日本のエッチな漢文の話③『大東閨語』1-8段

『大東閨語』とは全31話の漢文の色話である。歴史上の人物に題材を取ったもので、絵入りのものである。作者は不明だが、古来太宰春台とも、頼山陽とも言われる。題名の通り、閨における男女のやり取りが描写されている。(随時更新していきます)

1. 光明皇后と玄昉


光明皇后の帳中に仮寝したまふや、釋の元昉、乃ち掌を以て后の股を敲けば、后、笑を帯び輒ち股を張かせたまふ。元昉、敢へて御せずして、俯して熟づく玉尻を視て、指を廻して之を弄ぶ。尻底を見れば津液生ず。笑ひて曰はく「硨磲の臀上、珊瑚の尻も安養宝池なれば、此を去るに遠からず」とまうす。

光明皇后が帳中でうたたねをしているとき、僧の玄昉は手で、皇后の股を撫でると、后は笑いながら、股を開いた。玄昉は后の上には乗ることはなく、伏してじっくりと后の尻を見て、指でかき回して弄った。尻奥には愛液が出てきている。玄昉は笑いながら、「后のお尻に性器も極楽のようで、これと比べて似ているだろう」と申した。

2 孝謙天皇と道鏡


孝謙帝、道鏡の㞗(まら)を握り、笑ひて曰はく「於(ああ)、偉なるかな、神物は。真に是れ㞗中の玉なり。当に南面して四海の濶く大なる屄を服すべし。朕願はくは老屄を浄めて之に事へんとのたまふ。遂に道鏡を尊びて法皇(ママ)と為す。

孝謙天皇は道鏡の性器を握って笑いながら、「ああ!偉大であるな、この神のイチモツは。まことにこれはマラの仲のマラである。道鏡はまさに南を向き(君子となって)世界中の広くて大きな女性器を好きなようになされ。朕は年寄った自分の性器を清めて、道鏡の性器に仕えていたい」と仰った。その後、天皇は道鏡を尊び、法皇に据えた。

3 在原業平と藤原高子


在五中将、二条后(清和帝の皇后、諱高子、中納言藤長良の女)に通ふ。数しば危ふき垣を踏みて世の笑侮を屑しとせず。㞗を后の屄中に揺るがす。咲ひて曰はく「臣、世を皇后の玉門に避く。何ぞ必ずしも曼倩が金馬門のみならん」といふ。(貞観七年、皇后年十有七、業平二十有四)

在原業平は二条后藤原高子の元に通っていた。しばしば危ういこともあるも、世の中の評判を気にすることはなかった。男性器を后の女性器の中に入れ、腰を振る。業平は笑いながら、「私は世の中の目から皇后の性器の中に逃げます。どうして漢の東方が金馬門に世から逃げたことより良いでしょう。」といった。

4 在原業平と恬子内親王


文徳帝の恬子公主、密かに在五中将に通ふ。公主斎宮に長じて未だ人道に慣れず。中将、硬㞗を進むるに逮びて、陰門苦しくして入らず。公主疼みて忍びて之に御せしむ。嘗て侍女に語りて曰はく「在郎は婀娜たる艶質、好処子のごとし。独り奈んせん。臍下の物、猛士の堅甲を着て怒り立つがごとし」といふ。

文徳天皇の皇女、恬子内親王はひそかに在原業平の元へと通った。内親王は斎宮で育ったため、色事には通じていなかった。業平は硬くした男性器を挿入したが、女性器は狭く入らなかった。内親王は痛いことも我慢して挿入を続けさせた。かつて内親王は侍女に「業平さんのしなやかな美しさは乙女のようです。しかしどうしてか、へその下の物(男性器)は勇敢な兵士が鎧を着て、怒り立っているかのようです」と語った。

5 平貞文と本院の侍従


平貞文、本院の侍従を擁して臥す。試みに後より之を犯さんと請ふ。侍従を咲ひて之を従ふ。輒ち背臥して尻之に共ふ。貞文、㞗を舞して之に交はる。強陽往来の勢、屄中奇音を出だす。屁に似て屁に非らず。殆んど咲ふべし。貞文徐ろに唱ひて曰はく「何ぞ必ずしも糸と竹とのみならん。屄中に妙音有り。」といふ。侍従急に尻を廻らして㞗を避く。復た背交を肯へんぜず。

平貞文は本院の侍従を抱いて寝た。試しに後背位で性交がしたいと願うと、侍従は笑いながらそれを許した。そこでうつ伏せになって、後ろから挿入した。貞文は腰を振って性交を行った。いきりたった性器の動かす勢いは女性器に挿す度に奇妙な音を出すほどであった。その音はおならに似ておならではない。いよいよ笑うのがよい。貞文はゆっくりと語って、「どうして音を鳴らすものは絃と管だけだろうか。女性器の中にも美しい音があるでがないか。」といった。しかし侍従は尻を動かして男性器から逃れ、二度と後背位を行うことは許さなかった。

6 藤原高子と善祐


二条后、晩に僧の善祐に通ふ。(后時に年五十五)事露はれて善祐謫せられ、后廃せらる。后自ら侮りて曰はく「正に知る屄は是れ禍の門、苟しくも屄をして臍のごとくならしめば、終身此の患無からん。」といふ。

二条后藤原高子は晩年、僧の善祐と関係を持った。この一件は世の知る所となって善祐は流罪となり、高子は后を廃立された。后は自嘲的になって「今、女性器は禍の門であるということ(口は是れ禍の門を踏まえた表現)に気が付きました。もし性器はおへそのように閉じていたら、このような憂き目はなかっただろうに」と語った。

7 藤原時平と本院の侍従


本院の左相、(時平)、亜相国経の夫人(在原棟梁の女、平貞文亦た之に通ふ)を奪ふ。而うして帳中、将に遘合せんとす。夫人故に衿を引きて膚を掩
ふ。左相、之を訝る。夫人謝して曰はく「旧夫猶ほ念ふべし。挙体遽かに公委せたるに忍びず。但し臍より下、唯だ命のままに是従はん」といふ。乃ち皓股を開張して善く之に接す。

藤原時平は藤原国経の妻、本院の侍従を奪った。そうして帳中に二人で性交に及んだ。夫人はことさらに衿を引いて肌を隠した。時平はこれを訝しんだところ、夫人は謝って「前夫の国経のことを忘れられません。体すべてを突然にあなたにゆだねることは我慢なりません。しかしへそから下だけはただ、あなたの好きなようにお任せしましょう。」といった。そこで白い肌のところを開いて上手に交わった。

8 源高明と紫式部


西宮左相(源高明)、紫式部を愛す。嘗て曰はく「婦慧なれば屄自ら痴ならず。此の児、一たび臀を揚ぐれば百滋、味を成す。前より後よりす。施はんとして不可なること無し」といふ。

源高明は紫式部を愛していた。かつて高明は「賢い女性であると、性器も自然とぬかりなくります。この人は一度腰を持ち上げれば、快楽を催す。性交ができないことはない。」といった。

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