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宮崎の片隅のランニング日記 2

第2回 20.06km Running(2022/02/11)

▼第一回はこちら▼

本日は晴天なり。本日は祝日なり。本日は華金なり。本日は朝6時半に起きたなり。

明日から天気は崩れるなり。それならば今日走るしかなかろう(溜まった仕事も明日やろう)。
ということでスマホのアラームを6時にかけ、スヌーズ機能に甘え、2度3度けたたましく鳴らされるアラームに殺意を覚えながらも無理やりに体を起こすこと朝6時半。カーテンを開けると空がすでに明るくなっていることに気づいた。ちょー寒いけれど季節は順調に春に進んでいるみたい。

ウェアをどこまで着込んだものかと迷いながらコップ1杯の水とバナナを食す。空腹ランでもいいんだけれど、今日は長時間走りたいし、エネルギー切れを起こしたら困る。入念にストレッチをして、いざ外へ出らん。

思いのほか寒い、というよりもあらゆるものが冷たい。空気も風も。ノーガードな手のひらが痛い。日が差す箇所、信号に引っかかりにくい道を選んで走る。朝ランだからペースは遅め。体の動きを感じながら、祝日の朝のムードを感じながら走る。散歩や出勤する人の動きを見ていたら、感じる寒さも和らいだ。同時に体も温まって、動きにしなやかさが出てくる。

週末とか、多くの人が休みの日の朝ってやつは好きだ。気持ちがいい。人がいない時間に外へ出て、晴れているならば朝日を存分に浴び、ひまわりのごとく光合成をする。もちろん、それで気分が良くなるってのもあるけれど、「みんな余裕がある」「余裕のある空気が漂っている」からこそ気持ちがいいのかなとも思う。平日なら車が殺意むき出しでビュンビュンに走り、駅では電車に乗り遅れん!と周りを蹴落とす勢いで人の群れが蠢く。蜘蛛の糸かよって。

そういうのがない。絶対数が少ない。そんななかで外を歩くなり走るなりして、真っ直ぐに伸びる道を独占できるこの清々しさ。優越感。

ランナーあるあるだと思うけれど、ランナーがすれ違うときに挨拶をすることが結構ある。軽めに会釈をする場合もあれば、はっきり声を出すことも。そんで同じ時間、同じルートを習慣的に走るようになると、そこをコースにしている人たちをだんだん覚えていって、ちょっとした親近感が湧いてくるようになる。お互いに「あ、今日も走ってんやん」「ちゃっす」なんて表情をしながらすれ違う。

街近辺に引っ越してから、ランニングコースがかなり増えた。そこに道があるかぎりどんどんコースの選択肢と結び方は増えていく。まだまだ開拓中だし、まだ被ったランナーがいない。

でも、今日は一度すれ違ったけれど、お互いに違うコースを走ったあとに同じ道で合流したランナーがいた。お互いにまた会いましたねって感じ。

そんなときって、脚に余裕があるときは負けん気が発揮されて、抜かして距離をつけてやる!とか闘争心むき出しになるか、余裕がなければその人をペースランナーにしたり、「また会いましたね」感を温かいものとして受け止めメンタル回復をはかったりする。今日は15km以降脚がお逝きになったので後者だった。

あーーー早朝ランを習慣化したいなあ。


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