寝てばっかで気づいた。余白は必要だ。

とにかくくたばっていた。寝て寝て寝まくった。
一日中寝て過ごすなんて久しぶりだ。しようと思っていたことも、もともとこう理想的に休日を過ごそうと予定していたこともすべてパーだ。目が覚めては、布団にくるまって雨音を耳にする。そしてまた、眠りにつく。夢のなかであちこち彷徨って、現実世界に戻ってきては時計で時間を確認する。そしてまたまた眠りにつく。

物心ついたころから、眠るときに必ず夢を見る。夢を見ないことの方が稀だ。夢ばかり見る睡眠は浅い、よく眠れていない証拠だと言われているが、僕の場合は夢をどれだけ長時間見ることができたかが、自分がどれだけ“よく眠れた”かを計る尺度になっている。

実際のところ、客観的に自分の眠りの質を見てみるとよく眠れていないのかもしれないが。まあ確かに睡眠中にどんだけ頭使ってんだよという感じもしなくはない。完全にガス欠状態で朝をむかえることもしばしば。自律神経がイカれていると言われたこともあったっけ。

こう一日中眠ったあと、目を開き仰向けになって天井を見つめていると、ふいにぽっかりと体に穴があいたような気分になる。虚無感ではなく(無いといったら嘘になるが)、窓が開いて風通しがよくなったような、そんな気分だ。座禅やヨガをしたあとのような余計な邪念が意識に上ってくる前のひととき。身体に余白ができて、静かにゆっくりと時が過ぎていく感じ。何も考えないことを許されるひととき、何か大切なことにだけ考えが向くひととき。そして、忘れていたことをハッと思い出させてくれるひととき。

なんだかんだと「余白」は必要だと言われる今日このごろ。そして、自分自身もマントラのごとく唱え続けていた日々だったが、完全に頭ん中の概念化した「余白」を延々と唱えていただけであって、こんなに身をもって「余白」を感じると、「あ、オレ頭ワルッ」と思わずにはいられない。ああ、「余白」はやっぱり大切だ。隙間を開かなければ。そういう時間を大切にしなければ。と、こういうことを書いてみると、いったいオレは何に追われているのやら。と、また隙間が開いていく。意識してそういう時間をつくらなければならないことに疲れているような気もしている。実はそんな人多いんじゃないか。

最近、顔に大きなシミができた。よく見てみるといきなりできたわけではなく、徐々に時間をかけてできたようだ。自分の顔におきている変化にも気づいていなかった。まだまだ肌は綺麗でいたいお年頃。ちゃんとビタミンとって運動して、新陳代謝をうながしたいところ。こんな他愛もないことも余白ができたから気づいたようなもんだ。案外自分の目には何も見えていない。

以上、寝過ぎて眠くない人の戯れ言でした。ゆったりとした音楽が気持ちいいこの時間。

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