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大人になって自分をさらけだすことの困難さ

 大人になってくるにつれて、自分をさらけだすことが難しくなってくる。一年、また一年と歳を重ねるたびにその傾向は強くなってくる。
 大人になって社会人とやらを演じているうちに、そして社会や世間との接点が増えるたびに、その社会の体(てい)に合った顔を持つようになる。

 社会人らしいしっかりした顔、頼もしい顔、かっこいい顔、弱みをいっさい見せない顔......。
 社会人であるための共通のドレスコード、つまりは仲間として認めてもらうために自分が習得しなければならない大人の作法のようなものとして、そして、いろんな欲望持った同じ大人たちから自分を守るためのマスクとして、社会の顔を手に入れる。

 それで何不自由なくうまくやれているうちはいいんだ。
 ただ、あるとき気付くんだ。しっかりした顔、かっこいい顔……そんな硬いマスクで人と接していると、他者にとってはそのマスクをかぶって、その役の人格になりきっている自分がすべてになってしまうということに。自分はほかにも「顔」を持っているはずなのに。

 え、待ってくれよ、その仮面の内側には弱くて傷つきやすい、本当はかっこつけるよりも子どものように他人に甘えたいはずの自分がいるじゃないか!

 そういう自分をだんだんとさらけだせなくなっていく。大人の経験値がたまってレベルが上がるごとに。社会に対する顔は強くなっていくけど、その裏にあるはずの素直な心が貧弱になっていく。その素直さはすべての物事の原動力のはずなのに。結果として、自分が何を求めているのか、自分が何を欲しているのかが分からなくなる。無邪気な子どもの自分が、自分のなかで迷子になって、いまここにいる自分と対話できない状態だ。

 みうらじゅんがかつて『アイデン&ティティ 24歳/27歳』で「傷付きたくないために、大人ぶって大人ぶってそして、気が付くと本当の大人になっちまうんだろ!!」と主人公に言わせていた。
 確かにそうだ。僕らは一生懸命に大人ぶって大人ぶって......を繰り返すうちに大人の振る舞いと顔を手に入れてしまっている。それも自分が気づかぬうちにだ。でも、そうやって大人を演じることに慣れきってしまったとき、その悦に浸っているとき、その裏側でもっとほかに自分のなかにあったはずの人格を置き去りにしているのかもしれない。

 他人に自分が「カッコ悪い」と思っていた部分をさらけだせないどころか、さらけだせるはずのものさえも忘れてしまう。

 そういう人間になろうとしていることに30歳になって気づいたんだ。
仮面をずっとつけている人間には、他者もずっと仮面をつけたままで接するだろう。

 そんな寂しいことがあるか。
 寂しい大人にはなりたくない。寂しさをつねに抱える自分なだけに。

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