みどりの日々/「現代ロシアの軍事戦略」非軍事的闘争論とハイブリッド戦争/ロシアがこだわる「大国」の地位/ラブロフはなぜ「ヒトラーはユダヤ人」と言ったのか

5月4日(水)晴れ みどりの日。

今日はみどりの日。変換して「緑の日」と出たので、オフコースの「緑の日々」を思い出した。オフコースは特に聞いていたわけではないのだが、ときどき人生のドラマチックな場面に出てきて1980年前後の日常にあったバックミュージックの一つだったのだなと思い出させる。この曲は自分が演劇をやっていた時、台本の指定に書いてあったので聞いたのだが、上演では結局使わなかった思い出がある。自分が演出ではなかったからまあいいかと思っていたけど、今思うとあの曲を使ったらアイロニーとしてもまたなんとなくそれを超えた意味としても面白かったのではないかと思ったりする。ふとそんなことを思い出した。

今朝は久しぶりに5時くらいまで寝た。とは言っても夜中に足が攣って起きてしまったのだが、整体の活元運動の準備体操をしばらくやったら治ってきたので、ああ今後こういう方向で対処したらいいなと思った。今までは夜中でも入浴して温めて直していたのだが、昨日はすぐには入れない状況だったので、思いつくことをやってみたのだった。なんとかなってよかった。

朝車を走らせて冷気の中の道を味わってきたのだが、昨日から地元は諏訪大社上社の御柱祭が始まっていて、地元の人たちが集合して移動するバスが待機していたり、法被を着ている人たちが歩いていたり、朝から雰囲気があるなと思った。私は今日は午前中は松本の整体に行って午後は仕事なので、もう連休は終わりなのだが、世の中が連休の雰囲気だと仕事もゆっくりした感じになるので、それもまあいいかと思っている。


遅ればせながら買ってあって読んでなかった小泉悠「現代ロシアの軍事戦略」(ちくま新書、2021)を読みはじめた。その中で一番印象に残ったのがプーチンの「非軍事的闘争論」であり、それに対する反撃としての「ハイブリッド戦争」だ。

これは西側から見れば妄想のように思える内容なのだが、東欧諸国が民主化革命を起こしたのは「西側」が人々の認識を操作する情報戦(=非軍事的闘争)を行なった結果であり、アラブの春やロシア国内でのプーチンへの反発も「西側による情報操作の結果」であると考えているのだという。だからクリミア併合もそれへの「正当な反撃」であり、「アメリカ大統領選への介入」や「ロシアの反体制派の弾圧」も「西側が仕掛けた戦争からロシアを守るもの」だと正当化されているのだという。

この理屈は驚いたが、圧倒的な情報量を常に放出している資本主義社会・国家の周縁・対岸にいると彼らが自分たちの存在をあえて脅かすためにやっているのではないかという疑心暗鬼が起こることはあり得るなとは思った。

もちろん西側諸国の情報機関がロシアや周辺国の人々に対して工作的にやっていることもなくはないと思うが、いくらなんでもそれだけである国の民衆が民主化を求めて立ち上がるとかないだろうと思うけれども、そういうある種の陰謀論によって現状認識が歪まされ、それが実際に国家の戦略になってしまっているというのはちょっと驚いた。

NATOの東方拡大についても、1990-00年代にかけては不安定な東欧諸国を西欧自由民主主義体制に取り込むという文脈が強調され、ロシアもそれを受け入れていたが、旧ソ連諸国に対するロシアの「勢力圏」意識は消えてはおらず、自らがコントロールできないまでも他国の影響が勝る状態になることは容認しなかったと。いわばそれは「消極的な勢力圏意識」であったというわけだ。

東欧諸国がソ連圏から離脱したことにより、ロシアは戦略縦深、つまりNATO諸国との間で何かあった時に即座に侵攻されるのの時間猶予があったものが失われたと考えていたというのは、戦略的にはまあ理解できる。これは中国などをみても力で併合できそうな北朝鮮をあえて残しているのは韓国と駐留米軍との間にそうしたものを挟んでおきたいという気持ちがあるということなのだと思う。

もう一つ、ロシアがNATOの東方拡大に反発する理由があり、それは「ロシアの大国(Державаデルジャーヴァ)としての地位を脅かす」ことがあるという。ここでいう「大国」とは「他の秩序に従うのではなく自ら秩序を作り出す国」という意味で、たとえば国連という存在はロシアが拒否権を行使できることでロシアの大国としての地位を保障するものと捉えれていたが、NATO軍は国連安保理決議を経ずに軍事力を行使することから、その旧社会主義圏での実力行使はロシアの大国としての地位を脅かすものであったと感じられたというわけだ。

先に述べたように特に旧ソ連圏に対しては「勢力圏」との意識が強いので、それらの国々がNATOに加盟することは許さないという姿勢になってきていて、2004年のバルト三国のNATO加盟は容認せざるを得なかったが、2008年のウクライナとジョージアの加盟には強硬に反対した。その背景にはその時期の原油価格高騰によりロシアが国力を回復したことが大きいのだという。

つまり、ロシアから見て旧ソ連のNATO未加盟の欧州部諸国がNATO加盟(ロシア勢力圏脱出)の動きを見せれば軍事力を行使しても阻止するのがグルジア戦争以降の基本方針になったというわけだ。そのように考えると今回のロシアの動きもさして奇異ではないということにはなる。

この後はロシアの「ハイブリッド戦争」について書かれているのだが、どうも開戦以降の現状はロシアの不手際が目立つため、この「ハイブリッド戦争」の意味もどの程度のものなのかちょっと位置付けに迷うところもある。

クリミアの併合におけるロシアの迅速な動き、ロシア語話者の多いクリミアでの宣伝工作の巧みさなどはその時点でのハイブリッド戦争の威力というものは確かにあったのだろうなと思う。またドンバスにおける武装勢力の工作のある程度の成功にはスラビャンスク人民市長ストレリコフを名乗ったイーゴリ・ギルキンという人物の存在があって、彼はロシア参謀本部出身の人物だったというのはちょっとぞっとする感じがあった。

ハイブリッド戦争に対する著者の評価として、「戦争は人間同士の「意思のせめぎ合い」なのであって、テクノロジーはその一要素にすぎない」というマクマスターの言葉が引かれていて、さまざまな工作やいろいろな新しい兵器が使われているけれどもそれだけで済まそうとはロシアは考えていない、と述べていて、それがまさに今ロシアのいう「特別軍事作戦」という形で実行されているのだなと思った。

しかしこの現在のロシアの戦争のうまく行っていない感じというのがなぜ起こっているのか、それらについては開戦前の著作であるこの本に求めることはできないわけだけど、やはりそのようなロシア軍の状態は専門家にとっても予想外のことだったのだなと思った。

あと印象に残ったのは、ドイツは1989年時点で34万人の兵力を持っていたが2010年には9万人にまで削減されたということ。自衛隊の現員ですら23万人いるのでかなり以外なのだけど、NATOの枠で考えるとヨーロッパだけで185万人もいるということで、それで十分と考えているのかなと思ったりした。現在78/300ページ。


この本の内容はロシアの戦略についてなのでまた別の話なのだが、ウクライナの国民がまとまって戦えているのは、政権を握るゼレンスキーが東部出身のロシア語話者だということも大きいのではないかと思った。

もし西部のウクライナ語話者が大統領だったら東部のロシア語地域に十分に影響力を持てなかった可能性もあるかもしれないと思ったりする。ロシア語話者がロシアに立ち向かうところに意味があるのかもしれない。そしてゼレンスキー大統領がユダヤ人であることも、ロシアによる「ウクライナの政権はネオナチ」という主張を説得力のないものにしている。

ここにきてロシアのラブロフ外相が「ユダヤ人であることはネオナチでないことの証拠にはならない。ヒトラーもユダヤ人の血を引いていた」などと正直言って「どうかしてる」ことを言い出してイスラエル政府を激怒させたりしているが、ゼレンスキー自身も「ロシアトップの外交官が、ナチスの罪をユダヤ人に押し付けている。ロシア政府が第2次世界大戦の教訓をすべて忘れたか、最初から学んでいなかったかだ」と強く非難している。ラブロフは自分の言っていることは信じていなくて戦略的におかしなことを言っているのだと思っていたけれども、こうなってくるとそれもどうなんだろうという気もしてきた。

逆に言えば一般に国際社会では「ナチスの最大の罪」は「ユダヤ人虐殺」であったと考えられているわけだけれども、ロシアにおいては必ずしもそうではないということも垣間見える感じはした。どう考えられているのかはちょっと測りきれないが、「ロシアに侵攻したこと」が最大の罪だと考えられているのかもしれない。この辺りのところはもっと調べてみないとわからないのでこれ以上は言えないが、正気を失ったと考えるのもどうかと思うので彼らには彼らの理屈があると考えるべきだろう。プーチンやロシアにとってユダヤ人の存在はどう位置付けられているのかということも改めて調べる必要はあると思った。実際のところ、まだまだよく知らないことは多いなと改めて思わされた。

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