映画 「あしたの少女」

(ネタバレあり)
若者が労働搾取されて疲弊し命を落とす事件を描いた作品。
実際に起きた事件をもとにして作られた映画で、本作の影響で現場実習生の保護を求める声が高まり、業者側の責任を強化する「職業教育訓練促進法」の改正案、通称「次のソヒ防止法」が国会で議決された。
前半は、卒業を控えた女子高校生が就業実習という名目で、実習先で心を削られるような労働を強いられる様子を丹念に描いている。
ダンスが好きで、間違ったことを間違っていると言える明るい少女が、声をあげることすらできない状況に追い込まれ、自己責任(問題のある子・問題のある実習生にされてしまう)と言われ、だったら辞めればいいのにと放置され(実際には辞めたくても辞められない状況を大人たちが作っていく)、心身を疲弊させて自殺してしまう。
前半はその状況の克明に描き、後半は女性刑事が、死の背景にあるものを探っていくことで浮かび上がる社会の問題点を描いている。
見ている側の心も疲れてしまうような映画だが、それが今日本でも起きていることなんだなと考えてしまう。
労働力をいかに安く、いかに効率よく使い倒すかのために周到に張り巡らされた競争が、職場だけでなく、学校も、教育庁にも蔓延していて、数字で競わされていることが壁に貼られている表やグラフで一目瞭然にしている。
人の死に対して誰もが(職場の管理者・学校の教員・教育庁の役人に、両親まで)、「知らなかった」と、「自分の責任ではない」と責任逃れのようなことを言う。
1人1人の大人たちが発する言葉や態度は、それだけでは少女を死に追い詰めることではないけれど、少女の内面にどんどん鉛の球を埋め込んでいくようになっていく状況。
少女の死の背景を調べていく刑事が、「大変な仕事でも、尊重されればいいけど、余計に見下される。誰も気にかけない」と独り言のように言うところに、この映画のテーマがあるように思った。
この映画では、最後まで何も解決せず、誰も責任を問われない。
自殺した少女の携帯が発見され、すべてのデータとアプリが消去されていて(自殺前に自ら消去した)唯一残っている動画が、ラストに流れる。それが、なんとも悲しい。

彼女の死は防げたのではないか。韓国映画『あしたの少女』監督が向ける社会と幼き者たちへのまなざし | CINRA

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