「日本の保守思想」について考えていることのメモ
3月7日(火)晴れ
昨日は朝のうちにコンビニでジャンプとヤンマガ、スピリッツと月マガを買い、午前中は本を探したり銀行に行ったり、スーパーに行ったり書店に行ったり。なんだかやることが多いのとアクシデントが起こったりするのでちょっとよくわからない感じになったり。書店へは「コミックガーデン」を買いに行ったのだが、今月号には「魔法使いの嫁」が掲載されてなかったので買わなかった。代わりに「応天の門」が掲載されていたコミックバンチを久しぶりに買った。あと、探していた鈴木大拙「日本的霊性」(岩波文庫)が見つからなかったので書店にあるかなと思ったらあったので買った。多分東京にあるのだなと思うのだが、早く読みたいということもあり。
午後はアクシデントへの対処と、そのあとはずっと「日本の保守思想(仮)」の制作作業を進めていた。私は保守思想が日本再生、ひいては人類世界の再生に必要だと思っているのだけど、日本の保守思想にとって重要なのは日本の本来の思想であって、イギリスの保守思想は補助的に重要性を持ち得る、という程度に考えた方がいいと思い、まず日本の思想を深掘りしようと思ったのだけど、このところ書いているように江戸時代中期の国学思想(賀茂真淵、本居宣長)とその他の同時代の思想にその起源を求めることはあり得ることだと思って、その辺りを一つの中心に構成を考えている。
その保守の起源となる思想が幕末のウェスタンインパクトによって尊王攘夷思想、つまりはナショナリズムの思想とどう結合していくか、維新実現後の自由民権との関係、日露戦争の勝利による一つの達成とロシア革命の衝撃、保守的政党政治の十分開かなかった可能性とブルジョア自由主義・社会主義・権威主義的ナショナリズムの拮抗と敗戦、戦後の保守思想家たち、政治家的保守主義と思想家的保守主義、イギリス型保守主義の提案、安倍政権の理念と行動、実態と成果、のような感じで日本人が日本人として生きられる未来への希望、という感じで締めようかと思ったいる。
それに付け加えて最初の章が現状認識と問題提起ということから始めると思うのだけど、この辺りからまず整理していく必要はあるなと思う。保守とはなんなのか、リベラルでないものはみんな保守かといえば保守の立場から言えばそうではない。少なくとも私は新自由主義を保守だとは思っていないが、「新自由主義的保守主義」を唱える人もいるだろう。それはむしろ「保守主義」というより「現実主義」だと思うのだが、例えば軍備の必要性を主張する「現実主義」こそが「保守主義」である、という認識の人も多分いるので、その辺のところに切り分けも大事かなと思っている。
その辺のアイデアは出してはあるのだが、とりあえず寝かしておいて、江戸中期の思想についてもう一度全体像を考えようと思い、「近世国学思想から見た共存の諸相」を読み返して「新文明学3 方法としての国学」(北樹出版、2016)、土田健二郎「儒教入門」(東大出版会、2011)、鈴木大拙「日本的霊性」(岩波文庫、1972 初版は1949)などから読んでいこうと思っている。
「近世国学思想から見た共存の諸相」を読みながら。江戸中期の日本人の世界認識を考える上で、「日本型華夷秩序」の概念は手がかりになるだろう。これは当時の清朝が朝鮮などの朝貢国、ロシアやイギリスなどの互市国と区分して、(イギリスとは貿易を広州に限るなど、)外国との人的・貿易面での交流を実現したように、日本は琉球と朝鮮を服属国=朝貢国と認識し、清とオランダを互市国と見做して長崎・対馬・琉球・松前の四つの口を通じて物資や情報の交換を行なっていたのが日本の鎖国体制であった、と荒野泰典氏の議論を引用してまとめている。そして17世紀中頃から18世紀中頃にかけて日本こそが「中華・中国」であるという優越意識の中で儒者たちの持論が展開されていた。
こうした華夷秩序の概念は朝鮮においても自らを「小中華」と考える視点で共有されていて、中国を含めて三者で「自らが中華」という前提で「相互理解を欠いた親善」が行われていた、というのはわかりやすいし、ある意味下手に相手の主張に突っ込まない「大人の関係」であったということなのだと思う。
例えば山鹿素行は中国の現状(夷狄である満洲族の支配下にある)を否定しつつ儒教の普遍性、普遍的価値を信頼する、などの姿勢をとっていた。
本居宣長の日本中心論も自らの主張・解釈の普遍性を追究していたのであり、特殊日本的なものを追究したわけではない、というところは重要だと思う。
この辺りは近代的視点を導入するとどうしてもヨーロッパ文明中心論に引っ張られてしまいがちなので、心しておくべきことだと思った。
とりあえずの今日のメモ。
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