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雨の日を好きになれない、けれど

 雨の日をどうも好きになれない。

 10歳を過ぎてから雨の日に体調を崩すことが多くなった。熱もないのに吐き気や頭痛がする。子どもだったから訳がわからずにいたけれど、それを医者や親は“キアツ”のせいだと言った。天気が悪くなってくると“キアツ”が変化して体調を崩すらしい。

 キアツ、きあつ、気圧。気圧って面倒なやつだなと、10代の10年間はずっと感じていた。自律神経がイカれていたのか、体の成長とともに、どうみても風邪ではない体調の変化と不調に悩まされてきた。結構これは神経質な自分をつくってしまうのに役立ってしまった。

 それに「加え」なのか、それと「ともに」なのか、「もとから」なのか、雨の日は気分が沈む。
 朝目を覚ましたときに聞こえるザーザーという音を聞くと気が滅入ってしまう。あんまり好きではない音、うんざりしてしまう音。何が僕をそうさせたのかはわからないけれど、なんだか好きになれないんだ。外を眺めたときに見える灰色っぽい縦の連続した線。その雨が見えてしまうとわかったとき、これは自分にしか見えない特殊能力なんじゃないかと幼稚園ぐらいの僕は思ったものだけれど、いつしかそんな感動を超えて、それは気分の滅入る象徴でしかなくなっていった。

 ましてや大人になってからはさらに悩みが増えた。
 自分が思い描いた背の高さを超えてしまって、傘をさしても下半身は濡れてしまう、どう頑張っても濡れてしまうという宿命を負った(これを話すと一部の人は「自慢か」と言ってくるから悩ましい)。土砂降りのときはいつも太ももと足が冷たく、季節によってはぬるい。

 一時期、僕と雨は和解していたことがあった。
 中学生のときソフトテニス部に入っていたが、雨がふれば大抵部活は中止になっていたので、そのときばかりは雨に感謝。だけど、気圧にやられることに変わりなく、部活も引退してしまえば僕らが和解をする理由もなくなり、また元の関係に戻るのだった。

 毎年やってくる梅雨や台風。大人になれば仕事のこともあり、ニュースを見ているだけで気が滅入ることも多い。

 そんな “ I hate you ” な雨だけれど、雨がテーマになっている音楽は昔から好きだったりする。センチメンタルになった自分のモードと曲のモードが絡み合うんだろう。音楽聴くようになってから、雨の休日なんてイヤホンで耳塞いでそんな曲ばっかり聴いたりしていた。

 大人になって車に乗るようになってから、雨との付き合い方も少し変わってきた。
 車の個室具合って、ちょっと感傷的な気分でひきこもるのにちょうどよい。雨が車のボディに反響する音を半分耳にしながら、カーステレオ越しの音楽をもう半分の耳で聴く。雨が騒がしいときは音楽に中和され、音楽が騒がしいときは雨に中和され。まあ、いい塩梅になるのさ。その状態で車を走らせたり、どこかでボーッとしたり。

 そんなとき、雨が好きだと言っていた人のことを思い出す。

 車にひきこもったまま目を閉じて雨の音に耳を澄ますと、心地よくてずっとそのままでいられるそうだ。それを聞いたときは、そうなんかあと思ってやってみるけれど、どうも車を叩きつける雨音が気になる。あるいは、静かになってきたかと思えばその静寂を味わう前に寝落ちしてたりする。それでも、その人のこと自体をわかりたかったから何度も試してみた。何度かやっているうちに「ああ、こういうことなのかな」ってその感触をつかめた気にもなるのだけど、他人の感覚をそっくり味わうことなんてできないから確かめるすべがない。

 けれども、その感覚が気になって今でもたまにやっている。
 とくに気圧でやられているとき、目を閉じてそっと雨音に耳を澄ますようにしている。夜、帰宅したときに駐車場でこれをやって、そのまま寝てしまうことが何度かあった。そんなとき、雨音ではなく虫の音が微かに響き、外に出てみると星が出ていたりすると何かに打ち勝った気分になれるのだけどね。

 だいぶ雨との付き合い方も心得てきたけれど、やっぱり雨の日を好きにはなれきれないよ。だって、雨の日の思い出が蘇って、無駄におセンチになるんだもの。

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