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本についての「何か」をはじめてみようと思う

前々から企んでいた本にまつわる仕掛けづくりをしていこうと思う。
前々から企んでいたのであれば、なぜ思いついたときにやらないのかという話であるが。

ええ、腰が重い性格なのですよ。完璧主義な性格が災いしてとことん煮詰めて自分が納得できる段階まで頭で練らないと実行に移せないもので。しかし、この年齢になり経験も積んでくると時間は待ってくはれないというのが身に沁みてわかるようになる。

そうそう待っちゃくれないのさ。構想を練っているだけであっという間におじいさんになりそう。そこはトライ&エラー。何か思いついたら心配なことや懸念されることばかりに意識を傾けずにとっととやっちまえばいいのだ。とにかく打席に立つべし。成功か失敗か、それはやらなければわからないこと。やる前の想像による出来事は、あくまで実体なきイメージ、観念ゲームでしかない。

先日、ブックコーディネーターの内沼晋太郎さんの話を聴いたのも影響している。内沼さんが本に関する企画やイベントを運営し出した20代のころ。お仕事になる以前にやっていたさまざまな試み。こんなことをしたらおもしおいんじゃないか、その空間、文脈のなかに本があるとどんな機能を持ちそうか。仕事としてではなく、まずは自分の興味・関心から発する試みを次々に行っていた。それが自然と今につながる仕事へと発展したようだった。

その事例を目にして、「あ、さっさと思いついたことやったほうがいいな」と思うようになった。結局、アイデアは持っていても、外に表出しなければそれは「ない」にも等しい。物事を自分の基準だけで判断せずに、周りの人々、僕と接点のない人に委ねてみるのもアリだと考えるようになった。

たぶん、その何かをやることによって今までとは異なる形で他人との接点をつくることになる。それは自分の新しい回路を切り開く。自分を覆う世界観が新鮮味をもって刷新されれば気分良くなって楽しいだろうし、なんなら仕事につながっていけばラッキーだ。

あと、これは一つ足かせになっていたなと思うのは、自分は別に多読ではないし特段本に詳しいわけでもない。憧れはあるが本屋をはじめたいと思っているわけでもない。なので「こんな私めが本に関することなど大それた云々」という気持ちが少なからずあった。自分の無知な部分が露わになるようで尻込みしていた。

ようはなんでも真面目に考えすぎていたのだよ。それがビビりを生んでいた。

多読でもなく本に詳しくもない。しかし、今自分の置かれた環境を冷静に見て感じるのは、おそらく自分しか読んでこなかったであろう本、自分しか持っていないだろう本があることだ。普段近い範囲で関わってる人たち、宮崎市の街中界隈、あるいは宮崎市全体、宮崎県全体。その範囲内でもユニークなものを読んできた、触れてきたという自負はある。

そういった本、あるいはそういう本たちの知識が僕の生きるこのまち、この地域の中で異物として機能させてみたいという思いがある。

まず手はじめに宮崎市内や街中の店舗さん内に、自分の本棚をつくりたいと思っている。その空間にそんな本があるの!? というような異物として機能しつつも、その文脈を邪魔せず、本を手にした人、ちらっとタイトルを目にした人が予期せぬ出会いを果たすことができればと思う。それがその場に影響を与えればおもしろいし、なにより、本って読む以外にもそんな効果が実はあったんだという発見をしたい。

そんな実験をぼちぼちやっていこうと思う。
本を読むことも好きだけど、どんな場所でも本のある空間とそこに集う人のことが気になってしょうがないのかもしれない。


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