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流れ、巡り、循環し、戻り、また流れ、、、

街の人の流れ、車の流れ、物の流れ、お金の流れ、川の流れ、人体をめぐる血の流れとかとかとか。

量が少なすぎてもよくなく、多すぎてもよくない。
流れが速すぎてもよくなく、遅すぎてもよくない。

「ちょうどいい」くらいがいい。そういうのって一緒だなあって。
そんでお金を回していくなら自分の好きなお店や商品に使ったほうがいいなと。

一括りにするのは乱暴だけど、循環とかってそうやなあって思う最近です。
このごろシルビオ・ゲゼルやミヒャエル・エンデの貨幣論、それらを解説した本を読んいでたからってのもあるけど。

いやーでも今日はちょー頭働いて読めた。なんだかいろいろつながった。
映画館へ行く予定もすっぽかして。アハ体験ってやつだった。

その本たちは参加している読書会の課題本なので消化しなきゃいけないものなんだけど、個人的にはフリーランスという収入と支出が不安定な立場上、その不安を払拭したいがために読んでいたところもあった。

でも読んだら読んだで不安がだいぶ解消された。
あとはもっともな答えに行き着いたとこ。

お金は使うためにある。そもそも何かの交換手段でしかない。貯蓄は派生的に生まれてきたものであり、マネーの本質ではない。とくに不安から貯めるお金はお金じゃないなって。

金がねー将来が不安だーとか心配性すぎて貯蓄に回してばかりだったけれど、貯めることで安心しようとしてただけだなと。
マネーが野菜や肉と異なり、永遠に価値が変わらないと「信じている」ところから来る発想だったなあと。

仮にお金が野菜みたいにだんだんと価値が減っていく(痛む・腐る)ものであると考えたら、さっさ使って(料理して)、腹と生活を満たしていった方がええやないかと。

んで本読んでて物価の仕組みもクリアになってきたから、それならなおさら自分の欲に忠実なお金の使い方をしたほうがいいなって気づいた。
そんでもって、使うならやっぱ自分の好きなお店や商品、あなたしか頼める人いないねんっていうサービスにお金を使いたいなと。
それも同じ街で商いや仕事をしている人たちに対して。僕の行動圏内に比例してお金を使っていきたい。

そうやってさ、いい具合に、いい感じに、ちょうどよく、自分の住む街の生活圏(経済圏)を回したいなあ。
自分の払ったお金が誰かのお金になって、そのお金を誰かさんが使ってまた誰かに渡って、なんか順繰りして自分に返ってくるとか。
そういう循環があるといいよなあと。ちょうどよい量と速度で人や物やお金が回っていく感じ。
この「まち」っていう体のなかを血がめぐる感じ。

お金を使うとか、それによって何かが流通していくとかってコミュニケーションだなって思うわけ。

なんかそんなことを思ったのさ〜っと。
ここらでやめないともっと長くなりそうなので、いろいろ割愛。

コロナや物価上昇やら、円が弱いやら、賃金が安いやら、税は上がるやらいろいろヤバみな要素はありますが、自分の生活圏ってところからお金を考えて使ってみると日本全体はよくなんなくても、自分たちの生息域(僕やあなた)は守れるんじゃないかなと思った次第です。


上記は昨年の今ごろにSNSに上げていたもの。ちょっと思うところがあり、こちらでアーカイブ。6月は思慮深くなるようで、昨年の今ごろもまったく同じようなことを考えていたようです。


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