他人を見下さない方がいい一番の理由
みなさ〜〜〜ん!!!今日も元気に
他人を見下してますか〜〜??!?
何ヶ月美容院行ってないんですか?って感じの
ボサボサ髪に化粧っ気のない子連れ主婦と街中ですれ違っては「子供産んでもこんな風にはなりたくないな」とか思ったり!
「別に彼女とか要らないし結婚願望もない」とか言いながら周りから見たら異性を気にしてる素振りバレバレな非モテ偏屈男を見ては「キモッ!ダッッッサ!」と思ったり!
そういうこと思うのは個人の自由だし、直接本人に面と向かって言ったりしなければ全然問題ないとは思います。感性も思想も人それぞれ。
ただ絶対に辞めた方が良いのは、
『現在の自分を信じすぎること』
過去の私の話をしよう。
同級生に読まれたらめちゃくちゃ嫌われそうな話だけれど。
高校時代までの私は、内心傲慢で冷酷な、万能感の塊だった。
小6の頃、面談で担任から言われた「6年間通しての成績は紅森さんが学年で一番だった」という言葉で、「あれ?もしかして私って頭良い?」と思ってしまったのが全ての始まり。
中学の入学式では新入生代表になり、その後わけも分からずに学校で受けさせられた小さな模試では全国1位に。
学級だよりの端っこで褒められてからしばらくの間持て囃され、「あれ?もしかして私って天才?」と、遂に天才に進化してしまった。
おそらく、その頃からだった。
時限爆弾のカウントダウンが始まったのは。
「私って選ばれた特別な存在なのでは?」
「私以外の人はみんな馬鹿なのでは?」
「馬鹿は悩みがなさそうでいいよな〜w」
「賢く生まれてよかった〜〜!!」
中高時代の私は、腹の中にそんな爆弾を抱えつつ、どんなに必死に勉強してもそれがテストの点数に反映されない人を不思議に思ったり、逆に全く勉強せず点数も勿論酷い人に呆れたり。
その人達の努力だとか、想いだとか、キャパシティだとか、人生だとか、今なら容易く想像できるものが一切想像できずに、自分の正しさと強さだけを信じていた。
周りの人達や環境は最高で凄く好きだったけれど、どこかで全てが“背景”のように感じていた部分があった。
私だけが主人公であり、神様だった。
今となっては、もはやその面影は無いけれど。
大学3年の時、うつ病になってからは全てが変わってしまった。
うつ病の症状として、不眠だとか食欲不振だとか色々あるけれど、私にとって一番つらかったのは『頭の回転が遅くなった』ことだった。
凍っていない保冷剤を脳内にぶちまけたような、不快ではっきりとしない、ドロドロと味気ないゼリー状の何かが、ただずっと頭の中でズルズルと流動しているような感覚。
文章もただ意味不明な記号が並んでいるようにしか見えず、理解すら出来ない。
唯一の取り柄だと思っていた『頭の良さ』が自分の中から消え去った時、私の価値なんて何も無いと思った。
そこで、時限爆弾が遂に爆発する。
「私って選ばれた特別な存在なのでは?」
→別に選ばれた存在ではない!
「私以外の人はみんな馬鹿なのでは?」
→文字すら読めない私のが馬鹿では?
「馬鹿は悩みがなさそうでいいよな〜w」
→馬鹿だと思ってた人の方が私よりちゃんと
勉強したり仕事やっててえらい!
「賢く生まれてよかった〜〜!!」
→もう賢くないから生きてる価値もない!
神様だった頃の私が仕掛けたあの爆弾は、見事に私の存在価値や自己肯定感を吹き飛ばし、
“自分が見下していたもの”に自分が成り下がる
恐怖感と敗北感を、私の人生に植え付けた。
私は結構なツイ廃なのだが、ツイッターを見ていると、過去の私のように、時限爆弾を仕掛けているような人をよく見かける。
例えば「うつは甘え」と主張する人は、実際自分がうつになったらどうやって自分の心を守るのだろう。
家族や親友や恋人がうつになったら?
「甘え」と言って突き放すのだろうか。
近頃は、強い自分を演出して攻撃的なことを言う人を見るたび、「イタイ」と思うより強く、
「自分の首を絞めているようで見ていられない」と思うようになった。
未来のことは不確定。
全ての可能性はゼロではない。
病気になるかもしれないし、生活保護が必要になるかもしれないし、誰かのことを深く傷付けてしまったり、取り返しの付かないことをしてしまうかもしれない。
生活に疲れ切ったヨレヨレのおばさんになるかもしれないし、「結婚とか別にしたくねえし」とか強がりながらこっそり血眼で婚活する羽目になるかもしれない。
未来の自分を信じるな。
現在の自分を信じすぎるな。
他人を無闇に見下さない方が良い一番の理由は、周りのためでも道徳のためでもない。
“自分が見下していたもの”に
いつか自分が成り下がることが、
一番自分を傷付けることだからである。
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