見出し画像

学校の先生は中立っていうけれど...

学校の先生は中立の立場から物事を教えなさいっていうけど、実際どれくらいの人が中立の立場から物事を教えているのか。そもそも、先生が中立的存在になりえるのか。と教師になる前から考えていた。

特に私の教える社会科は特に政治的中立性が求められる教科のように思われる。私自身、中立的な立場から物事を教えられるように未熟ながらも日々勉強に励んではいるものの自分を客観視することは難しい。

なによりも、中立性を意識するあまり、意見なし&無関心になってしまわないかという不安もある。両者の意見を知っていながら、知っているだけで、じゃああなたはどういう意見なの?と聞かれたときに自分の意見を言えない人間になってしまうのではないかと思ってしまう。


TED『ジェイ・ヴァン・バベル:政治は私たちを不合理にするのか』によると、人は中立的な立場に立ち続けることが非常に難しいということがわかる。特に政治分野についてはそれが顕著に現れるとのことである。自分の支持する団体の不合理な真実には目をつむり、団体内での協和を優先するということが傾向としてあるとのことだ。

この動画を見て、いくつか思い当たる節があった。
少し前に、yahooニュースで行われていた、緊急事態宣言における安倍総理の会見における発言にあなたはどの程度納得しましたか?というアンケートの結果をみると、
100%(納得した)と0%の両者が拮抗するように表が入っていて、20~90%の項目の投票数は微々たるものだった。
同じ人間の発言にもかかわらず、ここまで激しく納得度合いが違うということが客観的に考えたらあり得るのだろうか?
ここに政治的イデオロギーが大きく関わっていることは間違い無いと感じる。そして、政策の是非ではなく、安倍総理への個人的な感情の塊であることを。

また、最近、李栄薫編著『反日種族主義』を読みましたが、まさに政治的イデオロギーは極端になりがちだということを他国の事例ではありますが、実感した。

報道においてもこうしたイデオロギーが顕著であると感じる。
「マスゴミ」などと批判する人は、本当に自分でその番組を検討してその賛否を考察したのだろうか。一様に番組やマスメディア批判をしている人が少なからずいるのでは無いだろうか。そうした人はどのようなところから情報を仕入れているのだろうか。
NHKに対して否定的な人は、近年増加しているように思う。そうした背景には、政治分野に見られるような、謎めいた集団性を感じられずにはいられません。(これらの批判がすべて間違いだという意味はありません。)

自分個人の体験としては、私が大学生時代の時に高校生に話をしてみると、社会科の先生が嫌いな例として政権批判がうんざりするという声が複数あった。政権批判がうんざりする要素なのか、その先生が好きではないからうんざりが増幅するのかはわからないが、生徒が先生一個人の意見に敏感なことはよくわかったし、政治的な主張はその人の好き嫌いにも大きく影響を与える要素であることもわかった。

政権を批判的(もしくは肯定的)に捉えることは間違いなのだろうか。その姿勢を見せることは間違いなのだろうか。両方の視点を提供することが果たしてできるのだろうか?

社会科の内容を教える際には、すべてを伝え切れるわけでもないし、様々な意見をなるべく提示したいとは思っていても、どこかで線引きする必要もある。本当なら、「でも、実際はこういう考えもあるんだ」「でも、実際はこうとも考えられる」「でも、実際は....」と、本当の真実はきちんとした真っ直ぐな線ではなく、ぐにゃぐにゃとした線であることが多い。でも、生徒に対して、様々な細かい補足を繰り返していたら、何が何だかわからなくなるだろう。授業内では「〇〇は××である」と言わざるをえない場面も多いだろう。

中立的な発言はできないかもしれないが、自分と異なる主張を理解する姿勢を常に持つことが大切であることを伝えることが大事なのではないか。

こうしたもどかしさはまだ自分の中で消化しきれていませんが、これからも多くを学び、自分を成長させていきたい。

結論のない文章になってしまったが、それだけ自分の中でも答えの出ない内容であるから、という逃げの姿勢で締めくくりたい。


P.S.

個人的に「安倍政権」という呼称を用いて政権批判をする人には違和感を持つ。確かに安倍総理は内閣総理大臣ではあるが、政治は一人で回っているわけではない。アメリカのように大統領制ではなく、しかも安倍総理は国民が一番票を入れた自民党の党首であり、彼自身も直接国民に選ばれた代表である。過去の内閣については、記号として総理の名前を頭に過去の政権名を区別するのはいいと思うが現行の政権については「現政権」と呼ぶべきではないかと思う。安倍政権と呼んだ瞬間なにかそこに個人的な感情が乗り移っているような気がしてしまう。その結果、政治を客観的に見れなくなってしまう気がする。少なくとも私はそのように意識している。

まだ駆け出し者の文章を読んでくださり本当にありがとうございます!