手紙を書くって、いいなと思った

手紙を書くって、つくづくいいものだなと思った。

久しぶりにある人へ手紙を書いた。文具店で買ったレターセットをコーヒーチェーン店の角の席で広げる。周りに見られはしないかと、若干の恥ずかしさを覚えつつボールペンを走らせる。キーボードで文字を打つことに慣れてしまった今、手書きで文字を書こうとすると手が震える。汚い字しか書けないことに気づく。

ことばを発することは苦手だが、ことばを紡ぐことは好きだ。

なにより、ことばの宛先があることは、手紙を書くうえで大きな意味をもつ。固有な顔をもつ個々具体的な人々が僕の想像上、紙面の先には存在している。書き出しのことばに悩みながらも、本筋に入る前の助走として、とりとめもないことを書きはじめてみる。すると、するすると自由にことばが流れていく。そのリズムに乗って、深いことは考えずに書き続けていく。

“ターゲット”でもない、漠然とした仮想の相手やマーケティング的なペルソナではない、生身の相手を想いながらことばを探す作業は思った以上に没頭できる。僕と“あなた”のあいだで培った時間・記憶・物語から、テクストを解くようにして紙面上に編み直す。記憶の映像のなかからことばを借りて断片をつないでいく。

ふくらんだ話は終わりどころが見えなくなり、紙の枚数はどんどん増えていく。まるで会話をしているようであり、誰かが「さてと」と話題を切り替えないと一日が終わってしまいそうな。

無理やりオチをつけて話を終わらせる。伝えなければならないこと、本筋からははみ出すが伝えたいこと、十分に書きたいことは書けたのか、見直し、読み直す。あらゆる記憶が反復する。

手紙を書き終えたあとは、なんだか豊潤な気持ちに包まれる。

まいどこんな気持ちでことばを書き出せたらいいのになと思う。会話でも、仕事でも、日記でも。宛先のあることばを発していたい。


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