ウクライナとロシアの対立点:「コサック国家」と「ロシアの悪いコサック」/ウクライナ正教会の独立とモスクワ総主教の核兵器祝福

4月20日(水)曇り/晴れ

曇っているのか晴れているのかその中間くらいの天気。昨日は天気が良かったので母を歯医者に連れていけたので良かった。車椅子だと乗り降りが大変なので、雨だと困る。最近少し雨が多いので、気を揉むことが多くなりそうだ。

昨日は諸事情あって仕事が暇だったのだが、そのせいか今日は疲れがあまり残っていない感じ。11時半に寝て起きたのは4時過ぎだったから睡眠時間が足りていると言うほどでもないとは思うのだが、自分でもこう言うことはよくわからないのだが、朝起きる時に抵抗感があまりなかった。

現在ウクライナで取材している古川英治さんの記事をいくつか読んだのでそれについて知ったことや感想などを書いておこうと思う。

読んだのは文藝春秋5月号p.160-68の「プーチンが心酔するロシアの怪僧」とネットの角川書店のサイトのインタビュー記事(記事名はあまり適切ではないと思う)、

「日本人記者だからわかったウクライナの人々がとどまる理由――現地取材中の古川英治さんが見た“ウクライナの今”」前編

と後編。

ウクライナのことは勉強していても知れば知るほど面白くなる部分があり、日本との共通性も見えてくるところがあったり、いかに我々のこの地域における教養がロシア経由で入ってきているか、それによってロシアの認識によって歪められているかということがわかってくるところがある。

今日かけるのはメモ程度だけど、「ウクライナにおける教会」と「コサック」について書いてみたい。文藝春秋の記事は教会に関するもので、カドカワの記事はウクライナ全般に関わるものだけど、特になるほどと思ったのはコサックについての部分なので、その辺りを。

ウクライナの教会は大きく行って三つの系統に分かれている。一つはモスクワに総主教庁を持つロシア正教会、もう一つは長年モスクワの支配下にあったが2019年に東方正教会(ギリシャ正教)の首位教会であるコンスタンティノープル全地総主教庁によって独立が認められたウクライナ正教会。そして西部を中心とした東方典礼カトリック教会、これは典礼は正教会式だが教義はローマ・カトリックという折衷した様式で、カトリック国のポーランドに支配されていた時代に成立したものだ。

ウクライナは草原地帯(キプチャク草原)の東部から西部(旧オーストリア帝国領)まで、南北も内陸のキエフから黒海沿岸のオデッサ・クリミア・マリウポリまで広大であり、草原の遊牧民族や西方のリトアニア・ポーランドなどのカトリック勢力、時にはスウェーデンの新教勢力の侵入もあり、また18世紀以降はロシアを称したモスクワの支配が強化されていった。

こうした歴史もあり、ロシア正教会はウクライナ国内にも聖堂や修道院を多く持ち、ロシア正教の小教区の3割はウクライナにあるのだという。ロシア正教会にとってもウクライナが重要な土地であるということがよくわかる。

ロシアはウクライナはロシアの一部だといい、ウクライナはウクライナはロシアではないと主張するわけだが、もともとルーシ(ロシアの語源)が成立した大きな中心であるキエフは現在はウクライナにあるということもあり、ロシアの正統性を主張するのにキエフ・ウクライナは重要だということもある。ロシアは帝国時代にはコンスタンティノープルの支配・ついにはイェルサレムの支配までも目指していたことは歴史にあるが、少なくともスラブ世界におけるロシア支配の正統性はキエフを支配することにあるという思想はあるようだ。

しかしルーシの統一性がモンゴルの侵入によって終わり、草刈り場になった現在のウクライナやベラルーシには様々な勢力が入り込んできた。中でも中世ポーランドはリトアニアと連合してこの地域に支配を広げ、勃興しつつあったモスクワよりも遥かに強大な国家として君臨した。

ここからはコサックについて触れる。

この時代に空白地域の中、現在のザポリージャを中心にコサックという集団が生まれた。これは古川さんの表現を借りると「15世紀ごろからウクライナに住みついた、自由を求める農民や貴族らの自治集団」で、「現在のウクライナ南部ザポリージャ近郊のドニエプル川流域に「シーチ」と呼ばれる要塞を築き、普段は農耕を営み、自由を守る戦いで団結」していたという。彼らは「「ラーダ」という全体会議で首領を選び、軍事行動を決めるなど、民主的な政治をしていた」といい、「自由を希求する気風や個人主義的なところは、絶対的な権力を握る皇帝の支配に慣れたロシア社会との決定的な違い」だと古川さんはいう。

このコサック集団がへーチマンという首領を選び、初めはポーランドの支配下にいたのだが、ヨーロッパ諸国が三十年戦争で疲弊していた時期にフメリニツキーを中心に1648-57年に反乱を起こし、ポーランドから独立した。中世の大帝国・ポーランドが没落したきっかけを作ったのがフメリニツキーなので、ポーランドでは悪役だが、ウクライナではウクライナ民族自立の英雄ということになる。このように成立したヘーチマン国家であったが、その間にロシア(モスクワ)が介入し、ロシアの保護を受けることになることでロシアのウクライナ進出が進むきっかけの一つにもなった。

16代のヘーチマンであったマゼッパはプーシキンの詩でも扱われ、チャイコフスキーのオペラやリストのピアノ曲の名前にもなっている人物だが、彼は1709年の北方戦争の際、ロシアから離反してスウェーデンにつこうとして失敗し、1722年には政府としての自治権が廃止され、一時復活したものの1764年に最終的に廃止された。

コサックというのはもともとザポリージャ、つまりウクライナ南部に生まれた集団だが、その一部がロシアに移り、ドン・コサックという集団が生まれた。彼らはロシア帝国の支配を受けたがたびたび反乱を起こした。有名なのが1670-71年のステンカ・ラージンの乱、マゼッパとも関係があるのだろうか1707-09年のブラヴィンの乱、そして1773-77年のプガチョフの乱で、強くロシアの支配に反抗したが、やがて帝国の元に軍団として組織され、日露戦争などでも精強なコサック軍団として戦ったことはよく知られている。

ドン・コサックは革命時には反革命派について革命派やウクライナにおいては独立派と戦ったため、現在でもコサック国家を称するウクライナにおいても「ロシアの悪いコサック」扱いされてしまっている。またソ連邦下ではレーニンやスターリンに強い弾圧を受けていたが、ソ連崩壊後、特にプーチン政権下では帝国のために戦った英雄たちという扱いになり、今では熱狂的にプーチン政権を支持しているという。最初の古川さんの引用以外はWikipedia等ネットの情報を元に書いている。

ウクライナにおいてはマゼッパ以降は大きな反乱も起こす力がなくなり、帝国の支配下に組み込まれ、農民下した人々も多かったが、ロシア帝国の崩壊によってウクライナが自立した時には大きな役割を果たし、「ウクライナはコサック国家である」とさえ言われるようになったわけだ。

ウクライナの自立の歴史にはこのようにモスクワに起源があるわけではないコサック集団のアイデンティティが大きく関わっているので、ウクライナ・ロシア・ポーランドの関係を考える上ではコサックというのはキーになる存在であると思う。またロシアが現在のウクライナをコサック国家とは呼ばず「ネオナチ」「民族主義者」と呼ぶのは、ロシア国内のドン・コサックを支持基盤の一つとするプーチン政権に都合もあるだろうと思う。

教会の話に戻すと、現在のロシア正教会の首長、すなわちモスクワ総主教はキリル1世(1946-、2009年着座)という人物だが、彼はKGBに所属していた、すなわちプーチンの同僚であったと言われていて、またプーチンと同じサンクトペテルブルク出身人脈でもある。

古川さんの記事によるとキリル1世はプーチンの統治を「神による奇跡」であるとし、核兵器を祝福し、演説でもプーチンを持ち上げているのだという。2月24日の戦争勃発後、多くのウクライナ人がウクライナにあるロシア正教の教会や修道院に避難しようとしたが、「避難民を収容する場所はない」と追い払われ、司祭は「ウクライナの人々は罪深い。戦争はその罪に対する報いだ」と答えたという。子供や女性を殺害するプーチンは悪魔ではないかと反論すると、「プーチンの過ちではない。神がお決めになったのだ」と答えたという。避難しようとして断られた中にはロシア正教会の宗徒であった人々も多かったようだ。

多くの兵士が死に虐殺を行って世界に衝撃を与えても全然平常運転のロシアが、巡洋艦モスクワが撃沈されたことで急に激昂したことに多くの人々が戸惑ったことは記憶に新しいが、同じようにロシアに衝撃を与えたのはコンスタンティノープル全地総主教・バルソロメオス1世によってロシア正教会からキーウ大主教の任命権が取り上げられ、ウクライナ正教会の独立が承認されたことだった。

これでロシアは慌てた。ウクライナ教会の独立はプーチンにとって、ウクライナのNATO加盟並みの衝撃だったという。慌てたロシアはコンスタンティノープルにサイバー攻撃を仕掛けたりなどしたが、トルコのエルドアン大統領に協力を求めた。コンスタンティノープルはイスタンブルでもあるからだ。しかしエルドアンは宗教への不干渉を理由に要求を断る。これはこの問題はプーチンの行動を制御する手段として使えるとエルドアンが判断したからだろうと考えていいようだ。

しかしプーチンはその後コンスタンティノープルに陰に陽に圧力をかけ、全正教会会議をボイコットしたり、ロシア正教会がアレクサンドリア総主教庁の管轄であるアフリカに教区を開設したりしているのだという。

ウクライナ侵攻を支持するキリル1世の姿勢は教会内部でも波紋を呼び、ロシア正教会のウクライナでの大主教も戦争停止を求め、キリル1世不支持を宣言した教会もあるようだ。

ロシアがウクライナを制圧したら、独立を認められたばかりのウクライナ正教会は解体され、ロシア正教が強要されることになるだろう。ウクライナが勝てばロシア正教会はウクライナを失い、東方正教会最大勢力の地位を失う可能性もある。

長くなったが、コサックと教会の問題はまだ知らないことがたくさんあるので、また色々読んでみようと思う。

付け足しだが、プーチンは正教会の価値観を支持することで反フェミニズム・反LGBTの「キリスト教右翼的・保守的」な価値観をアピールし、欧米の極右勢力に支持を広げたことも一つの重要な動きだろう。日本でもアメリカでも、プーチン支持を表明する多くのアカウントがこうした視点からロシアを支持しているように思われる。

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