見出し画像

壊れた心は何をしでかすかわからない

誹謗中傷を繰り返す人というのは、自分の言葉は【正当な】意見や指摘、批判であり、断じて【誹謗】や【中傷】ではない!と言いはるよねえと感じる今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。

久しぶりのnoteです。実は私自身、心身ともに調子がよろしくなく、文章を書くという行為が遠のいておりました。ようやく数日前から夏コミ用のテキストを書き始めているところでございます。間に合うのか、私。

亡き方に対しあれこれ言うツイートを見ながら、ぼんやりとする脳をなんとか動かして、自分が思ったことをポツポツと書き留めておこうと思った次第です。彼の件については、私は深く知る立場にありませんし、そこについては語らないつもりです。そういう記事が読みたい方は、他に書いてる方が結構おりますゆえ、そちらをおすすめいたします。

なるべく一般論として、筆を執りたい、な。
あと、脳内アウトプットなので、何が言いたいかわからない雑文であると先に書き留めておきます。

正直、死因は公表されておりませんので、事故かもしれません。
ぶっちゃけ、自殺というものは、事故の側面もあるのです。

ついうっかり、電車が来るとわかってて一歩前に出てしまった。
ついうっかり、薬を飲みすぎてしまった。
ついうっかり、自分を刺してしまった。
ついうっかり、高層マンションの窓から飛び出してしまった。

正常な判断ができる状態の人間からすると、「どこがついうっかりなんだ!」と思うかもしれません。けれど、メンタルがおかしくなると、そういったことが判断できなくなるものです。

そして、例文では「ついうっかり、」でまとめてしまったんですけど、その「ついうっかり、」の部分でその人が何を思っているのかは、本人しかわからないのです。
というか、私個人は「ついうっかり」のときに「死にたいと思って」という感情がないケースが多いのではないかと感じています。むしろ「死にたいと思って」起こした行動は、いつだってうまく行かないものです。

電車、楽しそうだなあ。とか。
薬、もう少し飲んだらこの痛みが取れそうだなあ、とか。
自分を刺して痛い!と感じられたら、生きてるって実感できそうだなあ、とか。
窓から飛び出せば新しいハッピーな世界に行けると信じて、とか。

うん、妄言ですね。
けれど、そう思うのは我々が結果を知っているからかもしれない。

よく、自殺は周囲の人達に迷惑がかかると言われます。
実際のところは、自殺に限らず、誰かが死ぬということは、誰かに迷惑がかかることだと思うのです。いなくなるって、そういうことだから。嫌な言い方をすると「お互い様」でもあります。
だからって、苦しいと思う人に自殺を勧めることはしません。
ただ、選択肢として本人が選ぶのならば、止めようがないだろうなと思うところはあります。
それだけ、現世が苦しくて、それをしようと思ったときに、明るい未来が見えてしまったのだから。

自殺は止められなかったのか、という議論もよく耳にします。
私個人は、自殺を止めようとする前に【自殺という選択肢を選ぶようなメンタル状態をなんとかしようとしないのか】と思ったりします。
自殺というのは、自分をなんとか良くしようとした結果の一つであると考えているからです。

勘違いしてる人が多いけど、死のうと思って死ぬんじゃないよ。今の状況を変えようとした選択肢の中の一つに死ぬための方法があって、それが一番輝いて見えるだけですよ。
もっと言うならば、色んな選択肢があって、心が判断する前に、体がそれを選ぶことというのが多々あって、それが「ついうっかり」死につながる。
自殺する人の行動というものは、ヒヤリハットの世界と似ているのです。

どうしたら自殺は止められるのか。
自殺につながる選択肢を考えられなくするのがベターかなと思います。ベストではないけれど。
自殺につながる選択肢を考えられなくするにはどうするのか。
他人を追い込んで、メンタルをおかしくしないこと。と言いたいのですが、人間という生き物は、割と簡単にメンタルバランスが崩れがちです。
体内の男性ホルモンと女性ホルモンの生成量とか。これって、ほんのちょっとの量であっという間にバランス崩れるからね。
原因はホルモンバランスだけじゃなく、ストレス……誹謗中傷だったり、周囲の圧力だったり、気温湿度などの環境だったり、そういう「ひずみ」でメンタルバランスは崩れがちです。

困ったことに、メンタルバランスが崩れたとき、全く動けなくなる人ばかりではなくて、体は動かないけど脳だけは異常に冴えてくる人とか、脳はまともに働かないけど体は普通に動く人とか、やたら卑屈になる人とか、やたら攻撃的になる人とか、やたら神の声的なものが聞こえてくる人とか、とにかく色々な「メンタルバランスの崩壊時の反応」があるのです。
うつ病は動けなくなるから寝たきりになる、とか言いますけど、うつ状態であっても体が動く人は動かそうとしますし、うつ病の回復期は無理をせず体を動かしましょうと指示が出ます。そういう状態の時って「ついうっかり、」が出やすいんですよね。体は動くけど、思考とメンタルが回復しきっているわけではないから。

そして、これがいちばん重要なことなんですけど。
「自分のメンタルバランスが崩れていると、自分自身が自覚できない」

体が動かないとか、体調面が悪いのは気づきやすいのです。痛みとか苦しみといったわかりやすいサインがあることが多いので。
とはいえ、その手のサインがない病気については、放置されがちなのが現代の人間です。ガンとかもそうですけど、初期の段階では自覚症状がないことが多いものです。
メンタルの悪化というものは、そのような自覚できるサインがないことが多いのです。周囲の人に言われた気づくとか、メンタルの不調が体調面にまで出てきてようやく気づくとか、そういう人多いんじゃないかな。
特に、攻撃的な方向へとメンタルが崩れていくときって、自覚症状はないんですよね。なにせ「攻撃していくことが正しい」ってメンタルに書き換えられちゃってるから。他人に指摘されて気付ける…段階ならまだ大丈夫です。ガチで病むと指摘者の言葉も耳に入らない、もしくは指摘者を敵と思い込む。そういう思考になるようなメンタルになっちゃってる。

私はその人ではないので、その人がどういうメンタル状態で、何をどう考えて、一連の行動をしたのかはわかりません。なぜ誹謗中傷をしたのか、なぜ命を立つような行動をしたのか、なぜ誹謗中傷を「これは指摘」と言い切って相手のことをなんとも思わないのか、わかることはないでしょう。
亡くなった人とは今後心を交わすことは無理ですし、攻撃的な人は自分のような見知らぬ赤の他人の話など聞きもしません。それは事実として、そういうもんだと思ってます。

そして、亡くなった人を、亡くなったあとに助けることは不可能です。

ただ、ただですね。
生きている人ならば、助けられるかもしれない。
生きて傷ついている人も、生きて他人に攻撃的になっている人も、助けられるかもしれない。
私一人の力では助けられないことが多いけど、誰かは誰かを助けられるかもしれない。

なので、助けたいなと思っている人がいたら、誹謗中傷されてて影で悲しんでいる人がいてその人を助けたいなと思ったら、声を上げて助けてほしいなとは思います。
誹謗中傷している人を止めることも重要で、ただ、そういう人たちを止めるのは個人の力ではちょっと難しいと思ってます。メンタルが変な形で病んでるよ、と心のなかで思うのは簡単ですけど、それを口に出すのは【誹謗中傷】に値します。誹謗中傷を止めるために誹謗中傷をするのでは、一生誹謗中傷は止まりません。
警察?実刑?
そうですね。
それも方法の一つかもしれません。ただ、それが効果的なのはあくまで「自分がやったことは誹謗中傷であり、相手に酷いことをしてしまった」と自覚する場合であって、「あくまで自分の主張は指摘であり誹謗中傷ではない」と思い続ける人たちも一定数います。別に刑務所に入ったからってそこのメンタルが治るとは限りませんし。

ちなみに、実刑受けたけど誹謗中傷ではない、むしろお前のせいで不要な刑罰を受けたと称して、被害者にさらなる苦痛を与え続ける人たちは実在します。というか、自分がその被害者だから、言える。

だから何が言いたいかというと、誰かを叩いて、誹謗中傷して、それがおかしいなと気づかない人は。
ちょっと立ち止まって周囲を見回してほしいなと思います。
間接的な殺人者になっている人、無自覚に暴行をくわえている人、【正義】の名のもとに他人を断罪するのが癖になっている人、思っているよりは多いから。
こういうのは、その人の身近な人とか、それなりに影響力のある人とかが言わないと、立ち止まれないと思う。
だから、この文章は多分無意味です。
自分はただの一市民であり、そんな能力も地位も持ち合わせていないのだから。

ただ、思ったことを吐き出して。

最後までお読みいただきありがとうございます。いいね!と思われましたら投げ銭などしていただけますと、幸せになれます。