォーム工事がうるさいので、更新したら出かけようと思う。

車なので多少重くてもいいと思い読みかけの本を4冊(「安倍晋三回顧録」「貴族とは何か」「頼山陽の思想」「修養の日本近代」)持ってきていたのだが、じっくり読む時間はなさそうだけど、出かけた先でお茶を飲みながら一冊何か読もうと思っている。

サポートありがとうございます。記事内容向上のために使わせていただきます。