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大事なことは「学級文集」が教えてくれた

ーーあ、そうだ、文集つくるの好きだったな。

 先週いただいた誌面の編集と構成のお仕事。
 先方から依頼内容を聞いたり、取材に同行してインタビューをしているうちに、誌面のアイデアとして不意に「文集」が浮かんだ。あの独特の温度感と熱量を持った文集。雑誌『POPEYE』にだって負けないくらいの熱量とノリが織り込まれた文集。あのイメージが強烈に頭をよぎった。

 小学校から高校まで、在籍していたほぼすべてのクラスで年度末になると文集がつくられた。小学校低学年のときは誌面の構成を担任の先生が担い、与えられた枠を自由に埋め尽くしていたが、高学年にもなるとすべて生徒による企画と構成に移り変わる。小中学生のときはたびたび文集の構成を担うグループに所属していた。

 ただいま実家暮らしの身(もうすぐ32歳独身彼女なし)。親が卒業アルバムとか学級文集とかちゃんと保存する人なので、部屋の収納スペースに押し込まれた段ボールをいざ開けば懐かしいものたちが大量に見つかる。お仕事の企画や編集のアイデアに使えればと舞い上がる埃にむせながら、文集を引っ張り出す。

 引っ張り出してみたら最後。パラ読みで済むはずもなくそのまま熟読タイムに入る。懐かしい名前や出来事が姿を現し、映画『アバウト・タイム』のごとく、その当時の教室に戻っているんだ。その当時で付き合いのなくなったクラスメイトたちは今でも子どものまんま。記憶のネバーランドを彷徨っているから成長することはない。みんな大人になった自分はアナウンサーになってる、プロ野球選手になってる、漫画家になってる、結婚して子だくさんになってる〜、とまあワクワクな想像を膨らませて書いている。実際のところみんなどうしているのだろう。会ってみたいな。

 とまあ、熟読してて思い出したんだよ。

 そういえば僕はこういう文集つくるの好きだったなって。

 引っ込み思案でおとなしかったけれど、幼いころから表現するのが好きだった。表立って率先してステージに立つような子どもじゃなかったから、自分の世界を大事に慈しむように、そしてそっと出すように絵を描いたり工作したりして、それを周りの人に見てもらうことで「自分」を見てもらおうとよくしていたなあ。

 だから文集や〇〇新聞みたいな、イラストあり文字あり、なんでも自分の好きなように表現しちゃって〜な媒体がけっこう好きで、ふだんはおとなしいハンダくんがそこだけはマイワールドを炸裂させてはっちゃけていた。「口には出さないけれどさ、みんな、おれって本当はこういう人間なんだよ」ってな具合にさ。そのフィールドの中だけは自由でいられたし、中学生くらいになると、こう自分が書いたページを見てみんなどんあ反応するんだろうと想像するのが楽しかった。もうとにかく地味で取り柄がない自分を少しでもおもしろいって思ってほしかったんだよ、当時は。

 それが巡り巡って、大人になった今、文集ではないけれど雑誌をつくったり文章を書く仕事をしている。また仕事じゃなくても、それこそ自分のことを知ってほしくてZineをつくったりしてきた。なんだ、全然変わってないじゃん自分。子どものころからさ。一応、社会人の仮面かぶって他者とコミュニケーションとることはできるけれど、根は変わらないから、何かをつくって自分の分身くんを人とのあいだに挟まないとコミュニケーション取れる自信がないんだよね。うんうん、そうだ。

 それにあらゆる文集の巻末にあるクラスメイトや先生からのコメント。それ読んでいると今の自分にも当てはまることがほとんどで。いやあ、ほんと10数年経とうが自分の本質なんて変わるものでもないのよね。

 自分の好きなことも、表現の仕方も、性格も、他者との付き合い方も、なんも変わることはないんだな。ネガティブさより、安堵によるため息が出てしまう。

 ちょっと自信が湧いてくるよ。文集つくってたときの熱量を思い出して。
 お仕事なので「作品」をつくるわけにはいきませんが、企画だって編集だって、好き勝手にアイデア出させてもらいます。大人になってあまりにも常識の枠に当てはまって物事を考えてしまっているので、その足かせを外して自由に遊んでやるよ。真剣に遊んでやる。

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