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生きる力。その馬力

2011年の夏。

「家にある大事なものを持ってきてほしい」

と、ベッドで母が言うので。


慌てて探しに、大阪から京都の実家へ走った。

持ち帰った荷物の中から、ブレスレットをみつけ

「これは、昔、進駐軍さんに憧れて…当時流行った京都ホテルの横にある《マダム・サカイ》で作ってもろうてん。シルバーのブレスレット…」と、ベッドの上でとても嬉しそうに昨日のことのように話しだした。



母は戦争が大嫌い。

思い出したくもない、とTVのそんな番組からも目を背けます。憲兵には、こどもでも容赦なく(疎開先から持ち帰った)リュックに忍ばせたお米をとりあげられて憎たらしい、と。。。

突然、病魔が母を襲った。

7月。大阪にある我が家へ「1週間だけね」と訪れて。
孫二人と楽しく過ごすものの
夜中に「背中が痛くて眠れない。さすって」と。

あまりに痛がるので救急病院へ。
時間外だから詳しい検査は出来ないけれど
レントゲンでは
「何ヵ所も骨折しているようです」と。

翌日。外来で再び病院へ。専門医から

「骨折ではありません。もう骨に転移していて…あちこちボロボロになっています。
末期の癌です。」と。

うそ…………震えた……頬が、口が、手が、全身が震えて。
涙が勝手に溢れた。声が出ない。

あんなにずっと、京都ではお医者さまに通っていたのに。
今まで一度もそんなこと言われてなかったのに。
京都に帰れぬまま、そのまま入院。

昭和一桁生まれの人は強い。我慢強い。


8月。母の最期のひと月。
大阪の我が家で家族と共に過ごした。
(在宅ホスピス)

京都で病に気づかなかったのは。
神さまが
『最期は、家族みんなで過ごしなさい』と与えてくれた時間なのかな、と思う。


母は料理が大大好きな人だ。
83歳。

足が悪くても毎日、
(京都の)市場へ自転車で通い、毎日、台所に立つのが生き甲斐で。
ヘルパーさんに台所に入られることを強く拒んだほど。


私が、キッチンに立つとベッドから

「今日のおかずは、なんぇ?」と聞く。

もうかなり病が体を蝕んでいて、身体中の痛みに苦しみもがいていたけれど。


私が、キッチンに立つ。

ごま油のはねる音。
まな板で刻む音。
ケーキの焼ける匂い。
ぐつぐつ煮込む湯気。。。

その時だけ、安らいだような顔で こっちを見てる。


もう起き上がれなくなって、
食べさせてあげようか?と言っても


いいえ。食べます、自分で。」と。



這いつくばって震える手で箸を持つ。震える犬のように。這いつくばって全力で食べる。


そして「おいしい」と。



だけど、(もう食道も狭くなっていて)案の定ぜんぶ吐く。だけども、口で食べたいのだ。



生きる》ということの凄まじさを怖いぐらいに感じた瞬間です。



どんな高カロリーな液体や点滴よりも、


』で、食べる。噛む。味わうこと。
それが一番おいしいこと。


その『』は

恨み辛みを言う為に使うものではない、こと。


《生きる》馬力、のすごいこと。


最期に見せつけられた気がした。



人間は。命あるものは。いつか死ぬでしょう。
死んだ方が楽、って思うこともあるでしょう。



だけども。


生きる底力、って自分が思う以上に、はるかにすごい。


食べることは、生きること。
生きることは、食べること。
生きることは、食べ方を工夫すること。


どんな食材も。どんな辛い道も
自分が思い描いてた通りの人生でなくても。

美味しく調理すること。自分で工夫すること。


味つけは、自分次第


お盆に。
終戦記念日に。
新型コロナウィルスが世界中に広がってなかなか先が見えない時代に。


ぼんやり、《生きる》ことに思いを馳せてみました。



今日も、


「気ぃつけて、いってらっしゃい。おはようお帰り~」

どこからか、母のそんな声が聞こえてきた気がしました。

(母が、いつも玄関先で見送ってくれる時にかけてくれたお決まりのフレーズ(笑))

というか。お母さんもお父さんもご先祖さまご一行さまも

「気ぃつけて~!あの世へおかえり~。また来年~~!」

今年は五山の送り火が、ちょっとしか点かなくて寂しいけれど。

#生きる力
#夏の思い出
#おいしい人生
#味つけ次第

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