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【今】、以外は嫌なほどに美化されていく

突然ですが、「今」どんな気持ちでしょうか?

学校、会社が楽しいですか?反対に辛いですか?

僕は今、夢を持ちながらも憧れが強すぎるがゆえに、完璧主義に陥り頭ではわかっているはずなのに、自分を卑下してしまいます。


すみません、申し遅れました。はじめまして、「後攻生m」です!
高2の男、現在は地方都市のそこそこの高校に通っています。
成績はほぼ中盤。部活はチームスポーツの運動部に所属しています。

正直、自分の文章はどこか嫌いです。国語力から来る「表現力」の無さもありますが、それより自分の本心と乖離した出来になってしまうからです。
心の中で叫んでいても、いざ書き写すとなると二転三転…
誰にも見せないはずのものも、「完璧に読みやすいものを作らなきゃ」と見え方を気にしてしまいます。
noteではできるだけ思ったままで綴っていきたいと考えています。

何故「note」を始めるのか

簡潔に言ってしまうと、人からの共感を求めているのだと思います。
他人主体の、自己肯定を欲しているんだと思います。

それもそのはず、近頃(去年の中盤)くらいから嫌になることが段々と増えてきました。
学校生活では「シーン」とした環境で息苦しくなったり、部活ではそこまで厳しくないはずのコーチからの注意や、ミス、仲間からの見え方を敏感に気にしたりと。
昔から心配性なところがあり、プレッシャーに弱く落ち込むことが時々ありました。それでも友達とバカやったり、成績が上がったりとすぐに忘れられることがほとんどでした。
ですが、最近あまりそうは行きません。別にいじめられたり、精神をやむほど勉強に嫌悪を抱いたりはしていません。
自分が描く、膨大な理想と比較してしまいます。
友達は少なくはないし、友達や部活仲間にもわりと面白く、明るい方な接し方をしていました。だから、辛いときも接し方はいつもと変わらないです。てか、変えられないです。弱い自分を見せたくないからですかね。その方が多分辛いんです。

そして、去年の10月の頭に親に相談しました。家族の仲は悪くないのですが、恥ずかしさやもどかしさから、それまで腹を割った話はしていなかったと思います。
逆に言えば、それだけ「辛さ」のピークが来ていました。
親はとても優しかったです。「辛かったら休んでもいい」「専門の人に相談してみようか」と、様々な言葉をもらいました。学校生活、部活に直接関係なくても、人に打ち明けることはスッキリすることです。

親の助言もあり、10月中盤くらいに体と心を診ている病院に訪れました。
精神的な病とは無縁と思っていた自分は、最初渋っていましたが、きっかけにでもと思い、病院の先生との会話を決断しました。
やはりプロの方の聞き術はすごかったです。かなり安心できました。

打ち明けたこともあってか、それからは息苦しさが段々と軽くなりました。
また、部活では同時期に感じていた「体の痛み」を理由にしばらくの間、サポートや個人練に回っていました。
なので、そこからは少し気が楽に過ごせました。
ですが、部活は見学している自分に「なにしているんだろう」と思い、休むときもありました。
そんなこんなで、気がかりだった部活の大きな大会は声出しを頑張り、学校の大きなイベントである研究発表会、修学旅行を難なく過ごし年末に入っていきました。

正直、この期間はとても気が落ち着いて、久しぶりに純粋に楽しめた気がします。これがずっと続けばいいのにとも思っていました。
でも、それと同時に自分の考えに頭を悩ます期間でもありました。
普段の自分を壊したくない、弱いところを打ち明ける勇気がないという気持ちから、部活停止期間や時々休むことに違う理由をつけていました。
そのため、「そろそろ復活しないと迷惑をかけるかも」と焦り戻ってしまいます。無論、そのある意味プライドが本心を伝達するわけはありません。
他の人は、怪我が復活してきたんだと思っています。だから心情は考慮できるはずはありません。
でも、客観的にそうわかっていても、簡単に弱い自分を出せる人は恐らくいないんじゃないでしょうか?
そんでもって、辛くなったりしています。また考えてしまうんだと。
親は「部活を辞める決断もある」と言っていました。
でも、部活を辞めたら学校も辞めてしまいそうです。
抜けたポジションを埋める仲間の負担、同クラになったとき..
突然いなくなって、のうのうと接すことはやはり出来ません。
だから、昨日まであった休み期間も色んなことに頭を巡らせていました。

どうやれば気にしなくていいのか、過去のこと、将来のこと、今の選択など

そしてとりわけ過去はキラキラして見えました。



「今」、以外の美化はなぜ

中学校のときのようにもっと馬鹿できたらなあとか、もっと余裕をもてたらとか思います。
辛かったはずのチームの練習、友達とのいざこざもいい思い出に変わっています。確かに昔と比べ勉強は難しくなったし、行うタスクが増えていることは事実です。
でも、それ以上に美化される要素があって必然でもあるのかなと感じています。
だって「過去」を思い返すだけでなく、「過去当時」を思い返したら変わってくると思うからです。中学校を振り返ると、もちろん楽しいこともありますが「ただ受けるだけの授業は退屈だ」とか「もっと行動範囲に自由を持ちたい」とか「レベルの高い活動をしたい」とか考えていました。
過去の自分になって、当時を思索するとその「時」にも悩みはあって、小学校生活を羨んだり、高校生活に期待を寄せていたと思います。

その理由として、大きいのは「さほど大きくはない嫌なできごとを忘れられる」と「現在進行の不安が過去には絶対ないから」からだと考えます。
過ぎ去ったことは達成ノルマを決めてない限り、乗り越えたことになって経験として見られると感じました。

反対に「未来」も違った美化があるのではないかと感じます。
課題を後のばしにしがちなのも、夢を最初大きく設定するのも、「未来」ではきっと出来ているはずだと思っているからではないでしょうか?猶予期間みたいなものだと感じています。
「将来が不安だ」という言葉もありますが、それは今が充実していないからだと感じました。

自分も美化のしすぎは良くないと思いましたが、色々と考えさせられました。「今」は「過去」に比べて、辛いのはしょうがないと思うけど、わざわざ完璧になろうとしなくても、今を淡々と過ごすだけで美しく変わっていくのかなと思いました。

だから、辛い今を投げ捨て、自暴自棄になったらそのままて、どんな形であれ今を頑張ることで段々と良くなっていくのかなと思いました。

今、どうするか自分はすごく悩んでいるけど、「何もしない」はやめようと感じました。

今、悩んでいる人も誰かに「打ち明ける」ことをぜひしてみてください!

読み苦しい文章だったと思いますが、読んでいただき本当にありがとうございます!

自分も入力していて少し楽しかったです!これからも続けて行きたいので、よかったらフォローお願い致します。


長文失礼いたしました!!





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