煩わしさではなく、心地よい疲労からくる眠気は最高だ
青島太平洋マラソンから1日経って。
1年ぶりにフルマラソンを走った。1年前にサブ4を掲げ、そのための練習をしてきたけれど結果は4時間ちょい。上手くことが運ぶものではないなと「現実」を叩きつけられながらも昨年より1時間も速く走れたのは幸い。ゴールしたときの喜びを爆発させようと思っていたけれど、そのシーンはまた次回に持ち越し。
フルマラソンを走っている最中(とくに30km以降)は「もう二度とやるか」って思ってしまうけれど、走り終わったあとの脱力しているときには、もうすでに次のフルマラソンのことを考えている。そしてなんだろうな、疲れているけれど心地よい感じ。達成感とはちょっと違う何か。ふだん自分を取り囲む「エネミー」みたいなものに打ち勝ったような感覚。出家して悟り開いた感じ。誰にも達成できないことを自分はやれたんだぞっていう湧き上がる自信。そのあと時間を経てやってくる心の余白。それを欲しているから走りたいって思うのかもしれない。
今日は1日休みをとった。やること・考えることがいっぱいあったけれど。正直、休みをとっている場合ではないかもしれない。僕が休むことによって進行が止まっているものもあるはず。なかには休みをとることにいい思いを抱いていない人もいるだろう。だけど、休んだ。布団の中や食事をとるときに、何も考えずにぼーっと過ごす時間を増やした。そうして感じる日々の情報の多さ、思念の絡み合い。流せることはどんどん流していこう。
フルマラソンって本当に体力を消耗するんだなって1日経って感じている。それは疲れではなく「空腹」から来るんだ。
マラソン中に胃痙攣を起こしてから家に帰りつくまで飲み食いができなかった。体が何かを欲しているのに胃が拒否する。自分の好きなレース番組『グレートレース』で走者が食べ物を摂取できなくて苦しんでいる光景が、自分の体を通じてやってきた。胃が握り締められるような激痛と波打つ吐き気。こんなにだるいのか…って思ってソファに横になるやそのまま爆睡。
夜に目が覚め、だいぶ胃が回復してきたなあと思ってアミノバイタルを食べる(飲む?)や、そこから眠りにつくまでずっと何かを食べていた。まったくお腹いっぱいにならない。底なしの食欲に襲われるはめに。
それは今日になってもずっと続いている。起きているあいだはずっと何かを食べている。そしてお腹が減っている。こんな細い体のどこに入るんだってくらい。昨日の胃痙攣は胃が進化する前の痛みだったのか…なんて夢想しているとちょっと楽しい。
こんなにご飯を食べることが至福に感じるのは久々かもしれない。生きてる!!! って感覚が観念ではなく内側からやってくる。
ご飯ってこんなにおいしいんだね。
夕方が近づいてきて車を走らせる。
昨日、自分の足で走ったコースを車で走ってみるとなんというか感慨深いというか。
マラソンで走るコースはふだん車がごった返している幹線道路。そんな場所をこの日ばかりは「公的」に人間の足で走ることができる。ふだん禁じられていることを堂々とできるこの感じ。自由を感じる。
車に乗っているときとは違う景色が広がる。道路ってこんなに広いんだって思うし、道路のど真ん中から見える景色はふだん見慣れた光景を一瞬にして崩していく。知っている場所なのに知らない場所が目の前にはある。あるいはふだんの自分の知ったかぶりが見えるようで、その化けの皮が剥がされていくんだ。自分の暮らしている街でマラソン大会が行われる楽しさはこういうところにもあるかも。祭りの当事者になることで、日常とは別の世界を生きることができる。
そんなことを感じた次の日に通る道はまたちょっと違う。自分の足で走るスピード、車で走るスピード。どちらかのスピードで見えるものがあり、反対に見逃すものがある。
なんだか久々に解放された気分を味わった昨日と今日。それこそ全身全霊で、自分の全存在をかけて。
自由の感度を味わうためには自ら疲労して休む。このサイクルが必要なのかもしれない。
煩わしい疲労ではなく、心地よい疲労からくる眠気は最高だ。
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